三好達治bot(全文)

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「太郎」『測量船拾遺』

「太郎さん舞鶴へは歸りたくないの?」
「歸りたいだよ姉さん。病気が癒つたら僕は迎ひにきて貰ふんだ。内緒だけれどもね、僕はこの間葉書を出して置いたんだよ」
と云つて太郎は飛白の膝で手の平を拭き拭きした。
「誰にも云つてはいけない!」
「云ひやしません。太郎さんはここよりも舞鶴の方が好きなんでせう。あちらではみんなしてあなたを可愛がるんだから――」
「それにあなたは悧巧だし、舞鶴のおうちはこんな村には一軒もないほどのお金持だつて、お祖母さんも云つてゐらつしやつたが、あんたは大きくなつたらきつと偉い人になれるわね」
「その葉書には何を書いたの?」
 太郎はだまつて人形の猿を縫つてゐた。内気な病身のこの少年には友達がなかつたので、こんな手なぐさみをいつかしら覺えてゐて、端布をねだつては日に幾つも樣々な色の小猿を作つた、秋の日あたりのいい障子を背中にして。
「葉書かね、云つてはいけないよ、僕は歸りたいから迎へにきてくれ。病気もよくなつて汽車には乘れると思ふ。毎日叱られるのがいやだから、そんなことを書いてやつたんだ」
 太郎は云ひ終ると額に相手の強い視線を感じて瞳をあげた。太郎はこの相手が自分に対して特別に親切にして呉れる時には、その前にかならずこの視線を感ずることを知つてゐた。そして太郎はそれを求めるためにときどき自分が拗ねてみせることのあるのもうつすら意識してゐた。
「お祖母さんはすぐ僕を叱るんだ、僕が悪くないときでも」
「お祖母さんは豐子ちやんの方がすきなんですよ。喧嘩なんかしない方がいいのに、あなたはすぐ怒るんだから、でも豐子ちやんは一寸ずるいわね」
 豐子はずるい、豐子はよく嘘を言ふ、と思ふと太郎はもう母家の方へ歸るのがいやになつた。いつまでもこの離れの狹い部屋で、一日中裁縫をしてゐるこの相手と、そこを自分の家と思つて一緒に自分も暮してゐたいと思つた。

 

 

三好達治「太郎」『測量船拾遺』(『全集1』所収)