三好達治bot(全文)

twitterで運転中の三好達治bot補完用ブログです。bot及びブログについては「三好達治botについて」をご覧ください

「日本語の韻律」

      萩原朔太郞氏著『純正詩論』讀後の感想

 

 萩原朔太郞氏の近著『純正詩論』は、氏の前著『詩の原理』と全く同一系統に屬する、氏一流の浪漫派的詩論を縷說した、愉快な讀物である。この著者の書物は、一讀して甚だ氣持がいゝ、論鋒がテキパキしてゐて、頗る大膽であり、細節末梢の、まだ/\疑問や推究の餘地を存する部分を、さも面倒臭さうに、さもさも自明の事柄のやうに、さつさと脇へ押しやり切捨てゝしまつて、ともかくも論旨をおもふ存分のところまで導いてゆく、といふやり方である。甚だ亂暴專擅なやり方で、讀者の方で讀みながら、不安や疑惑を感じないでもない、私など、大へん心もとない氣持がするのである。ニイチェもトルストイもモウパッサンも十把一からげに援引され、見よ、かくのごとく西洋の文學は、總じて悲劇的である、といふ風な論斷が下される、その手際はまことに颯爽として、その著想は極めて警拔である。私など、いつもながら感服せざるを得ないのであるが、どうにもその推論の過程に、充分な滿足を覺える譯にはゆかない。結論の命題に就ては、だいたい讚意を表したいやうな場合にも、さうした結語に到るまでのプロセスを、そのまゝうけ容れるのには少からず躊躇を感ずる。恐らく著者は、最も結語を尊重し、それを求めるに急なる餘り、多く簡明な直觀の力にたより、論究のプロセスはやや二の次に考へてゐられるのであらうが、寧ろかかる文學論の、論究の眞面目は、最もその經過の途中に盡されるものの如く、私などは考へる。一つの讀書が、讀者に與へる感化や影響などといふものも、その終局の結論によつてよりも、寧ろその探索の途すがらに於て果されるもののやうに考へられるのである。かういふ見方よりすれば、この書物は處々(しよ/″\)に薄弱の個處を有し、また大小の瑕瑾を隨處に存してゐるかのやうに見うけられる。しかしながらまた、それらの疲弊瑕瑾の數〻にも拘らず、かいなでの凡庸人の手にかゝれば、到底法も形もつかないであらうやうな、その亂暴專擅な手法にも拘らず、なほこの書物は、銳く讀者の衷心に迫り來る、直觀的な秀れた機鋒を藏してゐる點で、人の胸に潛んでゐる、高貴な情感を搖り動かす、卓拔な詩情によつて一貫されてゐる點で、時代に比類のまれな長所をもまた備へてゐるのである。――さて次に、書中二三の問題にふれておかう。

 

 著者は、わが國現代の文化の混亂、言語の猥雜を指摘し、かゝる言語を以てしては、如何に天分の豐かな大詩人と雖も、到底西歐諸國の詩人に比肩すべき、秀詩をなすべくもない文化的地盤の惡條件を慨嘆し、我々の良き詩歌の成長は、かゝる粗野未熟の現代言語が多くの文學的努力によつて耕作され、精錬され、永い時間の後に、文學的の含蓄や陰影を附與された曉に於てのみ、漸く期待されるであらうと、一縷の希望を遠い未來に繫いでをられる。私もまた著者と共に現代文化の混亂、現代國語の猥雜を痛感し、詩歌の環境としての文化と、詩歌の素材としての言語との、基本的なこの二大要件の、甚だ非恩惠的なる現狀に就て、かねがね悲觀說を抱懷してゐるものである、この點で著者と私は意見を同うする。ところが著者はまた一方、詩歌の音韻的效果を最も尊重し拍節や韻律の、漢詩や西詩におけるが如き詩的效果を我等の詩歌の上にもまた期待してゐられる。さうして一方ではまた日本語の改良や成長を夢みてゐられるのである。甚だ悠久なる期待といはざるを得ない。この點、私は著者に同ずることを得ない。なるほど、詩歌における音韻的效果の尊重すべきは、もとより論を俟たない。漢詩や西詩における、その整齊の美感、その風韻の深情は他の何ものにも換難(かへがた)い藝術的效果をあげてゐる。しかしながらそれは、平仄や押韻の嚴しい法則に耐へうるだけの、資質を享けた言語にして始めて、期待さるべき效果であつて、わが日本語の如き、單なる押韻の法則のみにさへも、到底耐ふべくもない、脆弱の言語を以てしては、その點、西詩や漢詩の、詩法の重心を、そのまゝ拜借し踏襲する譯には到底參り難い。
 嘗て與謝野晶子女史らが、押韻詩の創作を試みられたが、ただにそれが初步的な試作であつたからといふだけでなく、その失敗の程度は、この眞面目な企てが全く滑稽に墮し了つたほどそれほど根本的に何か見當違ひの感を讀者に抱かせるものであつた。また例へば九鬼周造氏の如き、日本語に於ける、押韻の可能を究明し、自らもまたその試作を示してゐられる篤志家も存するが、その理論も、ひと通り辻褄を合せた程度にすぎず、その試作も何かしら語呂合せのやうな感が伴つて滑稽であり、何としても我等の母國語の、韻文として性能に缺けてゐる一事は、炳として覆ひ難い。

