三好達治bot(全文)

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「身は老いて」『花筐』

身は老い
憂ひは深し

 

事しげく
言はみじかし

 

かくばかりながく忍びし
こころをば誰に語らん

 

冬の夜の暗き巷を
あてどなくさまよふのみぞ

 

すべもなし
今はせんなし

 

わがふるき怒りは眼ざめ
あたらしき泪はながる

 

すべもなき心のために
あがなひし水仙の花

 

外套の袖にかくれて
わが胸にうなじゆらふよ

 

香はかをれ
身はおののけど

 

花もまたふかくもだせる
さながらやわが悔恨に

 

あはれなるかかる花のみ
友さへもなき日の友と

 

友垣のこゑなきこゑに
おろかなる耳をかたむけ

 

なほしばしわれはさまよふ
歸るべき方をもしらに

 

とぼそみな暗くとざして
人影も絕えし巷を

 

 

三好達治「身は老いて」『花筐』(S19.6刊)

「人の世よりも」『花筺』

人の世よりもやや高き
梢に咲ける桐の花
そは誰人のうれひとや
ありとしもなき風にさへ
散りてながるる
散りてながるる
桐の花
藥の香ほどほろにがい
ほろにがい香に汗ばみて
やがては土におとろふる
あはれはふかい桐の花
ああ桐の花
なにか思ひにあまる花

 

そはこの花のしたかげに
たたせたまひしうき人の
肩にもふれて
晝ふかき土にまろびし桐の花

 

その花ゆかし遠き日の
あとなき夢を手にとると
はや紫もおとろへし花をひろへば
花をひろへば
蟻ひとつ走りいでたり……
あなうたて
この花うたて
桐の花
ありとしもなきなか空の
風にながるる
風にながるる
あとなき夢のされどなほ
うたてゆかしき桐の花

 

 

三好達治「人の世よりも」『花筐』(S19.6刊)

「明日は死ぬ人のやうにも」『花筐』

明日は死ぬ人のやうにも思ひつめて
わがゆきかよひし山路よ
樫鳥一羽とぶでない
深い空しい黃昏の溪間
ああもうそこを樵夫も獵師も炭燒も
今はかよふ時刻でない
深い溪間
その溪の向ふにのつてりと橫はる枯艸山
その巓の枯れ枯れの雜木林
雜木林に落ちかかる仄かに銳い三日月よ
誰に語らふすべもない
ああその日頃のそれはまた私の心の色だつた
そのうらがなしい紫は……
いつまでもいつまでもすつかり秋のふけるまで
その路のほとりに咲いてゐた松蟲艸よ
わづかの風にもゆれやまぬ
よるべなげなる艸の花
そのうらがなしい紫は……
明日は死ぬ人のやうにも思ひつめて
わがゆきかよひし山路よ
ああかの黃昏の山路

 

 

三好達治「明日は死ぬ人のやうにも」『花筐』(S19.6刊)

「明日は死ぬ人のやうにも」『花筐』

明日は死ぬ人のやうにも思ひつめて
わがゆきかよひし山路よ
樫鳥一羽とぶでない
深い空しい黃昏の溪間
ああもうそこを樵夫も獵師も炭燒も
今はかよふ時刻でない
深い溪間
その溪の向ふにのつてりと橫はる枯艸山
その巓の枯れ枯れの雜木林
雜木林に落ちかかる仄かに銳い三日月よ
誰に語らふすべもない
ああその日頃のそれはまた私の心の色だつた
そのうらがなしい紫は……
いつまでもいつまでもすつかり秋のふけるまで
その路のほとりに咲いてゐた松蟲艸よ
わづかの風にもゆれやまぬ
よるべなげなる艸の花
そのうらがなしい紫は……
明日は死ぬ人のやうにも思ひつめて
わがゆきかよひし山路よ
ああかの黃昏の山路

 

 

三好達治「明日は死ぬ人のやうにも」『花筐』(S19.6刊)

「遠き山見ゆ」『花筐』

遠き山見ゆ
遠き山見ゆ
ほのかなる霞のうへに
はるかにねむる遠き山
遠き山山
いま冬の日の
あたたかきわれも山路を
降りつつ見はるかすなり
かのはるかなる靑き山山
いづれの國の高山か
麓は消えて
高嶺のみ靑くけむれるかの山山
彼方に遠き山は見ゆ
彼方に遠き山は見ゆ
ああなほ彼方に遠く
われはいまふとふるき日の思出のために
なつかしき淚あふれていでんとするににたる
心をおぼゆ ゆゑはわかたね
ああげにいはれなき旅人のけふのこころよ
いま冬の日の
あたたかきわれも山路を
降りつつ見はるかすなり
はるかなる霞の奧に
彼方に遠き山は見ゆ
彼方に遠き山は見ゆ

 

 

三好達治「遠き山見ゆ」『花筐』(S19.6刊)

「曲浦吟」『羈旅十歳』

鷄鳴のこゑはるかなる
わがすまふ町はかなたに
波の上に夜明けそめたり
炊煙は白くたたずみ
靑霞み木の間になびく
をちかたは風起こるらし
たまくしげ函嶺の山に
よべの雲やうやく動く
勢ひのはやからんとす
なか空にとぶ鷗どり
川口にしら波たちて
橋わたる三輪車見ゆ
すなどりをすとて漕ぎいでし
わたつみのゆたのたゆたに
たゆたひつ舳(へ)にゐてみれば
靑波にたちまちかくる
あなちひさ町の聚落(じゅらく)の
いづこかに我が家は見えず
かしこなるわがなりはいの
なにはなくひとごとめきて
いまははた嘆ぜらるるに
折からや鳴りとよもしぬ
かの丘のふる寺の鐘
扁舟のかたむく空に

 

 

三好達治「曲浦吟」『覊旅十歲』(S17.6刊)

「浅春偶語」『一点鐘』

友よ われら二十年もうたを書いて
已にわれらの生涯も こんなに年をとつてしまつた

 

友よ 詩のさかえぬ國にあつて
われらながく貧しい詩を書きつづけた

 

孤獨や失意や貧乏や 日々に消え去る空想や
ああながく われら二十年もそれをうたつた

 

われらは辛抱づよかつた
さうしてわれらも年をとつた

 

われらの後に 今は何が殘されたか
問ふをやめよ 今はまだ背後を顧みる時ではない

 

悲哀と歎きで われらは已にいつぱいだ
それは船を沈ませる このうへ積荷を重くするな

 

われら妙な時代に生きて
妙な風に暮したものだ

 

さうしてわれらの生涯も おひおひ日暮に近づいた
友よ われら二十年も詩を書いて

 

詩のなげきで年をとつた ではまた
氣をつけたまへ 友よ 近ごろは酒もわるい

 

 

三好達治「淺春偶語」『一點鐘』(S16.10刊)