三好達治bot(全文)

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「酔歌」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺󠄁』

空をさまよふ星だから
小さい醜い星だから

 

星にたたへた海だから
海に浮んだ陸だから

 

陸のこぼれた島だから
島でそだつた猿だから

 

お臀の鬼斑(あざ)は消しがたい
何しろさういふわけだから

 

チャリンコパチンコネオン燈
ビンゴの玉はセルロイド

 

パンパン孃の赤い靴
ワンマン首相の白い足袋

 

藝術院の禿げ頭
競輪ボスの八百長

 

國民廣場の晝の戀
いささか行儀の惡いのも

 

フレップトリップストリップ
お臍に星を飾るのも

 

友よ
嘆くをやめよ

 

何しろさういふわけだから
何しろさういふわけだから

 

燒け野つ原の東京で
おほかた無理もないのだから 

 

 

三好達治「酔歌」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「橋の袂の――」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

橋の袂のチャルメラ
屋臺車の支那蕎麥屋
陶々亭の名もかなし
要するにこれわんたんを
くらわんかいの一ふしは
客がないから吹く笛だ
宵の九時から吹きそめて
氣輕に吹けば音も輕く
當座はややに花やげる
親爺が茶利で君が代
千代に八千代にと吹きならす
遠いえびすの芦笛の
末の末なる末の世の
橋の袂のチャルメラ
夜のくだちに音もさえて
そこらあたりがしづまれば
都に霜を飛ばせつつ
何を怨じて吹くならむ
夜の三時
人盡きぬ
歸らうか
歸りなんいざいま一度
いささかやけに吹く笛は
寒く凍りてわれむとす
巷の石を泣かしめん

 

 

三好達治「橋の袂の――」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「あの頃は空が低かつた」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

あの頃は空が低かつた
肩が星につつかへた
文なしで宿なしで
彼は港をほつついた
靴の踵(かかと)をひんまげて
蟬のつぎはきりぎりす
それからつぎはこほろぎだ
秋がきて霜がふり
やさしい奴らはかくして死ぬ
さうして世間は靜かになり
婆々あが砧をうつことだ
我慢をしろ我慢をしろ
これが神さまのご褒美だ
夜露の椅子にくたびれて
情けないやるせない味氣ない
何たる昨日の鬼火だらう
まことに然りだ
…………
豹うせし檻なり…………
空しき惡臭なり……か
動物園の園丁なら
ポンプの水をぶつかけろ!

 

 

三好達治「あの頃は空が低かつた」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「我ら何をなすべきか」『百たびののち』

傷(て)を負つてはんやになつて
一羽の雉が墮ちてゆく

 

谿川の瀨の鳴る中を
あたりに殘る谺の中を

 

谿のむかふへ墮ちてゆく
墮ちてゆく

 

一度は空にあがつたが
再び空に身をなげたが

 

いづれは墮ちるものとして
抛物線を墮ちてゆく

 

墮ちてゆく
…………

 

夕暮れに眼をつむつて
虛空に血を流して

 

身悶えて
痙攣して

 

今朝の寢床へ
枯木の林へ

 

谿のむかふへ墮ちてゆく一つの運命
ああまたしてもその時私の垣間見しもの

 

さらば我ら
何をなすべきか

 

彼方一(いつ)の庖厨へ
歷史は彼らの食膳へ

 

一羽の雉が墮ちてゆく!

 

 

三好達治「我ら何をなすべきか」『百たびののち』(S50.7刊)

「落ち葉つきて」『百たびののち』

落葉つきて 梢こずゑを透く陽ざし
冬の夕陽をしなやかにゆりあげる彼らの仲間
みなひと方にかたなびく欅の梢
ここの並木の瘤こぶの老樹の肩 胸 腰
腰かけほどにくねり上つたその根かた
さけてよじれて傾いた變な窓から
この變てこなうつろからさへやつてくる
ついにそこの刑務所の とりとめもない壁のかげ
監視櫓の八角塔 そのひと方の窓硝子の 赤い夕陽のしたたりから
今しがた身じまひのできたばかりの黃昏どきが
やつてくる
やつて來る一つの風景
風景こそは
いつもどこでも私にふさはしいものであつた
百年もながい間私はそれを眺めてゐた
さやかな ささやかな しづかな しなやかな梢こずゑを透く陽ざし
もろ手をあげてしなやかに冬の夕陽をゆりあげる彼らの仲間
さやうなら
こんばんは
遠い遠い過去の方から ぽつかり月が浮び出た
浮び出た追憶の
さうして この古い空洞(うろ)から出てゆくのは
さてもうあの世の新しい私でせうか

――家集序
 
 

三好達治「落ち葉つきて」『百たびののち』(S50.7刊)

「はるかな國から」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

     ——詩集「二十億光年の孤獨」序―—

この若者は
意󠄁外に遠󠄁くからやってきた
してその遠󠄁いどこやらから
彼は昨日發つてきた
十年よりさらにながい
一日を彼は旅してきた
千里の靴󠄁を借りもせず
彼の踵で踏んできた路のりを何ではからう
またその曆を何ではからう
けれども思へ
霜のきびしい冬󠄀の朝󠄁
突忽と微笑をたたへて
我らに來るものがある
この若者のノートから滑り落ちる星でもあらうか
ああかの水仙花󠄁は……
薰りも寒󠄁くほろにがく
風にもゆらぐ孤獨をささへて
誇りかにつつましく
折から彼はやつてきた
一九五一年
穴󠄁ぼこだらけの東京に
若者らしく哀切に
悲哀に於て快活に
――げに快活に思ひあまつた嘆息に
ときに嚏を放つのだこの若者は
ああこの若者は
冬󠄀のさなかに長らく待たれたものとして
突忽とはるかな國からやつてきた

 

 

三好達治「はるかな國から」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「西へ西へ」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

西へ西へ 西へ
なほ遠く夕燒けの彼方へ
さうしておれの空想は
乞食のやうにうらぶれてある日の日暮れ
東の國から歸つてきた

 

北へ北へ 北へ
なほ遠くかの極北へ
さうしてある日おれの思想は日にやけて
腹をへらして南から
乞食のやうによろめいて戾つてきた
ここらがおれの故鄕(ふるさと)だ
泉にさし出た胡桃の木で
朝から野鳩が啼いてゐる
おほかたここらが故鄕だ
おれはもうここの泉で飮むばかりだ
すべてこれ空しい希望の墓場だから
故鄕の窓はいつもこんなに明かるいのだ
さうして自然は昔のままに信心ぶかいから
野鳩の番ひは朝からああしてお念佛をとなへてゐるのだ
おれはもうここらの窓ぎはで讀むばかりだ

 

退屈な祖先の書物は憂患にしみる鹽のやうだ
少小家ヲ離レ老大囘ル ここらがおれの故鄕だ
鄕音改マル無ク鬢毛摧ク 丸之内氏が象徴だ
おれはもうここらの日向で歌ふばかりだ
ここらがおれの故鄕だ

 

 

三好達治「西へ西へ」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)