 

 著者萩原氏は、短歌における押韻の存在を例證し、その音韻的效果を力說してゐられる(――この論文は、本書中白眉のものである)が、なほそれも、眞の押韻と稱すべく、何らの確乎たる法則を有せず、極めて薄弱の、實は聲調と名稱すべき程度のものであらう。さうしてかゝる事情は、一に國語の性質の然らしめるものであつて、この性質たるや、如何なる文學的努力によるも、到底改變さるべき種類のものではない。如何なる文學的努力と雖も、この國語の性情の、標內において繰返さるゝが故である。さればさきにあげた、遠き未來に著者のかけてゐられる一縷の希望の如きも、かゝる基本的の問題に關しては、實は全く絶望的のものなることを知るのである。或は著者の希望も、西詩や漢詩におけるが如き韻律美を庶幾してゐられるのではなく、少くとも今日の蕪雜さに較べて比較的に雅馴な何かしら音樂的な感じのするといふ程度のものを期待してゐられるのであらうか、それならば私もまた、假りに讚意を表しておいてもいゝ。
 假りにといふのは私はまた著者とは別に、少しく考へるところがあるからである。實に、右に槪說したるが如き事情からして我らの母國語は、到底西詩や漢詩に倣つて、それらと等しなみの、音韻的な詩美を創造するには、根本の條件を異にした言語である。一言に云つて、我らの母國語は、最も非音樂的な言語である。然るが故に、俳句の如き、非音樂的な、單に印象的な特異の詩歌を產出したのであらう。
 俳句のあの短小な形式に、なほ進んでその音樂性を探り出さうとするのが、在來の鑑賞家の常套であるが、私はその細心な鑿穿に感嘆する前に、彼等がこの特異な詩歌の、最も重大の特質を見落してゐるのに驚くのである。檢微鏡的な鑿穿をしばらく措けば、あの短小な詩歌になほ音樂性を求めるのなどは全くの徒爾であらう。俳句はもともと、音樂的な效果などを企圖してゐるものではない、それは端的な詩的印象を、最も無表情な言葉で認識しようと心掛けてゐるのみである。その定型の如きも印象を最も手短に整理する、便宜の手段であつて、音樂的の、言語の反復を目的としてゐるものではない。(例外的事情に就ては、しばらく考慮を拂はない。)

