三好達治bot(全文)

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「太郎」『測量船拾遺』

「太郎さん舞鶴へは歸りたくないの?」「歸りたいだよ姉さん。病気が癒つたら僕は迎ひにきて貰ふんだ。内緒だけれどもね、僕はこの間葉書を出して置いたんだよ」と云つて太郎は飛白の膝で手の平を拭き拭きした。「誰にも云つてはいけない!」「云ひやしませ…

「暮春記」

1 去年の、ちやうど今頃のことである。 その頃私は信州のある山間で暮してゐた。私はそこで春を送り初夏を迎へた。病後の疎懶な生活が固癖になつて、たださへなまくらな私の心は、一寸制馭の法もない橫着なものになつてしまつた。それには私も、實は我れな…

「牛島の藤」

地名の糟壁(かすかべ)というのは、なんだか洒落(しゃれ)た字面(じづら)のようにわたしは考えていたところ、ちかごろはこれが春日部と改められたようである。前者には雅趣があり、後者はただの平凡と思うのは、わたしのつむじ曲がりであろうか。そうか…

「加佐里だより」『駱駝の瘤にまたがつて』

KOREAの綠の切手(白い翼と小さな地球なるほど航空便だから……消印は83・3・2)朝鮮慶尙南道晋陽郡井村面加佐里のさとの姜淑香そんな振出人から包みがとどいた 音書に曰く私は岐阜市の生れです十八まではそちらで育つた母の國は日本父の國はそちらで…

「霜の声」『駱駝の瘤にまたがつて』

冬の寒い夜ふけにあつて人はみなともし火を消して睡つてゐる起伏の多い丘や谷間環狀道󠄁路がガードをくぐる向ふの方毀れかかつた街燈や變に歪んだ病院の窓あるひは夜霧の中に瞬く航空燈臺――そちらの方角もやはりまつ暗な港の方ではそれでも何か機關の音が軋つ…

「狼」『駱駝の瘤にまたがつて』

ああこはかつた! 少女は私の膝に飛び込んできて、兩手でおほつた顏を私の膝にうづめながら、 ああこはかつた! とくりかへした。つめたいからだをこはばらせて、みなし子のやうな、瘦せた肩で息をしてゐる。私は父親のやうな氣持になつて、兩手を彼女の背中…

「係蹄」『駱駝の瘤にまたがつて』

あの砂山のかげから、靑い海と、鷗の群れを見たときに、人々から遠くはなれて、私がはじめてそこまで出かけていつた時に。 その時私の心は、最初の病氣に苦しんでゐた。海は靑く、太陽は高かつた。遠く故鄕を出て、私がそこではじめて見たものは何であつたか…

「沈黙」『駱駝の瘤にまたがつて』

おだまり! とフランシス・ジャムは、ある夜ふけ、唇に指をおいて、自分に命じた。ああこの日頃、またしても人々は、私の詩(うた)を否定する。彼らはそれを切りさいなむ。それらの勝手な組合せで、彼らは私を否定する。ああその批評で、彼らはつひに何人の…

「桐花 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』

門を出て 門を出て數步の石に靑薄ひともと生ひぬこぞありしひともと薄常なきは人の世にこそ 春たけて 春たけて去りし海どり雪ふらばまた歸りこん濱松に波のうねうね虛しきか日は高しらす 蜑女の焚く 蜑女あまの焚く煙ひとすぢ彼方にもここにもたちて隣家に桐…

「村酒雑詠」『駱駝の瘤にまたがつて』

日もくれぬ 日も暮れぬ己し が盞をみたせただ餘はそらごとぞ己が詩うた をみづからうたへ月やがて松にかからん 盞は 盞はちひさけれどもただたのむ夕べの友ぞおほかたはひとをたばかる世にありてせんすべしらに 爐に臥して 爐に臥して憂ひをいだく肱枕さむき…

