三好達治bot(全文)

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「冬の朝」『百たびののち』

鵯どりが叫ぶ
霜のきびしい朝の庭木の梢から
襤褸(ぼろ)をまとつた利かぬ氣の婆さん
お前は近所の街角のけなげな働き手の誰かを私に思はせる
鵯どりがけたたましく叫ぶ
私はまづ何やら傷ましい感じに眼ざめつつそれに耐へる
そそつかし屋のお前がそこらの木實をそそつかしく啄むのを
私は歡迎しないものではない
私はまた高い松の梢のてつぺんにお前をふり仰いだ少年の日を憶ふ
それから私が何をしてきたことだらう
指をり數へるまでもない苦がい私の思出を私は暫く辛抱する
それでもこの庭さきの風情のない木立は
お前の来訪によつて暫くの間活氣をそへる
世界中は ともにあれ……

 

この國は いま陰鬱な冬のさなかにある
私はその空の凍てついた季節の中心に位置を占めるつもりの男だ
外界よしばらくそこに在れ
私は一碗の澁茶を味ふ
世界中は それからこの國は
私をして一碗の苦茗(くめい)にしづかに醉はしめるために存在する
私のまはりをとり圍む
かくいふならば それは手輕な私の獨ぎ合點といふものだらうか
さやう 襤褸(つづれ)をまとつて思想はかくも輕やかなこと
今日もまたひな曇る冬の朝の快感
彼女は彼女の中心から 鵯どりはまたけたたましく叫ぶ
さうして彼女は 彼女の甘き果實を啄み去つて冬の彼方に去る

 

 

三好達治「冬の朝」『百たびののち』(S50.7刊)

「かの一群のものを見る」『百たびののち』

重たくとざした灰色雲を屋根として
彼方に雪の山をおき
収穫の後に野にしろき煙たつ
枯れ木の梢むらさきに
煙はやがて靄となるに
影黑き藁塚
わづかに靑きものは麥
つつましく襟かきあはせ蹲(つく)ばへる聚落(じゆらく)々々を
日もすがら黑木の森を驅けめぐるかの一群のものを見る
ある日の旅をわがねつつ渡りの鳥はかくしつつ
その影高くしじまりて揚ると見れば網うつやうになだれたり
天(あめ)にしてかの諧調や
彼方に遠く沈みゆく一つ一つのかたき胸
熱くして快きはやき鼓動をつつみたる小さき胸の數を思ふ
なべてのものを伴へる
灰色雲のいづこにか遠くはるかに彼ら歌うたふ野の梢にまで

 

 

三好達治「かの一群のものを見る」『百たびののち』(S50.7刊)

「酩酊」『百たびののち』

水を涉りまた水を涉り
われら綠の野をすぎ
われら丘と谷間と山々とを越え
國のはて 異國の浦々を舟渡(ふなわた)りぬ
茫々と風にふかれ
地上を高く飛び去りゆく雲にまぎれ
幻の駱駝の瘤にまたがつて
ある日は陽炎にゆられゆられてさ
われらかくいつさいのものから遠く消え去りゆく
何ものか柔かき指にわれらが眼瞼(まなぶた)を重たくするまで
いかに いくたびか鹹(しほはゆ)き淚をそそぎしことの 苦がく熱かりし
まことはいはれなきものの上にもそそがれしを……
よきかな
汝の罪咎を忘るべし
わが在るはいづれの國ならし
聞け ひと日暮れ
軒の端に一羽の雀は沈默せんとして なほ一たび舌うちす
巷に玄米パンを呼ぶ聲あれども買ふ人なし
………………
盞を擧げよ
もとよりこの器は小さけれ
なほ一たびわれらが大いなる酩酊のうちを過ぎゆく時を許すなり
いぎたなき四足獸の足どりとぼとぼよろけつつ沙(いさご)のはてを過ぎゆくことを許すなり
よきかな
かくてわれらがことはてて美しき灰みな
とりあつめつつ彼の手に手渡すことの

 

 

三好達治「酩酊」『百たびののち』(S50.7刊)

「水の上」『百たびののち』以後

黑くすすけた蘆(あし)の穗に
冬の水が光つている
冬の川が流れている
霞のおくに煤けて落ちる夕陽にむかつて
川蒸汽が遠く歸つてゆく
昨日の曳船を解き放つて
ひとりぽつちの川蒸汽が帰ってゆく
身輕になつた 船脚で
――古い記憶だ

 

噫かのなつかしい人格
地上の友 地下の友 輝かしい歌の數々
しなやかな指 匂ひかな頰 袖たもと
とつくの昔に行方(ゆきがた)知れずの遠きもの
遠きもの更にここを遠く去る日の 水の上
取舵引いて 右へそれてさ
あの古靴のやうな川蒸汽も見えなくなつた 水の上

 

杖を上げて 風を切れ
甘く 悲しく 重々しく
つひにこの 輕やかな
別離の心で風を切れ

 

 

三好達治「水の上」『百たびののち』以後(『全集3』所収)

