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『春の旅人』総覧

『春の旅人』

 ・出版社  私家本木版手刷り(三好達治 自筆・小野忠弘 刻)
 ・発刊   昭和20年1月
 ・収録作品 計4篇(ルビ等の表記は『故鄕の花』掲載部分を参照)

 

 

『春の旅人』  目次

 

「松徑」

 

王ならば宮居の廊を
もの思ひかくはわたらむ
わがゆくは松のほそみち
海靑し蝶ひとつまふ

彼方なる加賀の白山
まどかなる麥の丘べの
春の日の空にましろ
彼方なる加賀の白山

わがゆくは松のほそみち
何ごとをねがへるひまに
老いはてしこれの影とや
松の根に立てるこの影

彼方なる能登の岬は
こゑありて波のはたてに
日もすがら呼ばへるごとし
彼方なる能登の岬は

 

「春艸」

 

春もゆる艸の穗赤し
たまきはる命のいろの
炎なすかげのしづけさ
春もゆる艸の穗赤し

旅人は砂に坐りて
膝の上にとりいづる餉(け)の
ほのかなれこは夕燒の
紅のいろにそむ見つ

海におつ日のいろ赤し
泪おつ遠き日思へば
鷗らのうたはちりぼひ
海におつ日のいろ赤し

人の子はいづべによらむ
赤松の赤きこづゑも
かたなびきなびきたりけり
赤松の高きこづゑも

 

「春蟬」

 

朝ははや蟬なきいでぬ
すたれたる石の階(きだ)はし
經(へ)のぼれば赤はにこみち
朝ははや蟬なきいでぬ

松が枝をあふげばはたと
松ふぐり土に落ちたり
こはもののほろぶるこゑか
松ふぐりはたとさやかに

影娑婆と肩をかすめて
大鴉江(え)のなか空ゆ
ふと聲にわれをあざみぬ
あなおろか何を悔ゆると

おろからはあるは歎かへ
悔はなしひろ葉がくれに
桐の花咲きいづる日も
おろからはあるは歎かへ

 

「松子」

 

昨日こし松の林に
けふもまた來りてひろふ
松ふぐり籠(こ)にはみてれど
空しただ遠きこころは

一人すむ旅の假屋(かりや)に
一人焚く松のふぐり火
赤あかと飯(いひ)かしぐ間も
空しただ遠きこころは

ものなべてゆくへは知らず
赤あかともゆるふぐり火
燠(おき)となり尉(じよう)となりゆく
ものなべてゆくへは知らず

海のこゑ枕にききて
うたたねの夢は宮居の
王ならね廊や渡らむ
海のこゑ枕にききて