天上大風 かぐろい風はふき起󠄁りはるかな空に雪󠄁はふる 雪󠄁はふる遠󠄁い親らの越えてこし 尾根に峠に燒き畑に 戰さの跡に雪󠄁はふる 雪󠄁はふるふる雪󠄁は 遠󠄁い親らの墓の 一丈󠄁五尺ふりつもる 夜(よ)のくだち 二更󠄁三更󠄁厩の馬は鼻󠄁を鳴らす 床を蹴る……また…
こんこんこな雪󠄁ふる朝󠄁に梅が一りんさきましたまた水仙もさきました海にむかつてさきました海はどんどと冬󠄀のこゑ空より靑い沖のいろ沖にうかんだはなれ島島では梅がさきましたまた水仙もさきました赤いつばきもさきました三つの花󠄁は三つのいろ三つの顏で…
灰󠄁が降る灰󠄁が降る成󠄁層圈から灰󠄁が降る 灰󠄁が降る灰󠄁が降る世界一列灰󠄁が降る 北極熊もペンギンも椰子も菫も鶯も 知らぬが佛でゐるうちに世界一列店(たな)だてだ 一つの胡桃(くるみ)をわけあつて彼らが何をするだらう 死の總計の灰󠄁をまくとんだ花󠄁咲󠄁…
碧落(へきらく)に城あり層々風に鳴る邱阜(きうふ)うやうやしく跪(ひざま)づき長流はるかに廻(めぐ)る百世舊(きう)のごとし景を踐(ふ)んで人事勿忙の嘆(たん)あり歲晩淡紅の花また折からや草屋の墻根(かきね)に散りしくを見る誰ひとか煙霞(…
憐むべし糊口に穢れたれば一盞(いつさん)はまづわが膓(はら)わたにそそぐべしよき友らおほく地下にあり時に彼らを憶ふまた一盞をそそぐべしわが心つめたき石に似たれども世に憤りなきにしもあらずまた一盞をそそぐべし露消󠄁えて天晴るわが庭󠄁の破れし甕…
その朝の出來事だつたそれは歌ひをはつたからわれらはじめて沈默をきいたその朝小鳥は死んだからむなしい窓の鳥籠にわれらはじめてそれをきいた風が來てわれらをとらへたわれら耳をかたむけたわれら風の中に永遠をきいた 風の波紋はひろがつて雛げしがそこに…
草におかれてうつぶせに大きな靑い吊鐘が橋のたもとにありましたどういふわけだか知りません 腹のところのうす赤い僕らは鮠(はや)を釣りました提(ひさ)げに入れるとすぐに死ぬそれははかない魚でした 動物園の前でした動物園では虎がなくライオンがなく…
むしやうにじやれつく仔羊どもにとりまかれてお前のからだのはんぶんもある重たい乳房を含ませながらうるさげに不精げに退屈げにけれども氣ながに――お前はお前で何かを遠くに眺めてゐる牝羊よごれてやつれていくらか老人めいて足もともたよりなげに考へごと…
この朝(あした)拾ひあつめし松ふぐりこの夕べ飯(いひ)かしぐ焰となるよ うつらうつら竈におこるこゑをきき聽くとなく昨日の海を今日もきく うつけびと袖も袂も赤々とくらき厨にゐたりけり ありとなく消えて飛ぶ丘の上の一つ家に立つけむり 遠(をち)か…
この日蕭々として黃梅の雨ふる日、我がどち君の歸鄕を待つ。歸る人は然れども旣に白玉樓中の客にして、遺影空しく待ちえて何を語らはんすべもなし。信濃なる淺間ヶ岳にたつ煙ただほのぼのとして半霄に遠きを見るに似たらんかしこの情や。しかしてげに遙かに…
空をさまよふ星だから小さい醜い星だから 星にたたへた海だから海に浮んだ陸だから 陸のこぼれた島だから島でそだつた猿だから お臀の鬼斑(あざ)は消しがたい何しろさういふわけだから チャリンコパチンコネオン燈ビンゴの玉はセルロイド パンパン孃の赤い…
橋の袂のチャルメラは屋臺車の支那蕎麥屋陶々亭の名もかなし要するにこれわんたんをくらわんかいの一ふしは客がないから吹く笛だ宵の九時から吹きそめて氣輕に吹けば音も輕く當座はややに花やげる親爺が茶利で君が代は千代に八千代にと吹きならす遠いえびす…
あの頃は空が低かつた肩が星につつかへた文なしで宿なしで彼は港をほつついた靴の踵(かかと)をひんまげて蟬のつぎはきりぎりすそれからつぎはこほろぎだ秋がきて霜がふりやさしい奴らはかくして死ぬさうして世間は靜かになり婆々あが砧をうつことだ我慢を…
傷(て)を負つてはんやになつて一羽の雉が墮ちてゆく 谿川の瀨の鳴る中をあたりに殘る谺の中を 谿のむかふへ墮ちてゆく墮ちてゆく 一度は空にあがつたが再び空に身をなげたが いづれは墮ちるものとして抛物線を墮ちてゆく 墮ちてゆく………… 夕暮れに眼をつむ…
落葉つきて 梢こずゑを透く陽ざし冬の夕陽をしなやかにゆりあげる彼らの仲間みなひと方にかたなびく欅の梢ここの並木の瘤こぶの老樹の肩 胸 腰腰かけほどにくねり上つたその根かたさけてよじれて傾いた變な窓からこの變てこなうつろからさへやつてくるついに…
