三好達治bot(全文)

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「故郷の柳」『百たびののち』

草におかれてうつぶせに
大きな靑い吊鐘が
橋のたもとにありました
どういふわけだか知りません

 

腹のところのうす赤い
僕らは鮠(はや)を釣りました
提(ひさ)げに入れるとすぐに死ぬ
それははかない魚でした

 

動物園の前でした
動物園では虎がなく
ライオンがなく象もまた
日暮れになるとなきました

 

古い柳がかたむいて
三本五本ありました
尺とりむしがまたしても
僕らの頸(くび)におちました

 

白い汽艇(ランチ)でやつてくる
お巡(まは)りさんは頷紐(あごひも)で
舳(へさき)に浪をたてました
浪をのこしてゆきました

 

さつきは三時いまは五時
ねつから魚も釣れません
浮木(うき)がをどつてかたむいて
うねりかへしに揉(も)まれます

 

そろそろあたりが夕燒けて
水のむかふの病院に
灯(ひ)のつくころに蝙蝠(かうもり)が
「行燈(あんど)のかげから」舞つてでる

 

それらの友はどうしたか
甘い林檎の香のやうな
その日の友もおほかたは
故鄕に住まずになりました

 

 

三好達治「故鄕の柳」『百たびののち』(S50.7刊)

「砂上」『百たびののち』

むしやうにじやれつく仔羊どもにとりまかれて
お前のからだのはんぶんもある重たい乳房を含ませながら
うるさげに不精げに退屈げにけれども氣ながに――
お前はお前で何かを遠くに眺めてゐる牝羊
よごれてやつれていくらか老人めいて足もともたよりなげに
考へごとがあるでもあるまいそんな風つきでもつて分別げに
遠くの方を眺めてゐる牝羊よ
去年の草は枯れたきりまだ新しい綠は萌えない丘の上から
そこからは遠くに灰色の海が見える
風には粉雪が舞つてゐる
冬のをはり春といふ……
春といふちらちら雪は風にまぎれてあともないこんな陽ざしに
灰色の海はしきりに遠くの方で起ちあがらうとする
海は白い齒なみを見せて無限を嚙む 己(おの)れを嚙む 巖を嚥みこむ
あすこの斷崖(きりぎし)には白い飛沫がうちあがる
牝羊よ
それを見てゐるのはお前と私だ
何ごとの豫感であらう
かしこには何ごとがあるのだらう
ああこのつまらぬ丘の上からお前と私とから遠いかしこには――
お前はまたたき 私は耳をかたむけるが
お前とおなじく私が何を知つてゐよう
私どもは實は何も知らないのだ
もしかするとこのつつましい幸福は今日かぎりかとも思はれる
明日は惡魔の一匹が可愛いお前の腕白どもをさらつてゆくかもしれないのだ
いつもお前ももろともに
ああそのこんな丘の上でうるさくぢやれつく腕白どもをひとしきりお前は額であしらつてゐる
そんな無邪氣な力くらべそれすら何だか淚ぐましいくらゐのものだ
ああその戲ればかりではあるまい いまこの脆げな危かしい砂の上からすべり落ちようとするのは
げにげに一つのやさしい感情は永遠にいつもかうしてうけつがれるのか
この風景の上に見るお前の大きな重たい乳房は……

 

 

三好達治「落ち葉つきて」『百たびののち』(S50.7刊)

「松のふぐり火」『百たびののち』

この朝(あした)拾ひあつめし松ふぐり
この夕べ飯(いひ)かしぐ焰となるよ

 

うつらうつら竈におこるこゑをきき
聽くとなく昨日の海を今日もきく

 

うつけびと袖も袂も赤々と
くらき厨にゐたりけり

 

ありとなく消えて飛ぶ
丘の上の一つ家に立つけむり

 

遠(をち)かたの
人やとむべき

 

さるをまたけたたまし廂うつ玉霰
――と見ればはやおつる月かげ

 

さだめなき北國日和
憲章もそんなものよと…… それはまだ

 

善民のぬくとくも知らでゐたつけ
その日頃かの宵ごとに赤々と燃えしふぐり火

 

ちろちろと燃え衰へて燠(おき)となり尉(じよう)となりゆくはやかりし
ゆかしとや その灰のさめてゆくはやかりし今は昔

 