「急霰 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』

霰うつ 霰うつ音ねにもねむるや山兎山鳩野雉のきじこの宿の主じはひとりやぶれたる夢をむすばず 沖ゆ來て 沖ゆ來て松に聲ありけたたまし軒を走りてつかのまやはらら聲たゆたま霰ゆくへをしらず わが庭の わが庭の石うつ霰松こえて海にはせいる日に三たび港に…

「残紅 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』

殘紅 憂しといとひしすゑの世のちまたもけふはこひしけれ日すがら海のこゑすなる軒端にのこる花はまれ くつわ蟲 黍の穗たかく月いでて秋は越路のくつわむしくつは蟲とてましぐらに海になくこそあはれなれ 鉦たゝき すずしき鉦をとをばかりたたきてやみぬ鉦た…

「炉辺 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』

くれなゐの くれなゐの花はみな散りよき友はみなはるかなり神無月しぐれふる月こぞの座にわれはまた坐す いとはやく いとはやくひと世はすぎぬ天命を知るはこれのみくさびらを林にとると腰たゆき時雨びとはや わがうたを わがうたをののしる人ものいふがまま…

「時雨 四章」『駱駝の瘤にまたがつて』

花木槿 人に面おもても見すまじきけふの心のかたくなをしかはあれどもよしとするゆふべはしろき花木槿はなはちす 村雨 こゑありて見れば村雨またありておつる日のかげ秋は巷もひそかにてただとほしつくつく法師 しぐれの雨も しぐれの雨もくれなゐに軒ばの花…

「夏のおわりの日まわり」

浜に出て沖を見ていた。ながく沖の方を見つめていた。ものに疲れた夏の日の昼すぎと、むなしいちぎれ雲と、遠くうつけた眼に見る薄曇り、気のせいほどの遠雷。ながらく私はそのむなしいものを見つめていた。ここにこみあう人々の群れにまぎれて、歌声や呼声…

「玫瑰の花」『百たびののち』

冬の夜の二時三時 こんな夜ふけ 會ひたくなつたよ潮かほる 北の濱べの 砂山の かの玫瑰(はまなす)の花二晩三晩 今晩もまた爐に近く乙女らが來て匂ふやうだなにやら惱ましい思ひのやうだ君らはあまり遠すぎるまつ暗闇の月の出の 吹雪を思ふ 怒濤を思ふこの…

「庭すずめ七」『百たびののち』

例年の例のとほりに冬に入るとまた雀らが歸つてくる柿の木の高いところに しばらく見失つてゐた數だけ集つてゐる柿の木は裸で 彼らはすつきり恰幅がよくなつて見える艶やかに磨きがかかつて 落ちつき拂つて見えるあのおしやべり屋がだまつてゐる冬の日は暖か…

「朝なりき」『百たびののち』

朝なりき靑木の蔭に胸の和毛(にこげ)を雙の羽(は)をかいつくろふと小鶲(こびたき)の陽は木洩れ陽の破(や)れ壁に巷(ちまた)のこゑは遠く絶え ふとも微かにともよすに――小雨鶲(こさめびたき)のかくれ栖(す)む金と綠を身づくろふ華奢(かさ)なる…

「茶鼎角」『百たびののち』

くろがねなればたのもしくそのこゑさやかさやさやと夜もすがら鳴るを友とすことあげ多しわが友ら善しを善し惡しを惡ししと憂ひいふ世のさまなれどある時は束(つか)ね忘れて我は倚(よ)るやつれ釜古志(こし)の蘆屋(あしや)にうつら聽く遠き潮騷――嶺の…

「冬の朝」『百たびののち』

鵯どりが叫ぶ霜のきびしい朝の庭木の梢から襤褸(ぼろ)をまとつた利かぬ氣の婆さんお前は近所の街角のけなげな働き手の誰かを私に思はせる鵯どりがけたたましく叫ぶ私はまづ何やら傷ましい感じに眼ざめつつそれに耐へるそそつかし屋のお前がそこらの木實を…

