三好達治bot(全文)

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「我ら何をなすべきか」『百たびののち』

傷(て)を負つてはんやになつて
一羽の雉が墮ちてゆく

 

谿川の瀨の鳴る中を
あたりに殘る谺の中を

 

谿のむかふへ墮ちてゆく
墮ちてゆく

 

一度は空にあがつたが
再び空に身をなげたが

 

いづれは墮ちるものとして
抛物線を墮ちてゆく

 

墮ちてゆく
…………

 

夕暮れに眼をつむつて
虛空に血を流して

 

身悶えて
痙攣して

 

今朝の寢床へ
枯木の林へ

 

谿のむかふへ墮ちてゆく一つの運命
ああまたしてもその時私の垣間見しもの

 

さらば我ら
何をなすべきか

 

彼方一(いつ)の庖厨へ
歷史は彼らの食膳へ

 

一羽の雉が墮ちてゆく!

 

 

三好達治「我ら何をなすべきか」『百たびののち』(S50.7刊)

「落ち葉つきて」『百たびののち』

落葉つきて 梢こずゑを透く陽ざし
冬の夕陽をしなやかにゆりあげる彼らの仲間
みなひと方にかたなびく欅の梢
ここの並木の瘤こぶの老樹の肩 胸 腰
腰かけほどにくねり上つたその根かた
さけてよじれて傾いた變な窓から
この變てこなうつろからさへやつてくる
ついにそこの刑務所の とりとめもない壁のかげ
監視櫓の八角塔 そのひと方の窓硝子の 赤い夕陽のしたたりから
今しがた身じまひのできたばかりの黃昏どきが
やつてくる
やつて來る一つの風景
風景こそは
いつもどこでも私にふさはしいものであつた
百年もながい間私はそれを眺めてゐた
さやかな ささやかな しづかな しなやかな梢こずゑを透く陽ざし
もろ手をあげてしなやかに冬の夕陽をゆりあげる彼らの仲間
さやうなら
こんばんは
遠い遠い過去の方から ぽつかり月が浮び出た
浮び出た追憶の
さうして この古い空洞(うろ)から出てゆくのは
さてもうあの世の新しい私でせうか

――家集序
 
 

三好達治「落ち葉つきて」『百たびののち』(S50.7刊)

「はるかな國から」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

     ——詩集「二十億光年の孤獨」序―—

この若者は
意󠄁外に遠󠄁くからやってきた
してその遠󠄁いどこやらから
彼は昨日發つてきた
十年よりさらにながい
一日を彼は旅してきた
千里の靴󠄁を借りもせず
彼の踵で踏んできた路のりを何ではからう
またその曆を何ではからう
けれども思へ
霜のきびしい冬󠄀の朝󠄁
突忽と微笑をたたへて
我らに來るものがある
この若者のノートから滑り落ちる星でもあらうか
ああかの水仙花󠄁は……
薰りも寒󠄁くほろにがく
風にもゆらぐ孤獨をささへて
誇りかにつつましく
折から彼はやつてきた
一九五一年
穴󠄁ぼこだらけの東京に
若者らしく哀切に
悲哀に於て快活に
――げに快活に思ひあまつた嘆息に
ときに嚏を放つのだこの若者は
ああこの若者は
冬󠄀のさなかに長らく待たれたものとして
突忽とはるかな國からやつてきた

 

 

三好達治「はるかな國から」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「西へ西へ」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

西へ西へ 西へ
なほ遠く夕燒けの彼方へ
さうしておれの空想は
乞食のやうにうらぶれてある日の日暮れ
東の國から歸つてきた

 

北へ北へ 北へ
なほ遠くかの極北へ
さうしてある日おれの思想は日にやけて
腹をへらして南から
乞食のやうによろめいて戾つてきた
ここらがおれの故鄕(ふるさと)だ
泉にさし出た胡桃の木で
朝から野鳩が啼いてゐる
おほかたここらが故鄕だ
おれはもうここの泉で飮むばかりだ
すべてこれ空しい希望の墓場だから
故鄕の窓はいつもこんなに明かるいのだ
さうして自然は昔のままに信心ぶかいから
野鳩の番ひは朝からああしてお念佛をとなへてゐるのだ
おれはもうここらの窓ぎはで讀むばかりだ

