三好達治bot(全文)

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「こんな陽氣に」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

こんな陽氣にジャケツを着て
牡丹の奧から上機嫌で
百合の底から醉つ拂つて
づんぐりむつくり 花粉にまみれて
まるで幸福が重荷のやうに
ころげでる蜜蜂

 

世界一列春だから
なんと君らが誇りかに
光りにむかつて飛ぶことだ
空しい過去の窖(あなぐら)から
心には痛みをもつて
恥にまみれてころげ出る
腰折れ蜂の
似我蜂(すがるばち)

 

ああ幸ひに寛大なれ
君ら幸福なる友として
君らの春を彼にもわかて
彼もまた君らの仲間にまぎれこんで
羽ばたいて飛びたつつもりだ
いま花園かぐはしく
世界一列春だから

 

 

三好達治「こんな陽氣に」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「朝だから」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

朝だから鷄が鳴く
燒野ヶ原のここかしこ
じやがいも畑や麥畑
穗麥のみだれたむかふから
人の住む窓も見えない遠くから 丘の上から 窪地から
まだうす暗い煙突が 倒れかかつて驅け出しさうな草の上
夜ののこりの影の上
夜をひと夜蝶のまねした月見草
もうおやすみ
この朝あけを知らぬふりしてゐる氣なら
私はどこを步きませう
向ふの土手に山羊が仔山羊をつれて出た
夜をひと夜露をふらして輝いたあと
あさぎの空にぼんやりととりのこされた一つ星
もうおやすみ
朝だから鷄が鳴く
この朝あけを知らぬふりしてゐる氣なら
いつそ蜜蜂になるがいい

 

 

三好達治「朝だから」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「その時」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

 ゆくがいい。人生はマラソンだ。あの遠い地平線まで、そら、驅けだしたまへ。諸君は出發點に勢ぞろひして、合圖の拳銃をまつてゐる。朝はまだ早い。春の野の若草は靑々として、天候は申分がない。ああよき日なるかな。希望は海のやうだ。諸君は健康にあふれてゐる。ああこの爽快なオリンピック・ゲーム。銃聲一發。そら、驅けだしたまへ。私は木かげの椅子にあつて、ひとり諸君のスタートを見送つてゐる。私は今日選ばれて諸君の競技に加はる者ではない。けれどもこの私にも、いま孤獨な觀覽者の椅子にあつて、いくらかの感慨がないではない。希望はもう私のものではないが、夕燒がなほ朝燒に似て燃えるやうに、かくして私の胸にも、この入江にまで、また外洋の滿潮のさしてくるときめきを知る。
 ゆくがいい。遠く、遠く。さらにいつそう遠く。速く、速く、さらにいつそう速く。これが人生だ。人生は野を橫ぎり、水を涉り、叢をつつきり、林を越え、雲の下をかけぬけてゆくマラソンだ。躊躇は無用。そら、驅けたまへ。速く、速く、さらにいつそう速く。遠く、遠く、さらにいつそう遠く、あの見えない地平のむかふまで――。
 けれどもやがて日暮れの時がきて、諸君はくたびれて歸つてくるだらう。空には夕燒の赤い時刻に、諸君は一日の競技を終つて、參々伍々、うちつれてここに歸つて來るだらう。人生はマラソンだ。筋骨の力をつくして、遠く、遠く、速く、速く、みんなが決勝點にとびこんでゆく、人生は春の日のマラソンのやうなものだ。さうして優勝者も敗北者も落伍者も、競技の終つたあとで、朝の間の彼らの夢と希望と計畫とをもう一度語りながら、過去に就いていま一度夢みながら、諸君がここに歸つて來る時に、
 ああその時、私はここにもうゐないでせう。

 

 

三好達治「その時」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「月半輪」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

