三好達治bot(全文)

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「湯ヶ島」

 伊豆へ行くのは十年ぶりであつた。ひと頃は每月󠄁のやうに出かけてゐたのに、御無沙汰となるとふつつりそちらへ足が向かない。かういふのを、我ながら淺ましく思ふ。何やらの物語に、「つねなき男なれば」といふ一句があつた。恆常心のない人物だから、といふのであつた。かういふ一句が眼にとまるのは我ながらやはり愉快でない。何も伊豆方面に借金のあるわけではない。ついさういふことになつた。それで、こんどは、櫻の見頃のぎりぎりのころ、同勢を誘ひあはせて、下田行電鐵の開通󠄁したのに乘つてみようといふ名目で、出かけてみることにした。
 電鐵は谷津で下りた。週󠄁日であつたが、熱川までは席のない滿員であつてまづは電鐵のためには目出たい。車體は乘心地がよかつたが、トンネルと切通󠄁しを走るので眺望󠄂には惠まれない。時間はよほどの節約󠄁になるあんばいだが、その方に餘裕があれば、海岸沿󠄂ひのバスの紆餘曲折の方がまさらう。一長一短だね、と雜談に鹽せんべいを嚙る間もなく、谷津に着いた。早い。
 この日は湯ヶ島溫泉、世古の瀧にむかふ豫定であつた。ずゐぶん南下をしすぎたが、車中凡そこの方面、東海岸の人氣のやうなものは感じとられた。詳しく數へれば、この海岸には、一と昔の間に、ずゐぶん溫泉の數がふえた。いづれも盛󠄁況のやうである。見慣れた屋根、その間に、新しい屋根がふえてゐる。いづれもてかてかとけばけばしい。それもやがては古色を帶びるだらうから、氣にすることはないが、何しろ電鐵そのものがけばけばしい。それでも早いに越したことはない、といふのは私の思想でないけれど、承認󠄁しておく。
 谷津には石原忍󠄁博士のお住󠄁居のあるのを私は見おぼえてゐる。驛前󠄁からやとつた車の運󠄁轉手君にきくと、近󠄁ごろ仁術󠄁の方はさすがに御高齡で玄關を閉されたさうだがなほ御壯健󠄁の由、その方角に一揖して過󠄁ぎる。峰、湯ヶ野を經て天城にかかると、さすがに旅に出た氣持になつた。七瀧(ななだる)のあたり、ユースホステルといふものが谷間に見えた。山葵澤もちらほら見えた。櫻は丁度の見頃を二日三日通󠄁り越したやうだが、それでもなほ、花󠄁は盛󠄁りをのみ見るものかはといふほどの姿󠄁ではなく、まだまだ見事であつた。
 この峠路の、がらりと明󠄁るくなつたのは、以前󠄁の鬱然たる趣きに比べて私には遺󠄁憾であつたが、見渡しのよくなつたのと路面の平坦に手入れのよくなつたのとは氣持がよかつた。娑婆は日に日に變貌するが、山中もその例外でないのを思ふ。馬方の引く荷馬車といふものを見ない。バス、トラックの交󠄁換は手間どれても、以前󠄁のあの荷馬車の列の比ではない。それをいふと、運󠄁轉手君はうんうんと上の空でうなづいた。近󠄁頃は農家でも馬は飼ひませんよといふ。天城の伐木の分󠄁量は、ちらとばかりの一瞥でいふと、よほど減產のやうに見うけた。それとも運󠄁搬手段が敏速󠄁になつたせゐかも知れない。要󠄁するに昔のままに靑々と、すがすがしい音󠄁をたててゐる山葵澤の外は、全󠄁山の趣きがずゐぶんと變つた。再度の颱風に促されてそのあと急󠄁速󠄁に變つたであらう。トンネルを出て狩野川になる、その淨蓮ノ瀧には、休み茶屋お土產物屋が軒を並べてゐる。それにも驚く。驚くに當らぬことに驚いてゐるのであらうと、やや心もとなくもなる。
 街道󠄁を下り、湯ヶ島の宿場を外れて世古ノ瀧に向ふ西平橋の、立派な鐵橋に變つてゐるのにも、また驚く。そのあたり、やつと溪谷を走り出て平らになつた川べりの崖つぷちに、頑丈󠄁な鐵筋造󠄁りの旅館が何軒も出來てゐる。あんなところに、とふり返󠄁つて驚かんとしたが、その暇もなく走りすぎた。

 

