三好達治bot(全文)

twitterで運転中の三好達治bot補完用ブログです。bot及びブログについては「三好達治botについて」をご覧ください

「門に客あり」『日光月光集』

門に客あり先生は
宅に在りやと問はすかな
昨日も鮒の子を賣ると
窓をたたきし村人の
さこそは我れをよばひたれ
世はそらごとのつねなれば
いつかは耳にききなれて
よばふにまかれうべなれど
まことは感のなからめや
老の眼鏡に書を讀むを
先生などと推(すゐ)すらめ
我れ何ごとの師ならんや
艸のとぼそに世を絕ちて
我れは用なき爐べり蟲
筆の穗をかむ悔はあれ
歎かひはあれ恥はあれ
朝もおもてをふせてゆく
うれひはあれど嚢中に
方孔錢(ほうこうせん)の輕きごと
肚裏(とり)にあませるものはなし
昨日の夢を今日は售(う)る
うたかたびとをうたびとと
ましてこちたき先生と
そらなる名もてよぶ勿れ
世はそらごとのつねなれど
我にはにがき名なりかし
おほかた人もあはれみて
おもてにのらすかりそめの
言(げん)にこころやひめたらし

 

さもあればあれあやまりて
風にいななくまねをせし
足のろ馬の日暮れ馬
千里の夢はあとなくて
空に吹雪は舞ふとても
天をあふがぬ戾り馬を
たとへていはば朝には
蜀の錦を賈はんとて
鐸(すず)の音かるく雲に入り
かの剣山(けんざん)の崔嵬(さいくわい)を
繪とも見しかど日暮れには
膝折りくぜり壑(たに)に墮ち
鞍も轡もおきてこし
笑はれぐさのすゑと知れ
さるを越路(こしぢ)の乙女らは
雪除茣蓙(ゆきよけござ)のゆきずりに
先生などと聲たかな
我何ごとの師ならんや

 

はやく望みを世にすてて
我れは能なき茶飮み蟲
晝は日すがら墨すりて
もの書きちらす反故の間の
粥すすり蟲晝臥蟲
昔都にまなびたる
學もおほかた忘れたり
乏しき才も情感も
すさぶにまかす放埓の
春はみじかく夏はとく
いらくさながき秋の庭
ありし小徑もうしなひぬ
何をいたみてかくばかり
やぶりてすてし身なりけん
昔のひとの袖袂
ほのかなれどもゆかしきは
邉土の梅の香にもこそ
かかるあはれをあはれとす
今日も今日とて艸の扉(と)の
日の暮れがたの梢より
何のこころかはらはらと
黑き木の實を七つ八つ
主(あるじ)の肩に帽の上に
落して飛びし鴉あり
鳥のするこそまさしくて
今は礫(つぶて)にやらはるる
身とも觀じてあらましを
こちたき名もてよぶ勿れ
我れ何ごとの師ならんや

 

我れ何ごとの師ならんや
路のなかばにくたびれて
雲間のともにおくれたる
はぐれ鳥ともあはれませ
鳥の身なればゆく空を
かくれもかへる日はあらじ
ああこの旅のはてなきに
路のほだしを何せんに
黃金も珠も用なけど
ただたまへかし願はくば
冬の夜の
黃ばみて暗き
灯のもとに
ただ一つ
われにはたまへ
遠き日の
千里の夢を
たまへかし

 

かかる願ひをうたたねの
手枕寒き假寢鳥
我れ何ごとの師ならんや

 

 

三好達治「門に客あり」『日光月光集』(S22.5、10刊)