 さて然らば、韻律を無視した、單に詩的印象を內在するのみの詩歌、そのやうなものが、そもそも詩歌として、心理的に成立するであらうか、これをまた別の場合に就て考へてみよう。かの、我國の漢詩人等の場合は、この間の消息の、奇妙な一例となるであらう。彼等は中華人等と全く等しなみの嚴格な作詩の法則を遵守し、その平仄ゃ押韻の規則に從つて、全く音樂的に組み立てられた定型詩を創作し、而も創作者自らは、その音樂を自身の耳をもつて聞きとることはしないで、甚だ散文的な日本讀みに之れを解讀し、恰も一種の不定型自由詩、嚴密にいへば散文詩の如くにこれを諷誦、吟味し、その上、月旦(げつたん)上下してゐたのである。かかる場合彼等が心理的に、一種整然たるポエジイを感得してゐたであらうことは、ほとんど、推察に難くはない。これを以てみれば、詩歌の、韻律的約束と離れたその意味、卽ちその詩的印象もまた、獨立して心理的に、一種のポエジイを構成しうるものなるを知るのである。我等が漢詩の日本讀み、あのプロザイックの日本讀みによつてすら、百の詩人を百の詩人として、味讀し判別しうるものは、その聲調によつてよりも、寧ろ主としてこの心理的の、詩的印象に依賴するのであらう。この詩的印象の存在によつてこそまた實に、所謂散文なるものの成立も可能とされるのではあるまいか。
 かく觀じ來れば、詩歌における音樂性は、勿論詩歌そのものでも、また詩的印象そのものでもなく、單なる二次的の屬性と見ることをうるのである。然るが故に、私は、詩歌に於ける音樂性を、强ちに輕視せざるも、また『純正詩論』の著者の如く、これを偏重しようとは考へない。從つてまた、日本語の將來に、西詩その他の如く、音韻的に完備した長詩を產しうる日の來るべしとも考へないし、それかと云つて、この永遠に非音樂的な日本語が、また直ちにその故を以て、詩語としての資格を致命的に缺如せるものとも考へない。
 ただ我らの詩歌は、われらの母國語の宿命に從つて、その獨自の途、私見を以てすれば、ともあれ詩的印象を把持せんとする、その意味で印象派的なる手法を追ふ、その獨自の途を開拓すべきであらうと愚考するのである。
 右は甚だ匇卒の文章で、不備の點は甚だ多いが、帝大新聞記者の需めに應じて、假りにこゝで筆を措く。

 

三好達治「日本語の韻律」(『全集5』所収)

『朝菜集』自序

 ちかごろ書肆のすすめにより、おのれまたをりからおもふところいささかありて、この書ひとまきをあみぬ。なづけて朝菜集といふ。いにしへのあまの子らが、あさごとに磯菜つみけんなりはひのごとく、おのれまたとしつき飢ゑ渇きたるおのれがこころひとつをやしなはんとて、これらのうたをうたひつづりたるここちぞする。いまはたかへりみてみづからあはれよとおぼゆるもをこなりかし。げにこれらのうた、そのふるきはほとほとはたとせばかりもとほき日のもの、そのあたらしきはきその吟詠、いづれみなただひとふしのおのがしらべにしたがへしとのみ、みづからはなほおもへれど、みじかからぬとしつき世のさまのうつりかはりしあと、かの萬波あひうちしなごりもや、そこここにしるしとやいはん。うたのすがたそのこころばえをりふしにいたくたがひて、かれとこれとあるひはひとつ笛のうたぐちをもれいでしこゑとしもききとめがたからん。さらばこの笛のつくりあしきは證されたり――
 こはこれつくりあしき笛一竿、されどこの日おのれそをとりてつつしみひざまづきて、いまはなき
 萩原朔太郎先生の尊靈のみまへにささげまつらんとす。
 そはこの鄙吝の身をもつて、おのれとしごろ詩歌のみちにしたがへるもの、ほかならずただ師のきみの高風を敬慕しまつれるの餘のみ。いま身は垂老の日にのぞみ、師は白玉樓中にさりたまふ、しかして世は曠古の大局にあたりて兵馬倥偬をきはめたり。感懷まことにとどまるところをしらざらんとするなり。ときはこれ昭和癸未のとし春のひと日、おのれまたこのひとまきの境をさりてながくかへりきたる日なきを知りをはんぬ。身たまたま肥薩の山野に漂泊して、萬象靉靆たるあひだにあり、しかしてこの序をしるしつつ、心頭を徂徠する雲影のうたた悲涼ならんとするをみづからあやしむとしかいふ。

 

三好達治『朝菜集』自序(『全集2』所収)