「かの一群のものを見る」『百たびののち』

重たくとざした灰色雲を屋根として彼方に雪の山をおき収穫の後に野にしろき煙たつ枯れ木の梢むらさきに煙はやがて靄となるに影黑き藁塚わづかに靑きものは麥つつましく襟かきあはせ蹲(つく)ばへる聚落(じゆらく)々々を日もすがら黑木の森を驅けめぐるか…

「酩酊」『百たびののち』

水を涉りまた水を涉りわれら綠の野をすぎわれら丘と谷間と山々とを越え國のはて 異國の浦々を舟渡(ふなわた)りぬ茫々と風にふかれ地上を高く飛び去りゆく雲にまぎれ幻の駱駝の瘤にまたがつてある日は陽炎にゆられゆられてさわれらかくいつさいのものから遠…

「水の上」『百たびののち』以後

黑くすすけた蘆(あし)の穗に冬の水が光つている冬の川が流れている霞のおくに煤けて落ちる夕陽にむかつて川蒸汽が遠く歸つてゆく昨日の曳船を解き放つてひとりぽつちの川蒸汽が帰ってゆく身輕になつた 船脚で――古い記憶だ 噫かのなつかしい人格地上の友 地…

「わが手をとりし友ありき」『百たびののち拾遺』

わが手をとりし友ありき友はみな彼方に去りぬ 花ならば自(みづか)ら摧(くだ)く古き曆を破りされ ひややかに且はほのめくわれは自らわが手をとる 都のほとりの夜半(やはん)なりものの音は一つ一つに沈默す 夜半の袖もほころびしわれは自らわが手をとる …

「花の香」『百たびののち』

私は思ふ 暖かい南をうけた遠い丘そこに群がる水仙花 黑潮に突出た岬かの群落を思ふのはさうして旅仕度を思ふのはこの年ごろこの季節の私の習ひ 白晝夢今日また爐邊にそれをくりかへす芳香はもう鼻をうつて 部屋に漂ふ 噫 ある年の雪の朝戰さに敗けて歸つて…

「砂の錨」『百たびののち』

百の別離百たびの百の別離の 百たびを重ねたのちに赤つさびた雙手錨(もろていかり)がごろりとここにねこんでゐる砂の上こんな奴らのことだから 素つ裸さ吹きつさらしの寒ざらしだそれでもここの濱びさし 軒つぱには陽がさして物置きだから誰もゐないそこら…

「寒庭」『百たびののち』

しぐれ空に山茶花󠄁の花󠄁が咲󠄁いたどこやらでそこここでせつせと機械の音󠄁のする場末町陽ざしの乏しいしめつぽい貧󠄁しい庭󠄁に寂しい庭󠄁のかた蔭に紅につつましくなにげなくこころは高くけふの季節をひきとつてその紅は花󠄁瓣のふちに一刷けわづかにほのかに鮮…

「不知火か」『百たびののち』

——不知火か あらず 漁(いさ)り火夜もすがら 漁り火を見る 夜もすがら天低うして風は死しはてなき時の脈搏のみこなたに やをら うちかへす闇の起き伏しまどかなるそが胸に かがやかに とおくはるかに——不知火か さなり虛しくおきつらねたるものを喪ふさらば…

「私の耳は聞いてゐる」『百たびののち』

ああ最後に 私の耳は聞いてゐる 極北の海の けふも大きな怒りをもたらして轟くのを私には何も見えない 見えないけれども と彼は呟いた何ごとの囘想にふけつてゐるのか 五萬年も古い人間の歷史よ汝の貪慾に 汝はなほもあきないかかく彼は呟いて 乏しい日ざし…

「国のはて」『百たびののち』

國のはて 國々のはて 岬々をへめぐりて見はるかしたる海の色晴れし日に ひな曇る日に人けなき燈臺の窓の硝󠄁子にしんしんと松󠄁のみどりの痛かりしその空こえてゆるやかに聲ありしその風の上に 歸りきてまたわが思ふ小夜ふけの枕べの 夢ならず眼にさやか 耳に…