——詩集「二十億光年の孤獨」序―— この若者は意󠄁外に遠󠄁くからやってきたしてその遠󠄁いどこやらから彼は昨日發つてきた十年よりさらにながい一日を彼は旅してきた千里の靴󠄁を借りもせず彼の踵で踏んできた路のりを何ではからうまたその曆を何ではからうけれど…
西へ西へ 西へなほ遠く夕燒けの彼方へさうしておれの空想は乞食のやうにうらぶれてある日の日暮れ東の國から歸つてきた 北へ北へ 北へなほ遠くかの極北へさうしてある日おれの思想は日にやけて腹をへらして南から乞食のやうによろめいて戾つてきたここらがお…
こんな陽氣にジャケツを着て牡丹の奧から上機嫌で百合の底から醉つ拂つてづんぐりむつくり 花粉にまみれてまるで幸福が重荷のやうにころげでる蜜蜂 世界一列春だからなんと君らが誇りかに光りにむかつて飛ぶことだ空しい過去の窖(あなぐら)から心には痛み…
朝だから鷄が鳴く燒野ヶ原のここかしこじやがいも畑や麥畑穗麥のみだれたむかふから人の住む窓も見えない遠くから 丘の上から 窪地からまだうす暗い煙突が 倒れかかつて驅け出しさうな草の上夜ののこりの影の上夜をひと夜蝶のまねした月見草もうおやすみこの…
ゆくがいい。人生はマラソンだ。あの遠い地平線まで、そら、驅けだしたまへ。諸君は出發點に勢ぞろひして、合圖の拳銃をまつてゐる。朝はまだ早い。春の野の若草は靑々として、天候は申分がない。ああよき日なるかな。希望は海のやうだ。諸君は健康にあふれ…
月半輪、無風、航路燈、海は鏡のやうだ。私は疲れて町から歸つてきた。風景は藍碧、在るものはみな牛のやうにまつ黑だ。虛無、幽玄。 私はしばらく砂の上に腰を下ろしてゐた。 舷燈さみしく、沖を渡る發動機船。遠い闇から港にかへつてくるその音、正しい鼓…
興安嶺…… いま日の暮れ方の椅子に在つて、私の思ふところは寂寞荒涼として名狀しがたい。さうして私は一葉の寫眞を膝において、私の思ふところになほ深く沈淪しようとする。どこまでも遠くつづいた山脈、遠景は雲に入つて見わけがたい山なみ、この鳥瞰圖のも…
ただ一つ喪服の蝶が松の林をかけぬけてひらりと海へ出ていつた風の傾斜にさからつてつまづきながら よろけながら我らが酒に醉ふやうにまつ赤な雲に醉つ拂つておほかたきつとさうだらうずんずん沖へ出ていつた出ていつた 遠く 遠くまた高く 喪服の袖が見えず…
颱風が來て水が出た日本東京に秋が來てちつぽけな象がやつて來た誕生二年六ケ月百貫でぶだが赤んぼだ 象は可愛い動物だ赤ん坊ならなほさらだ貨車の臥藁ねわらにねそべつてお薩さつやバナナをたべながら晝寢をしながらやつて來た ちつぽけな象がやつて来た牙…
住みなれし山にすまひしゆきなれし小徑みちをゆききききなれし㵎たにのせせらぎあぢあまきみづのみなもとくさをわけきりぎしをとびうなじふせつまとのむわきてこの八月のひるのすがしさふともわが思ふなりけり山ふかき林にすまふけだものののかかるあはれを…
天澄み 地涸きものみな磊塊一つ一つに嘆息す土塁頽くづれ夷たひらぎ石みな天を仰げり寂たるかな三旬雨降らずされば羊も跪づきともしき夢を反芻す風塵しばらく小止み畑つものなほ廣葉圓まろ葉のさゆらぐを見るかかる時なお拮槹けつこうかしこに動き再び動きて…
かなたの梢に憩ふものあり日は南 木は枯れて 空靑しまたこの冬のかばかりもさまかへし田のおもてものもなく人を見ず山低き野のすゑに憩ふものこころみになが指に數ふべし稚な兒よときの間のつれづれの汽車の窓よごれたる玻璃の陽ざしにさらばわれらがお指に…
王孫遊兮不歸 春草綠兮萋萋 ――楚辭 かげろふもゆる砂の上に草履がぬいであつたとさ 海は日ごとに靑けれど家出息子の影もなし 國は亡びて山河の存する如く父母は在おはして待てど 住の江の 住の江の太郞冠者くわじゃこそ本意ほいなけれ 鷗は愁い鳶は啼き 若菜…
ぼつぼつ櫻もふくらんだ旅立たうわれらの仲間名にしおふ都どり追風だ 北をさせさやうなら吾妻橋言問 白鬚さやうなら日本東京さやうなら闇市さやうなら鳩の街新宿上野のお孃さん一萬人の靴磨きさやうなら日本東京さやうならカストリ屋臺さやうなら平澤畫伯………
行人よ靴いだせ行人よ靴いだせ脂ぬり刷毛はかん泥ひぢはらひ釘うたん鋲うたん革うたん靴いだせ行人よ行人よ靴いだせ故鄕の柳水にうなだれ塵たかくジープは走れ掘割にゆく舟を見ず街衢みな平蕪ボイラー赤く錆び蛇管は草に渇きたりここにして筇つゑつき停たつ…