「朝の小雀女」『故郷の花』

山遠くめぐりきて
朝ごとに來て鳴け小雀(こがら)
雲破れ
日赤く
露しとど
落葉朽つ香のみほのかに
艸の實の紅きこの庭
この庭に來て鳴け小雀
破風(はふ)をもる煙かすかに
水を汲む音はをりふし
この庵(あん)に人は住めども
日もすがら窓をとざせり
秋も去り冬の朝(あした)は
弊衣領(へいいえり)寒く
隙間風こころに透り
また方外に遊ぶに倦んず
折からや
いばらの垣に
百日紅枯れし小枝に
藤棚に
松のしづ枝に
來て鳴け小雀
曇りなき水晶の珠二つ
相寄りてふれあふごとき
そのこゑのすずしさをもて
いざさらば
たへがたき人の世の辛酸
ことさらにひややかに
われらが骨に入らしめよ

 

 

三好達治「朝の小雀女」『故鄕の花』(S21.4刊)

「路」

 鼠坂、そんな名の坂がどこか四谷の方にあつた、それをここにも假りてもいいやうな坂が、ふと電車の窓から見える。中年の人物が一人自轉車をおさへて降りてくるのが、ちらりと見えたきりで、それが眼にのこる。時刻は夕暮れであつたから、何やら風情があつた。

 坂とは限らぬ、道といふものは何やら情趣の深いものである。この道や――、と芭蕉もそれを率直にうたつて得心したことであらう。白秋の「落葉松」の詩も、あの小徑が林の奧に分け入つてゆく條りがいい。あれは格別お誂へむきのやうだが、それほど特色のない平凡な田舍道でも、こちらにその用意さへあれば、なかなか面白く眺められるのがたいていである。雜誌の口繪寫眞のやうなものでも、寫眞の主題の方は別として、どこからかそこまでつづいてきて先の方はすぐに見えなくなつてゐる道、道そのものの一コマとして、私はそれを暫らく眺めてゐるやうなことがある。そこに來かかつた步行者の一人として、ちよつと立ちどまつて、――といふ風な氣持で、寫眞を見ながら、暫くは旅情に似た、假りもののやうな一種の氣分を味ふことができる。

 いつぞやヘリコプターで伊勢灣を渡り、四日市市の高い煙突を左手に見送つて、坂は照る照るの鈴鹿山脈を越えたことがあつた。凡そ關西本線を道順の眼じるしとして、龜山、關、柘植といふやうな町々を空から眺めた。單線のひつそりとした鐡道線路、水量の少ない川筋、それにもつれあつて、白くくつきりとした綠の中に、丘を越え山を越え峠を越えてつづいてゐる街道が見えた複雜に枝分れしたりまた集つたりしながら、起伏の多い、耕地の乏しい地勢の間を、巧みに聯絡してゐるのが、地圖を見るのと何の變りもないけれども、いつまで眼で追つてゐても興趣のつきないほど面白く眺められた。うまいところに橋を渡し、うまいところで勾配をかはし、うまいぐあひに村と村とをつなぎ合してゐるのが、大きな山塊の重なり合つた意地の惡い地形、無慈悲な試驗問題に申分のなひ答へを出したやうに眺められるのが、面白く、美しく眺められた。伊賀から大和へかけての地形は、山嶽も小ぶりで、その山にも植林の行きとどいてゐるやうな、いはば開けた、見た眼も怪異な趣きのない國ぶりだけれども、それでもこの山國では、道普請は相當な骨折りでなければならない、それも察しられて、小學校のあるあたりに、細い小道の見え隱れするのなども、ついと飛び去る空中から、情趣ふかく眺められた。

 駱駝の足跡のつづく砂漠の路、そんなものは映畫か何かで見る外に、私はまだ見たことはないけれども、寢つきの惡い臥床の中で時たま、空想してみることはある。催眠用に效果のあるのを誰かから敎はつたのを實行してみると、なるほどいくらか效果はあるやうに覺える。無限の空間をまつ直ぐにつづいてゐる寂しい路。左右には何もない砂つ原で燒きつくやうに暑いと考へる。向ふの方の空は明るく、空いちめんに雲ともつかない薄靄のやうなものがひろがつてゐる、と考へる。私は駱駝にも乘らず、ひや飯草履のやうな足もとでひとりで、沙の上を踏んでゆく。いつも散步のやうなつもりで、とぼとぼ、步みはじめる、といふ空想である。