 

三好達治「松のふぐり火」『百たびののち』(S50.7刊)

「堀辰雄君の㚑前に」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

 この日蕭々として黃梅の雨ふる日、我がどち君の歸鄕を待つ。歸る人は然れども旣に白玉樓中の客にして、遺影空しく待ちえて何を語らはんすべもなし。信濃なる淺間ヶ岳にたつ煙ただほのぼのとして半霄に遠きを見るに似たらんかしこの情や。しかしてげに遙かにも彼方に遠く高きを見るは君が一世の文業にして、こはなか空に浮べる雲烟の類ひならねば、とことはに彼方にあり、我がどちの在るところに常にありて、眼にあやに芳芬盡くる日なきを知る。
 才高き人のつね重き負擔に耐へんとす。難きものこそ得まほしき靑春の夢、めでたく匂ひかに誇高かりし日よ。我れは今しづかに省みてかの遠き日を思ふ。かの朝戸出や、君は心たのしげに凛然としてまた愼しみ深げなる步どりもて門出したまひき。そは孤高の人の用意ふかく志さはやかなるを身もて示したまひしを、今にしてなかなかにゆかしく懷かしみまつるなり。荊棘の路遠きもものかは、步一步に君の境地は展けたり。君は獨住の人、「別離は人を強くす」かくいひて袂かろらにまたしてもいやさらに遠く彼方に步み去りたまひしは、君が素心まことに棄つべからざるものありしを知る。しかしてこの日君はあまりに遠く我らをおきて距たりたまひぬ。君の任は盡され君の生は爲されたり、我ら高き誇りと深き悲しみとを君の遺影の前に額づきて空しく泪を垂る。癡なりと嗤ひたまふなかれ、かくいふは君の古き日の友。

 

 

三好達治堀辰雄君の㚑前に」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「酔歌」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺󠄁』

空をさまよふ星だから
小さい醜い星だから

 

星にたたへた海だから
海に浮んだ陸だから

 

陸のこぼれた島だから
島でそだつた猿だから

 

お臀の鬼斑(あざ)は消しがたい
何しろさういふわけだから

 

チャリンコパチンコネオン燈
ビンゴの玉はセルロイド

 

パンパン孃の赤い靴
ワンマン首相の白い足袋

 

藝術院の禿げ頭
競輪ボスの八百長

 

國民廣場の晝の戀
いささか行儀の惡いのも

 

フレップトリップストリップ
お臍に星を飾るのも

 

友よ
嘆くをやめよ

 

何しろさういふわけだから
何しろさういふわけだから

 

燒け野つ原の東京で
おほかた無理もないのだから 

 

 

三好達治「酔歌」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「橋の袂の――」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

橋の袂のチャルメラ
屋臺車の支那蕎麥屋
陶々亭の名もかなし
要するにこれわんたんを
くらわんかいの一ふしは
客がないから吹く笛だ
宵の九時から吹きそめて
氣輕に吹けば音も輕く
當座はややに花やげる
親爺が茶利で君が代
千代に八千代にと吹きならす
遠いえびすの芦笛の
末の末なる末の世の
橋の袂のチャルメラ
夜のくだちに音もさえて
そこらあたりがしづまれば
都に霜を飛ばせつつ
何を怨じて吹くならむ
夜の三時
人盡きぬ
歸らうか
歸りなんいざいま一度
いささかやけに吹く笛は
寒く凍りてわれむとす
巷の石を泣かしめん

 

 

三好達治「橋の袂の――」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「あの頃は空が低かつた」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

あの頃は空が低かつた
肩が星につつかへた
文なしで宿なしで
彼は港をほつついた
靴の踵(かかと)をひんまげて
蟬のつぎはきりぎりす
それからつぎはこほろぎだ
秋がきて霜がふり
やさしい奴らはかくして死ぬ
さうして世間は靜かになり
婆々あが砧をうつことだ
我慢をしろ我慢をしろ
これが神さまのご褒美だ
夜露の椅子にくたびれて
情けないやるせない味氣ない
何たる昨日の鬼火だらう
まことに然りだ
…………
豹うせし檻なり…………
空しき惡臭なり……か
動物園の園丁なら
ポンプの水をぶつかけろ!

 

 

三好達治「あの頃は空が低かつた」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)