 月半輪、無風、航路燈、海は鏡のやうだ。私は疲れて町から歸つてきた。風景は藍碧、在るものはみな牛のやうにまつ黑だ。虛無、幽玄。
 私はしばらく砂の上に腰を下ろしてゐた。
 舷燈さみしく、沖を渡る發動機船。遠い闇から港にかへつてくるその音、正しい鼓動、脈搏、夜は大きな生き物だ。星のない暗い空と、朧ろな半月、鏡のやうな海。
 私はしばらく理由もない感動(?)に沈んでゐた。この感動は何だらう。
 彼方に一切の幸福をうしなつて、私は疲れて町から歸つてきた。幸福、ああかの私の夢見た幸福。
 知れ、かしこにありしもの、あるべかりしものの實體だ、如何に、すべてこの夜のささやきは。
 勇氣を要󠄁す。勇氣を要󠄁す。さらば起つて夜景の奧に步み入れ、汝!

 

 

三好達治月半輪」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「興安嶺」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

 興安嶺……
 いま日の暮れ方の椅子に在つて、私の思ふところは寂寞荒涼として名狀しがたい。さうして私は一葉の寫眞を膝において、私の思ふところになほ深く沈淪しようとする。どこまでも遠くつづいた山脈、遠景は雲に入つて見わけがたい山なみ、この鳥瞰圖のもの語る意志――その風景は美しく、大きく、遠く、無限の空のもとに沈默して、無限の彼方に遠くはるかに浪うつてゐる。
 興安嶺……
 まことに風景は一つの音樂のやうなものだ。はてしなく憂鬱な、悲痛な、孤獨な、何の言葉の說きあかすべきすべもない幽玄な謎のやうなものだ。
 興安嶺……
 さうして見よ、ここに一すぢの路が通じてゐる。驢馬のかげも遊人のかげも見えない路が、ただ白く淋しく、曲がりくねつてつづいてゐる。無限にはるかな遠景にむかつて、彼方に見えない意志にむかつて。

 

 

三好達治興安嶺」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)

「喪服の蝶」『駱駝の瘤にまたがつて』

ただ一つ喪服の蝶が
松の林をかけぬけて
ひらりと海へ出ていつた
風の傾斜にさからつて
つまづきながら よろけながら
我らが酒に醉ふやうに
まつ赤な雲に醉つ拂つて
おほかたきつとさうだらう
ずんずん沖へ出ていつた
出ていつた 遠く 遠く
また高く 喪服の袖が
見えずなる

 

いづれは消える夢だから
夏のをはりは秋だから
まつ赤な雲は色あせて
さみしい海の上だつた
かくて彼女はかへるまい
岬の鼻をうしろ手に
何を目あてといふのだらう
ずんずん沖へ出ていつた
出ていつた
遠く遠く
また高く
おほかたきつとさうだろう
(我らもそれに學びたい)
この風景の外へまで
喪服をすてにいつたのだ

 

 

三好達治「喪服の蝶」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「ちつぽけな象がやつて来た」『駱駝の瘤にまたがつて』

颱風が來て水が出た
日本東京に秋が來て
ちつぽけな象がやつて來た
誕生二年六ケ月
百貫でぶだが赤んぼだ

 

象は可愛い動物だ
赤ん坊ならなほさらだ
貨車の臥藁ねわらにねそべつて
さつやバナナをたべながら
晝寢をしながらやつて來た

 

ちつぽけな象がやつて来た
牙のないのは牝だから*1
卽ちエレファス・マキシムス
もちろんそれや象だから
鼻で握手もするだろう

 

バンコックから神戸まで
八重の潮路のつれづれに
無邪氣な鼻をゆりながら
なにを夢みて來ただらう
ちつぽけな象がやつて來た

 

ちつぽけな象がやつて來た
いただきものといふからは
輕いつづらもよけれども
それかあらぬか身にしみる
日本東京秋の風

 

ちつぽけな象がやつて来た

 

 

三好達治「ちつぽけな象がやつて来た」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

*1:アジア象とて、この種のものには牝に牙がない。去る年泰國商賈某氏上野動物園に贈り來るもの即ちこれなり。因にいふ、そのバンコックを發するや日日新聞紙上に報道あり、その都門に入るや銀座街頭に行進して滿都の歡呼を浴ぶ。今の同園の「花子さん」即ちこれなり。