 そんな空想は、いつまでもつづくものではなく、いくらか努力をつづけて押し進めてゐるうち、風景は自然と變つて、日當りのいい築地の上に、色のいい木の實をたわわにつけた柿の木が傾きかかつてゐる、という風な、京都ならば嵯峨、奈良ならば高畑、あたりでいつか見かけたやうな光景に、間もなくすりかへられてしまふ。さうしてそれでもいいのである。私はひや飯草履で、築地のかげを步みつづける。向ふの方の、竹藪にむかつて、どうやらそれは春さきの、伊豆の、湯ヶ島の竹藪らしいのにむかつて……。

 

 

三好達治「路」(『全集10』所収)

「お花見日和」

 またお花見頃になつた。一月あまり仕事場に抑留されてゐた後久しぶりに東京に歸つて見るともうその季節であつた。抑留は人さまに約を果すためと己れ自身のお勝手向きのためとであつて、いささか引揚者めいた感慨を以てやうやく宅に歸つてほつとした折から、心はしきりと饑渴に促されてゐるのを覺えるのは、さういふ仕事が殆んど俗務にちかかつたせゐであらう。いつまでたつてもかういふ態たらくの繰りかへしである。手當りにそこらの書物を讀み漁つてみる。譯本の『ツアラトストラ』を開いたところから讀んでみる。鈴木虎雄先生譯註の『陶淵明詩解』をこの方はその日からの日課に讀みはじめる。二ヶ月越しにこじらせた風邪を持てあましてゐるので當分原稿用紙には向はないつもりでゐるとそれが許されない。窓外は申分のないお花見日和である。
 東京のお花見には每年懲りごりであるが、それでも私はお花見そのものにはたいへん食指の動く性分である。小田原にゐる時分にはお濠端の夜櫻を人混みの散じた時刻に存分に見て𢌞ることが出來た。サイカチ通りにはお化けが出るといふ噂があつて、そこの夜櫻は――さう月夜の晩などは殊にその陰森たる匂ひの漂ふ見事な花のトンネルが結構であつた。小田原といへば、櫻花にやや先んじて、ヅバイモモ――といふのは花桃の一種――の深紅の花の咲き盛る時分、お城跡のてつぺんに立つてそこから見下ろす閑院宮邸に、竹藪ぞひにその並木のつづいてゐるのを遠望するのは、これも格別結構であつた。小峰の梅林は昔日の面影もなく荒廢してゐたが、それでも今も記憶に殘つて忘れ難い名木が二三なほあるにはあつた。畫家の竹內栖鳳が湯河原から每年老軀寫生にやつて來たのは、そのうちことさら古怪な姿の一木であつて、それは葱畑の中に頽然と踏みとどまつて孤立してゐた。櫻に遲れては藤があつた。「御感の藤」といふのは、好奇の人にその季節に一見をお勸めしたい見事な花房の千年藤。――二宮神社に臨んでお濠端に架け渡した法外な藤棚はその一木のためのもので、まさかその季節にならこれを見落す人もありますまい。小田原案內記に亙るのはしか し差當り私の目的とするところではなかつた。つい懷舊談めいたのは風邪熱のせゐでもない。今年はお花見を斷念したのでやがてかう筆がそれたらしいのを覺える。俗事にかまけた後では何かしら夢のやうに美しいものをぼんやり頭においてゐたい。チュリップの花一輪のやうに單純なものでいい、それを一つ念頭に置いてゐたいのである。
 さういふ饑渴の感を懷いてゐると、きまつてそんな折ふし私の想像――追憶に浮んでくるのは、奇妙なことをいふやうだが、先年、霜の朝、佛國寺大雄殿の背後で聽いた栗鼠の聲である。栗鼠は鼠の族であるから、鼠のやうな鳴き方を多分心得てゐるであらう。そこまでは私は詳にしないが、 私の今いふのは、さういふ見すぼらしい地鳴きをいふのでは勿論ない。私は嘗てかういふ短いものを書いたことがある。

 

  霜紫に朝晴れて
  栗鼠の囀る佛國寺
  涸れたる井戸のおごそかに
  あれちのぎくの花咲きぬ

 

