「閑窓一盞」『百たびののち』
憐むべし糊口に穢れたれば
一盞(いつさん)はまづわが膓(はら)わたにそそぐべし
よき友らおほく地下にあり
時に彼らを憶ふ
また一盞をそそぐべし
わが心つめたき石に似たれども
世に憤りなきにしもあらず
また一盞をそそぐべし
露消󠄁えて天晴る
わが庭󠄁の破れし甕(かめ)にこの朝󠄁(あした)來りて水浴ぶは
黃金褐(わうごんかつ)の小雨鶲(こさめびたき)
小さき虹もたつならし
天の羽衣すがしきになほ水そそぐはよし
また一盞をそそぐべし
信あるかな爾
十歲わが寒󠄁庭󠄁を訪ふを替へず
われは東西南北の客
流寓に疲れたれども
一日(いちじつ)汝によりて自ら支ふ
如何にために又々一盞をそそがざらでやは
三好達治「落ち葉つきて」『百たびののち』(S50.7刊)