三好達治bot(全文)

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「梶井基次󠄁郞君の憶出」

 梶井君の創作集『檸檬(れもん)』に因んで、三月二十四日を私はひそかに檸檬忌と呼んでゐる。今年のその日ははや彼の三周󠄀忌に當る。さうして永井二郞さんの六蜂書房から、彼の全󠄁集もその頃丁度出版中の運󠄁びになるだらう。彼を喪つたことは私逹󠄁友人にとつてまた文󠄁壇にとつても、償ひ難い悲しみであり損失であつた。當時私は病を得てある病院に入つてゐたが、かねがね豫期󠄁はしてゐたもののさて彼の訃音󠄁に接してみると、どうにもぢつとしてはゐられないやうな氣持になつた。せめてもう二三篇彼の圓熟した文󠄁章、會心の作品を遺󠄁しておいて欲しかつた。その前󠄁一度私が故鄕の大阪へ歸つて彼に會つた時、彼は病床から起󠄁つて机の前󠄁に枯坐し、さて、その頃たしか朝󠄁日新聞だつたかに連載されてゐたヒマラヤ登山の記事をこの頃彼が讀んでゐることを私に吿げ、幾萬尺かの上空で登山者が經驗するところの呼吸󠄁困難を、僕はかうして机の前󠄁で創作の筆をとりながら感ずるのだ、實際ここに書いてある通󠄁りなんだよと、その日の新聞を私に指して私を顧󠄁み、呼吸󠄁を調󠄁節しながら彼は笑つて見せた。さうして彼は、今度の小說はどうも書きづらい、ちつとも筆が進󠄁まない、書き出しがどうにも氣に入らないんだ、一度この原稿を見てくれないかと、一二枚のまだインクの痕の新らしい原稿用紙を私の前󠄁に差し出した。それはその後、雜誌『中央公󠄁論』に發表された「のんきな患者」の冒󠄁頭であつた。僅かにそれは數百字ばかりの文󠄁章であつたが、到底凡手の企て及󠄁ばない深邃雅󠄂馴の文󠄁品は、このゐながらにして須彌山上に彷徨してゐる病詩人の、呻吟の跡を微塵もとどめないものだけに、殊更󠄁に探く私の心を撲つた。私は叩頭三伏せんばかりに、その原稿用紙を彼の眼の前󠄁で上下に動かして激賞した。君が來てくれたのでどうやら先が書けさうになつた、ほんとに心細かつたんだよ、こなひだから、と彼もいささか安んずるところがあるもののやうに見うけられた。さうして私が彼の僑居を辭さうとすると、彼はそれが幾十日ぶりかだと言ひながら靜かに下駄をつつかけ私が手を擧げて制止するのもきかず、門外十間餘りのところまで私を見送󠄁つてくれた。ここで失敬する、そこまで行きたいんだけれども、さう言つて彼は彳ちどまつてしまつた。私はもう一度彼を病床まで見送󠄁つてやりたかつたが、再會を約󠄁して急󠄁いでバスに飛び乘つた。私がふりかへつた時彼はまだそこに彳ちつくしてゐた。これが彼との最後の別れであつた。
 私は彼の憶出を語らうとして、思はず彼との生別を語つてしまつた。一體に彼の追󠄁憶は、私にとつては甚だ痛ましい、そんなに彼との交󠄁游が、悉く悲慘だつたといふ譯ではないが。
 創作集『檸檬』のうちで、彼が精妙な自然描寫を幾度となく繰り返󠄁してゐる、伊豆の僻村湯ヶ島といふ湯治場へ、彼が轉地療養󠄁に出かけたのは、私逹󠄁がまだ學生生活をしてゐた頃の、ある冬󠄀休暇であつた。その頃私逹󠄁は、麻󠄁布飯倉片町に、各々四疊半󠄁の小さな部屋を、一つ家の二階に借りて暮してゐた。ある晩私は彼に唐󠄁突な質問を持ちかけた、「君は學校󠄁を卒業する積りかい?」その頃既に、彼の宿痾の呼吸󠄁器病は、彼自らが案じてゐるよりも、遙かに憂慮すべきもののやうに私には思はれた。そのからだで、たとへ君が學校󠄁を出ることを得ても、どのやうな職業に就ける譯でもあるまい、君は一日も早く、君の文󠄁筆で生計を立てるより外はない、卒業證書を貰つたつて仕方がないではないか、そのやうな意󠄁味のことを、ともあれそつと、自分󠄁を世間並の健󠄁康人のやうに思ひなしてゐたかつた彼に向つて私は正面から説得した。最初彼は內心私を一喝してゐるもののやうに、俺は聽かないぞといふつもりの險惡な眼つきをしてゐた。けれどもやがて彼は答へて、僕が今學校󠄁を抛棄したと知つたなら、僕のためにこれまで不自由を忍󠄁んできてくれたおふくろが、いつたいどう思ふだらう君――さう言つて嘆息を洩らした。しかしながらそれから二三日の後、彼は數種の旅行案內書を取寄せて、轉地先に就て私にも相談をもちかけた。その冬󠄀休暇が明󠄁けて私が再び上京した時には、私の部屋とシムメトリイをなしてゐた彼の部屋には、一度築󠄁地の舞臺にも出たことがあるんだぜ、といふのを彼がいささか得意󠄁にしてゐた彼の持物の古めかしい机と椅子とが、窓から射し入る陽ざしをうけて虛ろな表情󠄁を見せてゐた。その後彼は東京に定住󠄁したい希望󠄂をもちながら遂󠄂にそれを許されなかった。
 さうしてその年の春であつたか、私は伊豆に彼を訪ねた。丁度その時、彼は宿を留守にしてゐたので、私は人の敎へるままに、溪流に沿󠄂つた道󠄁をK氏の宿の方へ、何か樂しい氣持でぶらぶらと步いていつた。するとある籬根の蔭から、紺絣の着物をきちんと着た、それこそ思ひがけないほど健󠄁康さうな樣子の彼が、不意󠄁に現れた。途󠄁端に彼は全󠄁く野蠻な大聲を發して、私に向つて數步の間を驅けつけた。いきなり彼は私の右手をとつて握手をしながら、それに應じてゐる私の手頸のところを、その上左手で持ち添󠄁へて、さうして大きく上下に動かした。ああその君の大袈裟な握手を、今梶井君、僕はもう一度憶ひ出す。
 あの時君は元氣だつた、あの頃君が君の養󠄁生にもつと專心してゐたなら。――けれどもそのために、君は餘りにも詩神に忠實だつたといふのなら、然り、僕は諦める。

 

 

三好達治「梶井基次󠄁郞君の憶出」(『全集6』所収)