 栗鼠は囀るのである。これは誇張でない。それ一つが彼の持前の發聲であるかどうかは(――多分さうではあるまい)その後も私の詳にしないところで殘念だが、とにかく栗鼠の囀ること、それも羽族でいへば鳴禽類の相當優秀なのど自慢に比べて決して聞き劣りのしない美しい囀鳴、ルリとかコマドリとかのやうな節𢌞しのいい抑揚に富んだ技術で囀る――囀りうることは一寸意外のやうだが事實である。私は確かにそれを聽きとどけた。疑ふ人のために私はこれを念入りに斷つておきたい。佛國寺のお坊さんたちは或は每朝のやうにそれを聞き慣れてゐたであらうか。私は二度きり、その後再びは聞かなかつた。
 栗鼠は地上にちよこなんと坐つてゐた。大雄殿に向つて雜木林を背ろにしてその時彼は地上の枯芝の上に立膝のやうな姿勢でお行儀よく坐つてゐた。無論私はその彼を見出すまでに、暫くの間その囀りをそこらあたりの木立の梢に、空しく歌の主を探し求めてと見かう見してゐたのである。さうして私の眼と耳とがやがて確かに一致する位置に於て私は彼を見出した。私が彼を見出してからも、なほ暫くの間彼はその姿勢のままで彼の囀りを私にはお構ひなく繰りかへしてゐるのを私は見た。私は一寸呆氣にとられた形で步をとめた。私は聽きとれると同時に息を殺して見とれてゐた。彼がくるりと向きを變へて、やや徐ろに林にかけこんだのは、それから暫くたつてからであつた。
 栗鼠は囀るのである。地上にはわづかに霜が置いて、それはすがすがしい朝の空が爽やかに晴れ上つてゆく、五時すぎ六時にはまだ間のある時刻であつた。栗鼠もまた小鳥のやうに、さういふ朝の快感に浮かれ氣味に無心に囀つてゐたのであらうか。もしかすると、彼の歌はそれほど無邪氣な性質のものではなく、巧みな僞瞞で迂闊な相手を間近に呼び寄せておいて、すばやい次の動作に移らうとする狡猾な詭計であつたかも知れない、と私は推量した。私の推量は殺風景なものであつたが、それを含めてその朝ぜんたいは、――或はそれによつて一層いきいきと、今もなほ私には夢のやうに美しいものとして囘想される。
 佛國寺畔の小さな出來事を、瑣細な私の興味から、私は多分やや詳細に語りすぎたであらう。私があの南鮮の肌寒い霜の朝を、今も折につけ一つの甘美なものとして囘想するのは、それをいつも路づれにするとはいつても、しかし無論あの小動物のせゐではない。
 紫霞門、泛影樓、大雄殿、それらの伽藍を備へた佛國寺の堂宇は、その木造建築の部分はむろん近世の重修であつて誰の眼にもたいへん出來が惡い、無用のつけ足しといつてもいいくらゐに、その石壇や石塔石橋のいづれも蒼古として調和のいいのに比べて品位に甚だしい懸隔があつた。私はいつもその木造部分を想像の上では全く無視する見方を以て、朝夕境內をぶらぶらしながらこの環境を樂しむのを常とした。そこには靜かな廢墟の美があつた。「廢墟」こそは建築美を完成する一箇の形而上的な仕上げのやうにさへも、少しく辭を弄していへば考へられるくらゐに、私の自由勝手な見方のその世界には詩趣があつた。强力な風味があつた。扶餘の遺蹟にも慶州郊外の諸遺構にも常にそれがあつた。その甘美な夢のやうな惑はし多い魅力は、しかし佛國寺畔に於て比較的大かかりな規模と齊整とを以て――ほどよき見渡しの擴がりを以て感ぜられた。それは廢墟殿址といふもののそのまた纏まりのよさを以て一種調和的に靜謐に落ちつきよく感ぜられた。「栗鼠の囀る佛國寺」の霜の朝は、だから私にとつては一つのお誂へ向きの夢のやうな環境として歲月とともに一層忘れ難い感が深い。四圍の景物眺望とは別段關係なく、私の囘想の中ではただその一廓だけが――蕭然と。
 既に亡びしもの、なほ日日に亡びゆくもの、その大きな世界から寂しくとり殘された石組み――さうだ、あの高く築き上げられた城壁のやうな泛影樓下の石垣の裾𢌞りでは、白衣の老人が每日どこかからやつて來て小さな店を擴げてゐた。店といつても名ばかりの粒柿を並べたその露店。小春日和に遊覽客も稀れではなかつた。それらの人々の微かな營み、流れ、その背ろに高くそそり立つたあの居然たる石組み、蒼然たる意志、さういへば廢墟の美は、ある洗ひざらされた抵抗意志の骨格、さういふものの美感であるかも知れない。それは美の銳利なるもの、歲月の手に圓げられることによつて、いよいよ銳利に研ぎすまされた何かの切先のやうなものであらう。
 仕事場の俗務に疲れて歸つて來た私は、久しぶりに机邊の書を手當りに拾ひ讀みながら、窓外にお花見日和の陽光を見て、さすがに遊意が動かぬではなかつたが、每年の辛い眼に、眼を閉ぢて一輪のチュリップで彷彿させてゐよう、或は滿山霞の棚曳くやうな旺んな光景をでも空想してゐようとしたら、想念は手綱に從はぬ、はからずもかの銳利な切先にふと觸れることとなつた。
 一輪の鬱金香と、鷄林の廢刹と、しかし私にとつては、兩者はまことに近い距離に相隣りしてゐるのを覺える。

