三好達治bot(全文)

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「庭すずめ七」『百たびののち』

例年の例のとほりに
冬に入るとまた雀らが歸つてくる
柿の木の高いところに しばらく見失つてゐた數だけ集つてゐる
柿の木は裸で 彼らはすつきり恰幅がよくなつて見える
艶やかに磨きがかかつて 落ちつき拂つて見える
あのおしやべり屋がだまつてゐる
冬の日は暖かに この貧しい庭にもふりそそいでゐる
この家の主じはいささかの食餌(しよくじ)を 彼らのために毎日忘れないしきたりであるが
今年もまたその季節の間二た月ばかり 彼らはここを留守にした
さうして忘れず歸つてきた
いづれは武蔵野いちめんの田圃をかけまはつてきたのであらう
えいえいわいわい八方から集つた仲間と大騷ぎで
二百羽三百羽と群れをなして朝つぱらから
そこらのとり收れどきを荒しまはつてきたのに違ひない
お百姓さんには憎まれつ放し 迷惑のかけつ放しで
好き放題な食ひ逃げのあと 風をくらつて舞ひもどつてきた
あのおしやべり屋が だまつてゐる
それでもその數はきちんともとの一組である
まあよく無事にもどつてきたものさ

 

群盗のはてのちりぢり柿の木に
ふところ手する庭すずめ七

 

 

三好達治「庭すずめ七」『百たびののち』(S50.7刊)

「朝なりき」『百たびののち』

朝なりき靑木の蔭に
胸の和毛(にこげ)を雙の羽(は)をかいつくろふと小鶲(こびたき)の
陽は木洩れ陽の破(や)れ壁に
巷(ちまた)のこゑは遠く絶え ふとも微かにともよすに
――小雨鶲(こさめびたき)のかくれ栖(す)む
金と綠を身づくろふ華奢(かさ)なる脚と黃の嘴(はし)と
朝なりき霜はゆるびて
風なきにものの一葉のふとも落つ
陽にすきて 陽のしづく 朝の血潮
一定(いちぢやう)夏より冬にそそぐなり
さは愕(おどろ)きやすきもの 汝(なんぢ)のみかは
低き軒端をゆくやうに頸をすくめて身じろぎし
我もまた玻璃(はり)のうちためにかく愕かんとす
されどなほ
去らであれ友
太陽はいま一たび我らがために眼ざめたり
こぞの日もこの玻璃ちかく迷ひ子の 野の迷ひ子の
ふくらなる彼の孤獨を木がくれにも來ておきし
げに新しき昨日に似たり
たとふれば汚(よご)れし海のわたなかの伽羅(きやら)の流れ木
よるべも知らぬ漂泊と
脆(もろ)げなる美と沈默と 絶えずする身慄ひと
その朝の身づくろひ さて一やすみ
――今汝に於て一つなる
遠き天より一葉落ち
(さなりまぢかき出發のため)
この朝(あした)おのがじし我らに於ける愕きの その快き羽搏(はばた)きの二つに於て一つなる

 

 

三好達治「朝なりき」『百たびののち』(S50.7刊)

「茶鼎角」『百たびののち』

くろがねなればたのもしく
そのこゑさやか
さやさやと夜もすがら鳴るを友とす
ことあげ多しわが友ら
善しを善し惡しを惡ししと
憂ひいふ世のさまなれど
ある時は束(つか)ね忘れて我は倚(よ)る
やつれ釜古志(こし)の蘆屋(あしや)に
うつら聽く遠き潮騷
――嶺の嵐か松風か
たづぬる人は近ごろ不在の氣やすさに
さながらや
霜夜(しもよ)のふけの手を膝に
ゆくら旅ゆく心なり
春夏すぎてその夢は
やがて枯野をかけめぐる
鼎(てい)や 茶鼎(さてい)
多謝す汝によりてなり
ひと年これに名を呼びて其角(きかく)と命じ
その肩にもたれかかりて居睡りし日をこそ思へ
戰さにやぶれ食に飢ゑ
海のほとりをさまよひし日の夜ふけに
うつけ者うつらもの思(も)ふわが癖(へき)はとみに長じぬ
壁にむかひて酒をくみ
ある時は口(く)ごもりいひつ
かのメリケンの輩(ともがら)に敗けでもの戰さなりしよ
聞く人あらば嗤(わら)ふべし
酒つきて淚はおちき
時ふればはた省みてうとましなべて
さるからにとある冬の日 數寄(すき)をいふ友の來たりて
やつれ釜やつれを檢(けみ)し
ねたしとや わが角(かく)を あやしやといふ
まがひものならばなるべし
さもなん
主(あるじ)は知らず
よしあしは卿らにまかす
覊旅十歲(きりよととせ)わが手撫づ古志の蘆屋の――

 

 

三好達治「茶鼎角」『百たびののち』(S50.7刊)