 湯ヶ島世古ノ瀧溫泉は、小說家梶井基次󠄁郞君が數々の名作を殘したので名高い、――名高いはをかしいかな、それなら知る人ぞ知るといつてよからう。私は十年ぶりであつた。水災の後地形が變つたと聞いてゐたが、湯川屋さんに着くとすぐ窓から對岸を見た、――その見渡しはよほど變つてゐた。靜かに考へ合してみればそれほどの大變化󠄁を來してゐるわけではなかつたけれども、一見した印象は、よほど變つて見えた。
 ――空がたくさん見えるやうになつたね、と私は思はず呟いた。對岸の木太刀の湯は流れ去つてなくなつたかな、と想像してゐたが、なるほどそれはなくなつてゐたけれども、その跡に立派な建󠄁築󠄁物が立つてゐた。木立(きだち)溫泉といふ。木太刀が木立と改つたのは、字面で一字を節約󠄁したが、私には氣に入らなかつた。コダチと讀まれさうなのも氣がかりであつた。何やら賴朝󠄁傳說のあつたのが、これではもう早晚消󠄁滅するに違󠄂ひない。部落のため溪谷のために惜むべきではないかと私は思ふ。
 新しい立派な建󠄁築󠄁物は、その外に二つばかり生れてゐた。ゆさゆさと搖さぶれる鐵索吊りの吊り橋はなくなつて見事な――といふのはその頑丈󠄁さの點で見事な、コンクリートの吊り橋が架つてゐた。見てゐると、水面二十メートルはあるその高いところを、貨󠄁物を滿載した大型トラックが、こちらへ、向うへ、渡つて行くのが私には夢のやうであつた。それがまことに賴らしげで喝架を惜ま_ない氣持を私は覺えた、傍ら、あそこのところの一劃の繪畫的󠄁風景の臺なしに失はれてしまつたのを惜む氣持ちも働いて、私は逡巡󠄁した。桑滄の變だなと、あまり適󠄁切でない言葉が胸に浮󠄁んだ。やや季節遲れであつたが、椿の花󠄁はもうそのあたりに見つからなかつた。それも淋しく思はれた。
 猫越――妙な文󠄁字だがネッコと讀むその猫越川は、昔のままの淙々たる聲をたててゐた。そればかりは、この湯川屋の一室で梶井と起󠄁居を共にした三十年以前󠄁にいささかも變らない、その聲はゆかしく懷かしく、今日の一泊はまさしくこれを聽きに來たのだからとさすがに私の胸に沁みた。若山牧水さんが、むつくりとした着流しの姿󠄁で、溪底の風呂場に下りて來られた姿󠄁などが眼に浮󠄁んだ。私は格別であつたが、梶井も牧水の愛讀者であつたから、それ牧水牧水などといつて私どもは窓際に顏を寄せたのを、思ひ出す。牧水の愛した、この溪谷の山櫻は、この日もまだ咲󠄁き殘つてゐて、この木には被害󠄂もあまりなかつたが、水流の近󠄁くにも、またそこらの傾斜のなぞへにも、點々として數へられた。次󠄁々に若木代謝してゐることかも知れない。そのみづみづしい姿󠄁は、赤みをもつた若葉をふいて、あたりの空氣に、ぽうとした明󠄁るみを吐いてゐる。
 見れどあかなくに、だね。
 と私は同行の石原八束さんに話しかけた。
 伊豆も變つたでせうけれども、何といつても、ここは別天地ですね。
 八束さんも、ここは二度目のやうであつたが、さういつて、いつまでも、手摺りによつて水の色に眺め入つてゐた。
 川床の模樣も變つたね。ここらの、この石ね、みんな落ちついてないねシンマイだから。
 といつて私は笑つた。ずつと上流の方を見透󠄁してみると、そのたたずまゐは、むろん以前󠄁のままだけれども、兩岸の樹木がずゐぶんとさらはれて、見透󠄁しが開豁になつてゐるのが、以前󠄁の記憶と比べられた。それでも巨󠄁岩の目ぼしいものは、私に目覺えのものが幾つかそのままに殘つてゐた。
 梶井の「河鹿」ね、それから「闇の繪卷」ね、それからあの「筧の話」ねと數へ立てて、その作品の生れた場所󠄁を、私は指さしながら、八束さんのために說明󠄁した。さうしながら、追󠄁々と眼前󠄁の新風景が、舊景にたち戾るのを私は覺えた。
 このあたりでは近󠄁年、ヰノシシが豐作だといふ。獵期󠄁がすぎて、陷穽やトラバサミまで、今では仕掛けてゐるといふ。箱根が開け、富士山麓に演習󠄁場が爆音󠄁をたてつづけるからでせうね、畑を荒󠄁らされて困りますが、いついらつしてもお客さんの御注󠄁文󠄁にはこと缺きませんよ、といふのは、この宿のかみさんの話であつた。鹿はへりましたが、猪はふえましたよ、といふ。そんなものかなと、私にも理由は分󠄁らなかつた。
 この宿、湯川屋の樣子は、むろんすつかり變つてゐた。川つぷちの、村の共同湯、男女混浴の大浴場も、すつかり模樣は變つて、それはまだ工事中の建󠄁築󠄁さなかであつた。「こんばんは」と朱筆で走り書きした、ほほづき提燈をぶらぶらさせながら、一里も遠󠄁い奧からも村人たちの集つてきた、――このあたり山中だから寒󠄁氣は嚴しい、あの冬󠄀の夜の、心にしみる風景は、今日ではもう見られまい。小學生も、三輪トラックで運󠄁ばれる世になつた。路ばたには、照明󠄁燈が、たいていのところまで行渡つてゐる。「闇の繪卷」は、やはりあの時代に、書いておかれたのがありがたかつた、と私は思ふ。
 こと缺きませんのシシ鍋は、季節におくれてゐたがやうやく間にあつた。前󠄁以て申込󠄁をしておいたヤマメは、季節にまだ早かつたがこれもやうやく間にあつた。季節なしの椎茸とともに、いづれも野趣に富む美味であつた。同勢は贅澤をいはぬ仲間であつたが、結果はだいぶ贅澤をいつたのと等しいことになつただらう。伊豆は美國の小國だが、天產はまことに豐かなのがやはりうれしい。

