三好達治bot(全文)

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「海は今朝」『砂の砦』

海は今朝
砂の上にきて笑ふ
巖のはなから月の出に
ゆうべまた若い女が身を投げた
海は今朝
砂の上にきて笑ふ
ひと晩暈(かさ)をきてござつた
お月さまは西の空に
無慈悲な海よ
薄情者よ
けれどもやさしくなつかしい
今朝の海よ
姿のない木魂のやうな
夏の日の通り魔よ
紺碧の魔女よ
無限の生を犠牲(にへ)とした
奈落の底からふく風が
死のため息の潮の香が海苔(のり)の薰りが
ああお前の微笑が私をさそふ
朝の海よ
すべての悔恨を希望の衣裳にきせかへる
薔薇色の朝の聖水盤よ
神の廣場の演説家よ
おかまひなしの歌手(うたひて)よ
無慈悲な海よ
薄情者よ
はるかなその水平線よ
海は今朝
砂の上にきて笑ふ
お前の價は一切だ
手荒な獵師の指先が獲ものの羽根をむしるやうに
貧しい旅人の私からすべてを奪ひ
私の影さへも奪ひ去つて
私を裸にし
私を大膽にする
ああ朝の海よ
太陽の踏む階段のひと曲がりする躍場(をどりば)よ
すべての思想はここにきて彼らの脂粉をぬりかへる
樂屋裏よ𢌞舞臺よ
海は今朝
砂の上にきて笑ふ

 

 

三好達治「海は今朝」『砂の砦』(S21.7刊)