「冬の朝」『百たびののち』

鵯どりが叫ぶ
霜のきびしい朝の庭木の梢から
襤褸(ぼろ)をまとつた利かぬ氣の婆さん
お前は近所の街角のけなげな働き手の誰かを私に思はせる
鵯どりがけたたましく叫ぶ
私はまづ何やら傷ましい感じに眼ざめつつそれに耐へる
そそつかし屋のお前がそこらの木實をそそつかしく啄むのを
私は歡迎しないものではない
私はまた高い松の梢のてつぺんにお前をふり仰いだ少年の日を憶ふ
それから私が何をしてきたことだらう
指をり數へるまでもない苦がい私の思出を私は暫く辛抱する
それでもこの庭さきの風情のない木立は
お前の来訪によつて暫くの間活氣をそへる
世界中は ともにあれ……

 

この國は いま陰鬱な冬のさなかにある
私はその空の凍てついた季節の中心に位置を占めるつもりの男だ
外界よしばらくそこに在れ
私は一碗の澁茶を味ふ
世界中は それからこの國は
私をして一碗の苦茗(くめい)にしづかに醉はしめるために存在する
私のまはりをとり圍む
かくいふならば それは手輕な私の獨ぎ合點といふものだらうか
さやう 襤褸(つづれ)をまとつて思想はかくも輕やかなこと
今日もまたひな曇る冬の朝の快感
彼女は彼女の中心から 鵯どりはまたけたたましく叫ぶ
さうして彼女は 彼女の甘き果實を啄み去つて冬の彼方に去る

 

 

三好達治「冬の朝」『百たびののち』(S50.7刊)

「かの一群のものを見る」『百たびののち』

重たくとざした灰色雲を屋根として
彼方に雪の山をおき
収穫の後に野にしろき煙たつ
枯れ木の梢むらさきに
煙はやがて靄となるに
影黑き藁塚
わづかに靑きものは麥
つつましく襟かきあはせ蹲(つく)ばへる聚落(じゆらく)々々を
日もすがら黑木の森を驅けめぐるかの一群のものを見る
ある日の旅をわがねつつ渡りの鳥はかくしつつ
その影高くしじまりて揚ると見れば網うつやうになだれたり
天(あめ)にしてかの諧調や
彼方に遠く沈みゆく一つ一つのかたき胸
熱くして快きはやき鼓動をつつみたる小さき胸の數を思ふ
なべてのものを伴へる
灰色雲のいづこにか遠くはるかに彼ら歌うたふ野の梢にまで

 

 

三好達治「かの一群のものを見る」『百たびののち』(S50.7刊)

「酩酊」『百たびののち』

水を涉りまた水を涉り
われら綠の野をすぎ
われら丘と谷間と山々とを越え
國のはて 異國の浦々を舟渡(ふなわた)りぬ
茫々と風にふかれ
地上を高く飛び去りゆく雲にまぎれ
幻の駱駝の瘤にまたがつて
ある日は陽炎にゆられゆられてさ
われらかくいつさいのものから遠く消え去りゆく
何ものか柔かき指にわれらが眼瞼(まなぶた)を重たくするまで
いかに いくたびか鹹(しほはゆ)き淚をそそぎしことの 苦がく熱かりし
まことはいはれなきものの上にもそそがれしを……
よきかな
汝の罪咎を忘るべし
わが在るはいづれの國ならし
聞け ひと日暮れ
軒の端に一羽の雀は沈默せんとして なほ一たび舌うちす
巷に玄米パンを呼ぶ聲あれども買ふ人なし
………………
盞を擧げよ
もとよりこの器は小さけれ
なほ一たびわれらが大いなる酩酊のうちを過ぎゆく時を許すなり
いぎたなき四足獸の足どりとぼとぼよろけつつ沙(いさご)のはてを過ぎゆくことを許すなり
よきかな
かくてわれらがことはてて美しき灰みな
とりあつめつつ彼の手に手渡すことの

 

 

三好達治「酩酊」『百たびののち』(S50.7刊)

「水の上」『百たびののち』以後

黑くすすけた蘆(あし)の穗に
冬の水が光つている
冬の川が流れている
霞のおくに煤けて落ちる夕陽にむかつて
川蒸汽が遠く歸つてゆく
昨日の曳船を解き放つて
ひとりぽつちの川蒸汽が帰ってゆく
身輕になつた 船脚で
――古い記憶だ

 

噫かのなつかしい人格
地上の友 地下の友 輝かしい歌の數々
しなやかな指 匂ひかな頰 袖たもと
とつくの昔に行方(ゆきがた)知れずの遠きもの
遠きもの更にここを遠く去る日の 水の上
取舵引いて 右へそれてさ
あの古靴のやうな川蒸汽も見えなくなつた 水の上

 

杖を上げて 風を切れ
甘く 悲しく 重々しく
つひにこの 輕やかな
別離の心で風を切れ

 

 

三好達治「水の上」『百たびののち』以後(『全集3』所収)