「暗い城のやうな家」『測量船拾遺』
私は暗い城のやうな家の門に立つてほとほとと扉を敲いてゐる。
――この扉をあけて下さい。私を通して下さい。どうぞそつと私をこの中へ入れて下さい。
すると中からしづかな聲が答へる。
――お前はそもそも何ものだ? もう今夜の人々はみんな入つてしまつた筈だ。お前は誰に呼ばれてきたのだ?
――いいえ、私は詩人です。私はひとりでまゐりました。
――それはいけない。この扉は、呼びよせられた者に向つてのみ、開かれることが許される。その他の者にはいつもとざされてあるのだ。お前は歸るがよい。
――私には歸るべき家がありません。それに私はひどく疲れてゐます。どうぞこの入口を通して下さい。
――なほお前にのこされた詩人の名譽と、そのためのあの華やかな都會とを思ひ起すがよい。
――年若い詩人の名譽のために、この扉をあけて下さい。
――お前の年とつた母と、お前の弟と、お前の友人たちと、彼らがお前を待つてゐる。彼らがお前を愛してゐないと思ふのか。それにお前の恋人もお前を愛してゐるではないか。
――私は彼らを愛してゐないのです。
――お前は人生を愛さなかつたのか! お前は人生を愛してゐないのか!
――……
――いやお前は人生を愛してゐる。
――もしも私が人々を愛してゐるのなら、この靜かな家の中で、私は彼らを待つてゐたいのです。街の中で、人々の間にあつては、私には、彼らを愛することが出來ないのです。
――さらばもう一度お前は歸るがよい。そしてお前の無爲と、お前の不眠症と、及びお前の憎惡とで、人々を愛してゐるがよい。お前は詩人だから。
――しかしそれは、才能のない私にとつて、二つのものの相等しいことを敎へるだけです。そしてその一つには、その上にたゞ苦惱のみがあるのです。
――だまれ! お前は何の恥辱もなしに私と會話することが出来るのか。お前は臆病であり、お前はたゞここの扉を敲くためにのみやつてきたのではないか。歸れ。お前は人生を愛してゐる。
――いいえ、歸りませぬ。
――お前はこの家にはいることが出来ないではないか。
――私には歸るところがありません。
――さらばそこにをれ。何ものもそれを妨げることは出來ないだらう。
三好達治「暗い城のやうな家」『測量船拾遺』(『全集1』所収)