三好達治bot(全文)

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「碧落城」『百たびののち』

碧落(へきらく)に城あり
層々風に鳴る
邱阜(きうふ)うやうやしく跪(ひざま)づき
長流はるかに廻(めぐ)る
百世舊(きう)のごとし
景を踐(ふ)んで人事勿忙の嘆(たん)あり
歲晩淡紅の花
また折からや草屋の墻根(かきね)に散りしくを見る
誰ひとか煙霞(えんか)に戲るもの
たとふればそは大象群れのいく群れか
煙だち聲もなく沙漠のはれをおし渡るに似たるに於て――
かなた枯木林(こぼくりん)の小徑(こみち)々々を煌めきつ步(あし)ばやに過ぎゆくもの
風の聲なるか
輪奐(りんくわん)日に輝きて睡らんとすを
ついに見る扁舟(へんしう)の棹さすもの
ゆくゆく城下にしじまり
淡として輕へなり波に從ひ上下し去る

 

 

三好達治「碧落城」『百たびののち』(S50.7刊)

「閑窓一盞」『百たびののち』

憐むべし糊口に穢れたれば
一盞(いつさん)はまづわが膓(はら)わたにそそぐべし
よき友らおほく地下にあり
時に彼らを憶ふ
また一盞をそそぐべし
わが心つめたき石に似たれども
世に憤りなきにしもあらず
また一盞をそそぐべし
露消󠄁えて天晴る
わが庭󠄁の破れし甕(かめ)にこの朝󠄁(あした)來りて水浴ぶは
黃金褐(わうごんかつ)の小雨鶲(こさめびたき)
小さき虹もたつならし
天の羽衣すがしきになほ水そそぐはよし
また一盞をそそぐべし
信あるかな爾
十歲わが寒󠄁庭󠄁を訪ふを替へず
われは東西南北の客
流寓に疲れたれども
一日(いちじつ)汝によりて自ら支ふ
如何にために又々一盞をそそがざらでやは

 

 

三好達治「落ち葉つきて」『百たびののち』(S50.7刊)

「風の中に」『百たびののち』

その朝の出來事だつた
それは歌ひをはつたから
われらはじめて沈默をきいた
その朝小鳥は死んだから
むなしい窓の鳥籠に
われらはじめてそれをきいた
風が來てわれらをとらへた
われら耳をかたむけた
われら風の中に永遠をきいた

 

風の波紋はひろがつて
雛げしがそこに動いた
昨日うなじをたれてゐた蕾の一つは
さきがけてそのとき開いた
あたりに一つ燃えたつて
靑空に血を流して
われら窓をとび下りた
風が來てわれらをとらへた
われら風の中にわななくものをとり圍んだ

 

驅けだした われら一散に驅けだした
われら何をのがれたか
われら何に驅けつけたか
われら風の中に一本松をとりこにした
さみしい畷手の一本松 その鐵(くろがね)の幹をいだいた
それはわれらの腕に餘つた
高い梢の寄生木(やどりぎ)と 雲と 鵯どり
風が來てわれらをとらへた
風の中にわれら永遠をいだいた

 

 

三好達治「風の中に」『百たびののち』(S50.7刊)

「故郷の柳」『百たびののち』

草におかれてうつぶせに
大きな靑い吊鐘が
橋のたもとにありました
どういふわけだか知りません

 

腹のところのうす赤い
僕らは鮠(はや)を釣りました
提(ひさ)げに入れるとすぐに死ぬ
それははかない魚でした

 

動物園の前でした
動物園では虎がなく
ライオンがなく象もまた
日暮れになるとなきました

 

古い柳がかたむいて
三本五本ありました
尺とりむしがまたしても
僕らの頸(くび)におちました

 

白い汽艇(ランチ)でやつてくる
お巡(まは)りさんは頷紐(あごひも)で
舳(へさき)に浪をたてました
浪をのこしてゆきました

 

さつきは三時いまは五時
ねつから魚も釣れません
浮木(うき)がをどつてかたむいて
うねりかへしに揉(も)まれます

 

そろそろあたりが夕燒けて
水のむかふの病院に
灯(ひ)のつくころに蝙蝠(かうもり)が
「行燈(あんど)のかげから」舞つてでる

 

それらの友はどうしたか
甘い林檎の香のやうな
その日の友もおほかたは
故鄕に住まずになりました

 

 

三好達治「故鄕の柳」『百たびののち』(S50.7刊)