「わが手をとりし友ありき」『百たびののち拾遺』

わが手をとりし友ありき
友はみな彼方に去りぬ

 

花ならば自(みづか)ら摧(くだ)く
古き曆を破りされ

 

ひややかに且はほのめく
われは自らわが手をとる

 

都のほとりの夜半(やはん)なり
ものの音は一つ一つに沈默す

 

夜半の袖もほころびし
われは自らわが手をとる

 

われは自らわが手をとる
かくて今むすぶ環(たまき)は何ならむ

 

聖なる虛無に人の負ふ
はるかなる二つの負債(おひめ)

 

寂寥と追憶と
結びて一(いつ)の環をなす

 

かかる小さき領分の
かかる夜半を流れゆく

 

その海は鹹(しほは)ゆく
その海風は甘きかな

 

さらばげに花ならばかくして摧く
古き曆を破り去れ

 

 

三好達治「わが手をとりし友ありき」『百たびののち拾遺』(『全集3』所収)

「花の香」『百たびののち』

私は思ふ 暖かい南をうけた遠い丘
そこに群がる水仙花 黑潮に突出た岬
かの群落を思ふのは
さうして旅仕度を思ふのは
この年ごろこの季節の私の習ひ 白晝夢
今日また爐邊にそれをくりかへす
芳香はもう鼻をうつて 部屋に漂ふ

 

噫 ある年の雪の朝
戰さに敗けて歸つてきた海軍さんから
梅を一枝もらつたけ 丈は丈餘
天井につかへ この部屋の半ばを領した
白晝夢は その芳香にもまたつながる
海軍さんは和尚さん 淡紅梅は後庭花(こうていくわ)
ずゐぶん氣前もよかつたが
法衣の肩にあれをかついで 町中(まちなか)を
ゆらりとござつた若法師
先年ぽつくり 道山(だうざん)に歸りたまふた
本意(ほい)ないことに思ふから あの芳香が
またしても ゆかしいものが鼻をうつ

 

霜の後(のち)なほ殘る軒端の菊 ほろ苦(にが)い香を
冬の薔薇(ばら) 甘い薰りを 私は思ふ
とりどりの思出の姿のやうに 聲のやうに
目方のやうに 私はそれを爐邊に受とる
すなはちそれが私を呼ぶ この
心一つを さてまた風にさらさうと
旅の仕度にとりかかる

 

三好達治「花の香」『百たびののち』(S50.7刊)

「砂の錨」『百たびののち』

百の別離
百たびの百の別離の 百たびを重ねたのちに
赤つさびた雙手錨(もろていかり)がごろりとここにねこんでゐる砂の上
こんな奴らのことだから 素つ裸さ
吹きつさらしの寒ざらし
それでもここの濱びさし 軒つぱには陽がさして
物置きだから誰もゐない
そこらの海はうす濁つて いづれ誰かの着ふるしさ よごれた波をうちあげる
忘れたじぶんにもう一ど 七つさがりの 袖たもと……
ああもう何の用もない古い記憶をうちあげる波うちぎは
俺はまたこんな世間のはづれまで何をたづねてきただらう
世界ぢゆうはここからはずつとむかふの遙かの方で
電波塔よりなほ高く煙火やなんぞ打上げてお祭氣分でゐるらしい
それも昨日の をとと日の いい氣なもんさ
三年前のふる新聞にもぎつしりの その出來事で今日もまた
ぎつしり詰めのマッチ箱 よくよくそれを積み重ね
流れ作業でかきまはし……
だからそこらの煙突は休まず煙を吐いてゐる
吐いてゐる
工場街はでこでこに積木の上にもう一つ 充實緊張傾きかかつたざまはない低姿勢だ
今日の夕陽の落ちかかる岬の鼻までせり出して
時には汽笛(ふえ)もふくだらう
こんなところにやつてきて俺の見るものは
踵(かがと)のきれたぼろ靴が二足半ほど
そいつも煙を吐いてゐる 古ぼろ船が艫(とも)をそろへて
痩せつこけたおふくろの あすこの棧橋の下つ腹にかじりついてる
ああいぢらしいそんな家畜にせつせとブラシをかけてゐる水夫たち
ポンポン・ルウジュの鼻唄まで
いちいち俺はていねいに眼がねでもつてのぞいてやつた
ーーたしか去年の春だつた
たしかにあれは夏のすゑ いやもうそれは秋だつた そんな日なみに
倉庫のかげから飛んでゆく 白くほほけたタンポポの 小さな綿毛の
ヘリコプターの飛んでゆくのを見たつけな
つかぬことまでもう一つ ここにきて俺は思出した
思出した つまりは もう一度それを忘れた きりもないこと
げにげに俺の見るものは ここらあたりの見渡しは
づつしり重い風景で そいつが俺を輕くする
ああ俺を 輕くする 重くする 重たくする
こいつに限るよ
どうだらう
夢のやうにも輕々と
づつしり重たく赤さびて ああ俺自身肱を張つて
遠い遠い別離のあと こんなところでねこんでる 砂の錨だ

 

 

三好達治砂の錨」『百たびののち』(S50.7刊)