三好達治bot(全文)

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「涙をぬぐつて働かう」『砂の砦』

——丙戊歲首に

 

みんなで希望をとりもどして淚をぬぐつて働かう
忘れがたい悲しみは忘れがたいままにしておかう
苦しい心は苦しいままに
けれどもその心を今日は一たび寛がう
みんなで元氣をとりもどして淚をぬぐつて働かう

 

最も惡い運命の颱風の眼は過ぎ去つた
最も惡い熱病の時は過ぎ去つた
すべての惡い時は今日もう彼方に去つた
樂しい春の日はなほ地平に遠く
冬の日は暗い谷間をうなだれて步みつづける
今日はまだわれらの曆は快適の季節に遠く
小鳥の歌は氷のかげに沈默し
田野も霜にうら枯れて
空にはさびしい風の声が叫んでゐる

 

けれどもすでに
すべての惡い時は今日はもう彼方に去つた
かたい小さな草花の蕾は
地面の底のくら闇からしづかに生れ出ようとする
かたくとざされた死と沈默の氷の底から
希望は一心に働く者の呼聲にこたへて
それは新しい帆布をかかげて
明日の水平線にあらはれる

 

ああその遠くからしづかに来るものを信じよう
みんなで一心につつましく心をあつめて信じよう
みんなで希望をとりもどして淚をぬぐつて働かう
今年のはじめのこの苦しい日を
今年の終りのもつとよい日に置き代へよう

 

 

三好達治「淚をぬぐつて働かう」『砂の砦』(S21.7刊)

「氷の季節」『砂の砦』

今は苦しい時だ
今はもつとも苦しい時だ
長い激しい戰さのあとで
四方の兵はみな敗れ
家は燒け
船は沈み
山林も田野も蕪れて
この窮乏の時を迎へる
七千萬のわれわれは
一人一人に無量の悲痛を懷いてゐる
怒りや失意や絕望や
とりかへしのつかない悲しい別離や
痛ましい孤獨や貧困や
飢餓や寒さや
ありとあらゆる死の行列の渦まく中で
七千萬のわれわれは一人一人に
人の力の擔ひ得ない悲哀の重荷を擔つてゐる
重荷はわれらの肉を破り
疲れたわれらの肩の上で
重荷はわれらの骨を摧く
今は苦しい時だ
長い苦しい戰さの時より
今はさらに苦しい時だ
ああ今
多くの人は深い心で沈默する
不吉な曆の冬の日ははてしがなく
小鳥のうたふ歌さへなく
暗いさみしい谷底を步みつづける
この窮乏の氷の季節を
けれどもわれらは進んでゆく
われらは辛抱づよく忍耐して
心を一つにして
われらは節度を守つて進んでゆく
われらを救うものは
ただ一つ 智慧
その忠言に耳傾けながら
われらはつつましく 用心深く
謙虛に未來を信賴して
明日を信ずる者の勇氣を以て
――勇氣を以て
人の耐へうる最も悲壯な最も沈痛な勇氣を以て
われらは進んでゆく……

 

 

三好達治「氷の季節」『砂の砦』(S21.7刊)

「横笛」『故郷の花』

幼き子らが月日ごろ
なにの愁ひをくれなゐの唇(くち)もきよらに
つれづれと吹きならひけん
いまほのぐらきものかげの
かばかり塵にうづもれてふしまろびたる橫笛
昨日子らは晴衣きて
南のかたに旅だちぬ
――かくはえうなく忘られて朱(あけ)もふりたる歌口を
ありのすさびのなつかしき幼なごころに
ふともわが吹けども鳴らず
吹けども鳴らず
鳴らねども
うつうつと眼をしとづればうらさびて
わが心のみ秋風にさまよひいでつ
くちずさむうたのひとふし

 

國は亡びて山河あり
城春にして
萌えいづる
萌えいづる
草のみどりを
ふみもゆけ
つばくらならば
はたはまた
ここの廣野にかへりこん
――かへりこん
心ままなる空の子よ
あとなき夢よ
春風の
柳の絲のたゆたひに

 