「砂上」『百たびののち』

むしやうにじやれつく仔羊どもにとりまかれて
お前のからだのはんぶんもある重たい乳房を含ませながら
うるさげに不精げに退屈げにけれども氣ながに――
お前はお前で何かを遠くに眺めてゐる牝羊
よごれてやつれていくらか老人めいて足もともたよりなげに
考へごとがあるでもあるまいそんな風つきでもつて分別げに
遠くの方を眺めてゐる牝羊よ
去年の草は枯れたきりまだ新しい綠は萌えない丘の上から
そこからは遠くに灰色の海が見える
風には粉雪が舞つてゐる
冬のをはり春といふ……
春といふちらちら雪は風にまぎれてあともないこんな陽ざしに
灰色の海はしきりに遠くの方で起ちあがらうとする
海は白い齒なみを見せて無限を嚙む 己(おの)れを嚙む 巖を嚥みこむ
あすこの斷崖(きりぎし)には白い飛沫がうちあがる
牝羊よ
それを見てゐるのはお前と私だ
何ごとの豫感であらう
かしこには何ごとがあるのだらう
ああこのつまらぬ丘の上からお前と私とから遠いかしこには――
お前はまたたき 私は耳をかたむけるが
お前とおなじく私が何を知つてゐよう
私どもは實は何も知らないのだ
もしかするとこのつつましい幸福は今日かぎりかとも思はれる
明日は惡魔の一匹が可愛いお前の腕白どもをさらつてゆくかもしれないのだ
いつもお前ももろともに
ああそのこんな丘の上でうるさくぢやれつく腕白どもをひとしきりお前は額であしらつてゐる
そんな無邪氣な力くらべそれすら何だか淚ぐましいくらゐのものだ
ああその戲ればかりではあるまい いまこの脆げな危かしい砂の上からすべり落ちようとするのは
げにげに一つのやさしい感情は永遠にいつもかうしてうけつがれるのか
この風景の上に見るお前の大きな重たい乳房は……

 

 

三好達治「落ち葉つきて」『百たびののち』(S50.7刊)

「松のふぐり火」『百たびののち』

この朝(あした)拾ひあつめし松ふぐり
この夕べ飯(いひ)かしぐ焰となるよ

 

うつらうつら竈におこるこゑをきき
聽くとなく昨日の海を今日もきく

 

うつけびと袖も袂も赤々と
くらき厨にゐたりけり

 

ありとなく消えて飛ぶ
丘の上の一つ家に立つけむり

 

遠(をち)かたの
人やとむべき

 

さるをまたけたたまし廂うつ玉霰
――と見ればはやおつる月かげ

 

さだめなき北國日和
憲章もそんなものよと…… それはまだ

 

善民のぬくとくも知らでゐたつけ
その日頃かの宵ごとに赤々と燃えしふぐり火

 

ちろちろと燃え衰へて燠(おき)となり尉(じよう)となりゆくはやかりし
ゆかしとや その灰のさめてゆくはやかりし今は昔

 

 

三好達治「松のふぐり火」『百たびののち』(S50.7刊)

「堀辰雄君の㚑前に」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

 この日蕭々として黃梅の雨ふる日、我がどち君の歸鄕を待つ。歸る人は然れども旣に白玉樓中の客にして、遺影空しく待ちえて何を語らはんすべもなし。信濃なる淺間ヶ岳にたつ煙ただほのぼのとして半霄に遠きを見るに似たらんかしこの情や。しかしてげに遙かにも彼方に遠く高きを見るは君が一世の文業にして、こはなか空に浮べる雲烟の類ひならねば、とことはに彼方にあり、我がどちの在るところに常にありて、眼にあやに芳芬盡くる日なきを知る。
 才高き人のつね重き負擔に耐へんとす。難きものこそ得まほしき靑春の夢、めでたく匂ひかに誇高かりし日よ。我れは今しづかに省みてかの遠き日を思ふ。かの朝戸出や、君は心たのしげに凛然としてまた愼しみ深げなる步どりもて門出したまひき。そは孤高の人の用意ふかく志さはやかなるを身もて示したまひしを、今にしてなかなかにゆかしく懷かしみまつるなり。荊棘の路遠きもものかは、步一步に君の境地は展けたり。君は獨住の人、「別離は人を強くす」かくいひて袂かろらにまたしてもいやさらに遠く彼方に步み去りたまひしは、君が素心まことに棄つべからざるものありしを知る。しかしてこの日君はあまりに遠く我らをおきて距たりたまひぬ。君の任は盡され君の生は爲されたり、我ら高き誇りと深き悲しみとを君の遺影の前に額づきて空しく泪を垂る。癡なりと嗤ひたまふなかれ、かくいふは君の古き日の友。

 

 

三好達治堀辰雄君の㚑前に」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)