 

 

三好達治「お花見日和」(『全集10』所収)

「『檸檬』 ――梶井基次郎君に」

 君の本が出るのは何より喜しい、喜しいどころではない、僕は肩身の廣い誇りを感じる。僕らの時代の若い作家達の間で、君ほど最初から自信に滿ちた仕事をした人はない。最近君の原稿を整理しながら、僕はしみじみと君への敬意を新たにした。卷頭の「檸檬」の一作から、君は既に一家をなしてゐる。その作品が發表されてから、もう既に六年にもなるだらう。その間君は一圖に、一絲亂れない步なみで、君のレアリズムをつきつめた。君が多感だつた若い日に、君に及ぼした種々の影響も、君の秀れた把握力によつて、悉く正しい位置にまでつき戾され多彩な感興の交錯した結果から、年を經るに從つて、一層純粹な君の肖像が洗ひ出されてゐる。現在の我が文壇に於て、君ほど正確さを愛し、君ほど個性のレアリテを明らかに示した人はゐないだらう。君の藝術に就ては、なほ後日僕は多少の文章を費したい。
 君の本が出る。永久の本、確かにこれは永久に滅びない本だ。君の本が出ることは、僕の無上の喜びである。いささか蕪辭を連ねた罪は、許し給へ。

 

 

三好達治「『檸檬』 ――梶井基次郎君に」(『全集12』所収)

「寂光土」『百たびののち』以後

風の波 風の色 風の足音
その一陣 一陣
……………
羊の群れを逐(お)ふてゆく それも旅人
逐ふ人も 背(うし)ろの風に逐はれてゆく
……………
穢土寂光(ゑどじやくくわう)は 冬の日に
風の來て掃(は)いて淸めた庭だらう
ゆつくりとした步(あし)どりで
影のない羊の群れを逐ふてゆく
今日の日の私は移住者
草みな枯れた日の庭の 遊牧(いうぼく)の民(たみ)の一人だ
……………
戰さに敗けた遠い日の 激しい怒りと悲しみと
ふと心に泛(うか)び 空飛ぶ雲の飛ぶままにそれを見おくり
私の上を掠(かす)め去る姿さみしい鵯(ひよ)どりか
心はまたきりりと向きをかへ 彼方なる木立に沈む
……………
路にうつむく石ぼとけ
行路(かうろ)の人の名を知らぬ無緣(むえん)ぼとけの供養塔(くやうたふ)
見るものいづれも彩(あや)はないけれども

 

ただ華やかに
冬の日はいま暖かに肩にそそぎ
リュックは快い汗となる
穢土寂光は げにもこそ この枯草原をいふだらう
私の過去のいつさいも
いまこの孤獨な杖に 杖の先にたしかめながら踏(ふ)んでゆく
ゆるやかな土壤の起き伏し
ただ茫々(ばうばう)と枯生(かれふ)つづきの乏しい眺めに異るまい

 

林に沈んだ鵯どりは またその梢に泛(うか)び出て
きりりと鋭く向きをかへ 叫びかつ叫びて去るを………

 

 

三好達治「寂光土」『百たびののち』以後(『全集3』所収)