ふるるひよう
ひようふつと吹けばかすかに音をたてぬ
世は秋風の蕭條と
色もふりたる蛭卷の うつろの闇の 夢の香の
あればまたこの夕風にうごくとよ
老がを指をふるはせて……
ふるるひよう
ひようふよう
ふひよう
ひよう
調(てう)のけぢめも音(ね)のいろもさびおとろへて
いと遙かいと微かいと消ぬがにも たどたどと
ふみゆく歌の步どりや
夕木枯のとどろくに
盲(めしひ)の嫗(うば)が燭(そく)もなく手さぐりつたふ渡殿(わたどの)の
かずの隈々(くまぐま)……
ふひよう
ひよう
ふひよう
ひよう
ふひよう
さるからに 遠稻妻のかき消えて 夕顏の花はほの白う
おどろのかげのみじろぐに
わが吹く息もをののくか 弱くみじかく
あるは絕え あるはを休み
またよべばまたもこたへぬ
ふるる
ふるるひよう
ふひよう
されどこは笛の音いろもさしぐみて
ひとしほにまた廓寥(くわくれう)としてしはがれてふしはひとふし
たとふれば尾花がすゑに沈みゆく
渡りの鳥の
ひと群れの
いよいよに
遠き
羽風か

 

――音も絕えて
額(ひたひ)もさむく汗ばみぬ
げにいまは
夢なべて彼方に去りぬ
香もにがく菊はうら枯れほろびたり
こはすでに何のあはれぞ……
からび皺だみ節だちし
手もて涙はぬぐふべし
老がなげきはただひめよ
まことに笛は幼(をさな)らが
すさびのうつは
かかる日のはての日頃の手にとりそ
忘れても手になとりそね
かげもなくゆかりの色のさめはてて
さはかたくうつろの闇の扉(と)もとぢし歌の器は――

 

 

 

三好達治「橫笛」『故鄕の花』(S21.4刊)

「海辺暮唱」『故郷の花』

彼方に大いなる船見ゆ
敵國の船見ゆ
いえいえあれは雲です
彼方に靑き島見ゆ
島二つ見ゆ
いえいえあれは雲です

 

ひと日暮れんとして
悲しみ疲れたるわれらが心の上に
いま大いなる蓋(きぬがさ) 夕燒の空は赤く燃えてかかりたり
深き憂愁と激しき勞役との一日(いちじつ)の終りに
なべてはしばし美しき夢もて飾られぬ
浪のこゑしづかに語り
艪の音きしみ
鴉らはただ默默とひと方に飛ぶ
秋は既に深けれど山々はなほ綠さやかに
寂然(じやくねん)としてはてしなき想ひに耽れり
萬象はかく新らしき明日をむかへんとして
なつかしき空想とゆかしき沈默とはあまねく世界を領したり
ああ戰ひやみぬ
いくさ人おほく歸らず
戰ひやぶれし國のはて
古鐘またほろび
かかる時鳴りもいづべき梵音の
すゑながき淸淨音(せいじやうおん)をききもあへず
雲ははやおとろへ散じ縹(はなだ)の色もあせんとす

 

彼方に靑き島見ゆ
島二つ見ゆ
いえいえあれは雲です
彼方に大いなる船見ゆ
敵國の船見ゆ
いえいえあれは雲です

 

 

三好達治「海邊暮唱」『故鄕の花』(S21.4刊)

「帰らぬ日遠い昔」『故郷の花』

歸らぬ日
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔
(聽くがいい そらまた夜の遠くで
木深い遠くの方で鐘がなる)
遠い昔だ
何も彼も
雁(がん)も
鳩も
木兎も
みんな行方(ゆきがた)しれずだよ
あの子もどこでどうしたやら
つり眼狐の晝行燈
病身の
いつも無口な子だつたが
靑い顏して
いぢつけて
霜やけの手が赤つただれて さ
あの手もそれから…… 沙汰はない
どこの國でどうしてゐるやら
さ どうなつたやら
もう金輪際それつきり あれつきりか
思ひがけない今ン頃に
ふいとけふ日に思ひ出さうと
子供ごころのなんの知ろ
氣輕に跳(は)ねた
身輕に躍(と)んだ
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔だ
何も彼も
はるかな國
とつとはるかな遠い村
キリハタリ
キリハタリ
ハタリチヤウ チヤウ
またキリハタリ
歌もうたつた
石も投げた
それでもみんな機嫌な冬の日だつたけ
たつた一ついつまでも
梢には 黃色柚子(きいろゆず)の實
軒端には もろこしの種子(たね)
そいつを鴉がさらつてさ
織部燈籠に昨日から芭蕉がこけて
菊はもう添竹ばつかり
いつかの晩は
人魂がひと晩そこにやすんでゐたそこの隅に
淡紅梅が咲いて匂つて
匂ひは日向いつぱい庭いつぱい
さてしばらく耳でまつてゐた
垣根越しに
井戸の車がからからきこきこと
さてもしづかに
さてその人ごゑはきこえたのやら…………
朝がをはつて晝といふには間のある陽ざし
俺はまた裏の木戸から
寺の墓地の土塀の際(きは)の一本松の根かたへいつた
高い梢のすつかりもう朱い實のなくなつた寄生木には
鵯がそつぽを向いて
山にむかつてついと一つ頭を下げた
俺はその(ああその手ざはり)松の幹をたたいてみたつけ
いつもさうしてみるのだが
それもさて何といふ譯はなかつた
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔だ
何も彼も
遠い昔だ
何も彼も
そればつかりが――變にそれが耳にのこつて
夜明けの夢にもまぎれこんだ
はるかな森の笛太鼓
鉦太鼓
仕掛け煙火の煙から
おどけ人形が飛びだして
ふらりふらりと氣樂なふりに
川のむかふへ落ちてゆく
祭りの日の
立枯れ欅のてつぺんに
風船玉がひつかかつて かかつてゆれて
つぎの日には皺つぷくれて
さてその晝にはもう見えなんだ
牛つ埃
馬つ埃
ただからからと退屈な荷車がゆく畷(なはて)みち
遠い昔
遠い昔だ
何も彼も
歸らぬ日
遠い昔

