「兵機深玄」『干戈永言』
サイパン敵手に落つ
報は七月十八日十七時
慘として一億が耳朶を撲ち肺腑に徹す
寇虜日に勢を逞しくし
南溟の要關つひに援けなく
孤壘夷(たひら)ぎ
火砲碎け
硝藥盡き
刀刃折る
而もなほ守兵險に據り嵎を負ひ
萬死の地寸土をだもかりそめにせず
ああ將士みな至尊のまけに應へまつりて仆る
そは兵のみか
海南の民艸またよく氣を振ひて起ち
三旬兵と共に闘ひことごとくまた率土の濱に竭く
ああサイパンつひに敵手に委(ゐ)す
この語誰人か苟且(こうしよ)に聞く
驕虜は跳梁をほしいままにし
艨艟を列ね
輕舸を驅り
飛機を以て天を覆ひ
鐡板装甲の重壓ひた押しに押し迫り侵し來らんとす
ほとんどその威海若を壓し風伯を御し
一擧して勝を神州の地に獲んと欲するものに似たり
一刀兩斷の機寸前に在り
而も籌略いよいよ深く祕して神のほか知る者なし
もと神州の眞男子膽甕の如し
震怒と痛憤と能く方寸の間に藏して耐ゆ
兵機深玄まことに夜の如く闃(げき)として聲なし
ただ庭前の向日葵(ひまはり)この日南方の天にむかつて
花冠高く怒り花咲く
三好達治「兵機深玄」『寒柝』(S18.12刊)
「駆逐艦」『干戈永言』
空はまつ赤な夕燒の中を
靜かにここに入つてきた驅逐艦
驅逐艦が二隻港の島かげに
舳(へさき)をそろへて碇泊した
鋼鐡の軋るかすかな音が聞こえてくる
甲板には人影がすばやく動いてゐる
何か操作をつづけてゐるのだ
遠い外洋から歸つてきた驅逐艦は
まだ休息の「休め」の姿勢をとつたのではない
今度は喇叭の聲が波を渡つてはつきりと聞えてきた
もう夕燒は次第に消えて
あたりは眞暗な夜の闇に沈んでゆくが
驅逐艦はまだ何かの機關の音をひびかせてゐる
それは外洋の遠いはるかな水平線にむかつて
意思を緊張し充實して
ライオンのやうに胸を張つた姿勢をとつて碇泊してゐる
その驅逐艦はどこから來たのだらう
明日はまたどこへむかつて出發してゆくのだらう
僕らは知らない
僕らはそんなことは少しも知らない
けれども僕らは今この驅逐艦を見てゐる僕らの心が
ああこんなにも深い感動を覺えるわけならそれなら
僕らはみんな知つてゐる
三好達治「驅逐艦」『干戈永言』(S20.6刊)
「六月また来り」『干戈永言』
六月また來り
みどり萌えさかえ
つばくらら軒端に孵りさへづれり
麥の穗は黃ばみつらなり
ありなしの風にもふるへおののけり
ああ中世勇武のみいくさ
四方(よも)に戰ひ
四方に捷てども
しかれどもあたもまた未だ降らず
しきりにはかりごとをめぐらし
皇國の四邉に來りせまらんとす
われら野にくさかひ
土に水そそぐ日も
この日誰人か初夏の風快きに醉ふものぞ
げにもよきかな
麥の穗は黃ばみおののき
その穗先天を指し怒れるを見よ
卽ちこれわれらが野の六月の歌!
三好達治「六月また來り」『干戈永言』(S20.6刊)
「ゆけ学徒」『干戈永言』
肇國二千六百餘歲
國步いま 最も艱難の時にあたれり
み軍は四方(よも)に戰ひ 勝ちがたきいくさに捷てど
賊虜また日に旺んに
波濤を踐(ふ)み 長風に御し
はるかに東西南北より
神州の隙(げき)をうかがはんとす
そらにみつやまとの國の
名にしおふともの逸雄(はやを)ら
學び舎にふみよむともも
いかでかはおぞのえびすのさかしらを忍びまつべき
いざよはや逆寄(さかよ)せに擊たでやむべき
螢雪の功をなからに
いざさらば書(ふみ)をなげうち
劍佩(つるぎは)きいましいでたつ
一代の俊髦一世の精鋭
ゆけ學徒
この日天高く氣澄み
視界萬里はるかす地平の極み
海原に 空のはたてに かしこに重き任はあり
ゆけ學徒 ゆきて卿らの任につけ
ますらをの淚ありとも 離別の間にそそがじじ
いざさらば一代の俊髦一世の精鋭
ゆけ學徒
肇國二千六百餘歲
國步いま 最も艱難の時にあたれり
三好達治「ゆけ學徒」『干戈永言』(S20.6刊)