 

退屈な祖先の書物は憂患にしみる鹽のやうだ
少小家ヲ離レ老大囘ル ここらがおれの故鄕だ
鄕音改マル無ク鬢毛摧ク 丸之内氏が象徴だ
おれはもうここらの日向で歌ふばかりだ
ここらがおれの故鄕だ

 

 

三好達治「西へ西へ」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「こんな陽氣に」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

こんな陽氣にジャケツを着て
牡丹の奧から上機嫌で
百合の底から醉つ拂つて
づんぐりむつくり 花粉にまみれて
まるで幸福が重荷のやうに
ころげでる蜜蜂

 

世界一列春だから
なんと君らが誇りかに
光りにむかつて飛ぶことだ
空しい過去の窖(あなぐら)から
心には痛みをもつて
恥にまみれてころげ出る
腰折れ蜂の
似我蜂(すがるばち)

 

ああ幸ひに寛大なれ
君ら幸福なる友として
君らの春を彼にもわかて
彼もまた君らの仲間にまぎれこんで
羽ばたいて飛びたつつもりだ
いま花園かぐはしく
世界一列春だから

 

 

三好達治「こんな陽氣に」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「朝だから」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

朝だから鷄が鳴く
燒野ヶ原のここかしこ
じやがいも畑や麥畑
穗麥のみだれたむかふから
人の住む窓も見えない遠くから 丘の上から 窪地から
まだうす暗い煙突が 倒れかかつて驅け出しさうな草の上
夜ののこりの影の上
夜をひと夜蝶のまねした月見草
もうおやすみ
この朝あけを知らぬふりしてゐる氣なら
私はどこを步きませう
向ふの土手に山羊が仔山羊をつれて出た
夜をひと夜露をふらして輝いたあと
あさぎの空にぼんやりととりのこされた一つ星
もうおやすみ
朝だから鷄が鳴く
この朝あけを知らぬふりしてゐる氣なら
いつそ蜜蜂になるがいい

 

 

三好達治「朝だから」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「その時」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

 ゆくがいい。人生はマラソンだ。あの遠い地平線まで、そら、驅けだしたまへ。諸君は出發點に勢ぞろひして、合圖の拳銃をまつてゐる。朝はまだ早い。春の野の若草は靑々として、天候は申分がない。ああよき日なるかな。希望は海のやうだ。諸君は健康にあふれてゐる。ああこの爽快なオリンピック・ゲーム。銃聲一發。そら、驅けだしたまへ。私は木かげの椅子にあつて、ひとり諸君のスタートを見送つてゐる。私は今日選ばれて諸君の競技に加はる者ではない。けれどもこの私にも、いま孤獨な觀覽者の椅子にあつて、いくらかの感慨がないではない。希望はもう私のものではないが、夕燒がなほ朝燒に似て燃えるやうに、かくして私の胸にも、この入江にまで、また外洋の滿潮のさしてくるときめきを知る。
 ゆくがいい。遠く、遠く。さらにいつそう遠く。速く、速く、さらにいつそう速く。これが人生だ。人生は野を橫ぎり、水を涉り、叢をつつきり、林を越え、雲の下をかけぬけてゆくマラソンだ。躊躇は無用。そら、驅けたまへ。速く、速く、さらにいつそう速く。遠く、遠く、さらにいつそう遠く、あの見えない地平のむかふまで――。
 けれどもやがて日暮れの時がきて、諸君はくたびれて歸つてくるだらう。空には夕燒の赤い時刻に、諸君は一日の競技を終つて、參々伍々、うちつれてここに歸つて來るだらう。人生はマラソンだ。筋骨の力をつくして、遠く、遠く、速く、速く、みんなが決勝點にとびこんでゆく、人生は春の日のマラソンのやうなものだ。さうして優勝者も敗北者も落伍者も、競技の終つたあとで、朝の間の彼らの夢と希望と計畫とをもう一度語りながら、過去に就いていま一度夢みながら、諸君がここに歸つて來る時に、
 ああその時、私はここにもうゐないでせう。

 

 

三好達治「その時」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)