 

 

三好達治「歸らぬ日遠い昔」『故鄕の花』(S21.4刊)

「池のほとりに柿の木あり」『故郷の花』

池のほとりに柿の木あり
幹かたむきて水ふりし堤のうへを
ゆきかよふ路もなつかし
艸靑き小徑の彼方
松高く築地は低き學び舍(や)に
われは年ごろ何ごとを學びたりけん
今は記(おぼ)えず
なべては時の死の箒(ははき)ははき消しゆく
をちかたのあとなきにただ
それさへやはやおぼろめく
師の君のおん影すがた……
額(ぬか)ひろく顎しじまり
髭みじかく
顏(かんばせつぶらにかがやきて
形やや辣韭(らつきょう)に似たまひき
おん聲は泉の如くすずしかりけり
四季つねに紺の詰襟折目たち
手に細き鞭一枝たづさへ給いき
ああわれはいま遠く消えゆくオルガンの聲に耳かすごとく
君がおん名のおのづから唇にのぼり來るをなつかしむ
君は一と日命を得て
故鄕丹波の國なにがしの郡(こほり)にしりぞき給ふとて
その日空晴れ雲飛びて陽ざし明るき教壇ゆ
ゆくりなき言葉かたちをいぶかしむ童(わらは)が耳に
霹靂(へきれき)の言(こと)をのらしぬ
はた壇を下り給ひてねんごろに
こはまみあげて聲もなき童が肩に手をおかし
つばらかに別辭(わかれごと)のらし給ひぬ
歔欷(きよき)のこゑ室(しつ)に滿ちたり
日頃はおそき春の日のひと時は束の間なりき
さらばとて君扉(と)を排し給ふとき
つと起ちてそは一たびただ一たび
鋭(と)ごゑに君が名を呼びしをみな子ありき
その聲のなほわが耳にのこれるよ
思ふにわれはかかる日に
さだめなき人の世の繪物語のひとしをり
げにあはれもふかくゆかしきを學びたりけん
かくてわれ人の世の半ばをすぎぬ――
ただ願はくばけふの日もふるさとの郡の村に
さきくいませとのみまつる
かの君やいまはたいかに老い給ひけん

 

 

三好達治「池のほとりに柿の木あり」『故鄕の花』(S21.4刊)

「島崎藤村先生の新墓に詣づ」『故郷の花』

しづかなる秋の朝なり
鵯どりら空によびかひ
林より林にわたる
しづかなる秋の朝なり
百舌はまたさらに高音を
張りて啼け
世はひそかなり
こよろぎの濱のおほ波
ゆるやかにくづるるさへや
ここにして聽けばかそけし
この庭にいま陽ざしおつ
斑々(はんはん)とかくはさやかに
こまやかにあるはゆらぎつ
あたらしき世のうたの父
ねむります梅の木のもと
おくつきはこのおん父の
みこころのままにすがしく
つゆじもに濡れてかをれる
しら菊の花のいく輪
ほの靑き香のけむりの
たちまよひなびくのみなる
丘のべの精舍の庭に
しかすがにものみな眼ざめ
朝風はかよひそめたり
空靑し
海もまたかなたに靑し
ものの音なべてはるかに
ここにして境はきよし
なにはなき景(けい)はさながら
似たらずやこのうたびとの
七十路(ななそじ)の耳にはみみしひ
沈默し指をむすびて
ものおもひたまふ姿に
しづかなる秋の朝なり
「よろづ世の名もなにかせん
寂寞(せきばく)たり身後の事」と
いふといへよろしからずや
我はただここにぬかづき
我はただここにもとほる
人の世のなべてさながら
よしとしてあげつらふなき
時をひと時――

 

 

三好達治島崎藤村先生の新墓に詣づ」『故鄕の花』(S21.4刊)