 

往󠄁路に迂り路をしたのに釣󠄁合ひよくといふのではなかつたが、歸路もまた堂ヶ島廻りの迂路を選󠄁んだ。前󠄁夜相談してゐるうちに、さういふことになつた。堂ヶ島は名勝󠄁だが、いづれ俗地に近󠄁からうから、それが目あてではなかつた。世古ノ瀧から松󠄁崎行きのバスは仁科峠を越えるといふ、このコースは近󠄁年の新開だから、知る人ぞ知るといふにももの足りまい。それがたいそう見晴らしがよろしいといふ湯川屋主󠄁人の勸獎であつた。地圖を按じてみてもうなづける、それがよからうといふことになつた。さうして主󠄁人の言は私どもを欺かなかつた。
コースは猫越川に沿󠄂つてずんずん遡り、持越金山といふのは打見たところ寂びれて見えたが、がらん洞らしく見える探掘場、またその附屬住󠄁宅のひと塊りを過󠄁ぎたあたりから、左折して山中に入る、そのあたりからまことにこの國ぶりらしい山々の立竝ぶ佳景に入つた。伊豆の山々は、お結びを並べたやうに小ぶりだがその姿󠄁がよろしい。仁科峠に上りつめるまで、山々は交󠄁替して左右に迎󠄁へてくれる、その大方は右手に深い谷間をもつてゐるからその方角に於て專らだが、それがなかなか面白く、お結び山と雖も眺めてゐるうちに追󠄁々と雄大の趣きを加へてくるのを覺えた。
 十國峠よりも、この方が、よほどよろしいぢやありませんか。
 といふ聲が聞えた。私も記憶で比較󠄁してみると、それにはをさをさ劣らないのを悟つた。伊豆は小國と決めてかかつてゐたのが、ここでは實景の上で少しく訂正を要󠄁するのを覺えた頃には私はだいぶん陶醉氣味であつた。なるほどよろしい。季節はまだいささか早く、山々が枯草色であるそれもまた、それで好ましいけれども、翠󠄁綠のしたたる暮春から夏場にかけてはずつと遙かに見まさりがするであらうかとも想像された。地圖で見ると、千メートルそこそこの低山ばかりである、そんな算數めいたことは、この際の實感にかかはりがなかつた。
 仁科峠は標高八○○メートル、ちょつとの平地になつてゐる。車を出るとまだ風は寒󠄁かつた。新開コースだから何の設備もなく、さつぱりとしてゐる。曇天でなければ富士もちよんぼり見えようか、この日はむろん見えなかつた。左手には、もう堂ヶ島の入江がそのほんの一隅の海面が、お結びたちの間に見えた。部落らしいものの片鱗もそこに見えるやうで、なほ遙かに靄に煙つて定かではなかつた。
 湯ヶ島からは、バスで一時間そこそこの行程󠄁である。健󠄁脚の壯者には、車など借らず、ひと汗くらゐの行程󠄁であるから、いづれ近󠄁いうち名聲を揚げることにもならうか、その資󠄁格は十分󠄁と思へた。

 

 堂ヶ島は果して俗地であつた。いや俗地と化󠄁しつつあるその長足の進󠄁步が惜まれた。ここに來て磯鴨(いそひよ)どりの美しい歌ごゑを久しぶりに耳にしたのは、私にはなつかしかつた。越前󠄁九頭龍󠄁川河口の私の侘び住󠄁居では、每年その春さき、屋根の上にきて歌つてくれた舊友であつたから。
 松󠄁崎から北上するバスは、堂ヶ島、土肥溫泉を經て修善寺に出る。伊豆半󠄁島の西廻りは、海上に富士を望󠄂んでいつ見ても厭きない風景だが、あいにくの曇天でこの日はぶつめつであつた。
 土肥から沼津へ便󠄁船󠄁によつた頃にはもう雨に追󠄁はれた。
 同勢十餘人、たいていは俳諧の仲間であつたが、沼津から鈍行列車に驅けこんで、運󠄁座はそこでやうやく始つたらしい模樣であつた。

 

 

三好達治湯ヶ島」(『全集12』所収)