三好達治bot(全文)

twitterで運転中の三好達治bot補完用ブログです。bot及びブログについては「三好達治botについて」をご覧ください

「捷報臻る」『捷報いたる』

捷報いたる
捷報いたる
冬まだき空玲瓏と
かげりなき大和島根に
捷報いたる
眞珠灣頭に米艦くつがへり
馬來沖合に英艦覆滅せり
東亞百歲の賊
ああ紅毛碧眼の賤商ら
何ぞ汝らの物慾と恫喝との逞しくして
何ぞ汝らの艨艟の他愛もなく脆弱なるや
而して明日香港落ち
而して明後日フイリッピンは降らん
シンガポールまた次の日に第三の白旗を揭げんとせるなり
ああ東亞百歲の蠹毒
皺だみ腰くぐまれる老賊ら
已にして汝らの巨砲と城塞とのものものしきも
空し
そは汝らが手だれの稼業の
ゆすりかたりを終ひに支えざらんとせるなり
かくて東半球の海の上に
我らの聖理想圏は夜明よるあ
黎明のすずしき微風は動かんとせり

 

 

三好達治「捷報臻る」『捷報いたる』(S17.7刊)

「灰色の鴎」『一点鐘』

彼らいづこより來しやを知らず
彼らまたいづこへ去るやを知らない

 

かの灰色の鷗らも
我らと異る仲間ではない

 

いま五月の空はかくも靑く
いま日まわりの花は高く垣根に咲きいでた

 

東してここに來る船あり
西して遠く去る船あり

 

いとけなき息子は沙上にはかなき城を築き
父はこなたの陽炎に坐してものを思へり

 

漁撈の網はとほく干され
貨物列車は岬の鼻をめぐり走れり

 

ああ五月の空はかくも靑く
はた海は空よりもさらに靑くたたへたり

 

しかしてああ いぢらしきこれら生あるものの上に
かの海風は 鰯雲は高く來るかな……

 

しかしてああ げにわれらの運命も
かの高きより來るかな……

 

されば彼ら 日もすがらかしこに彼らの圓を描き
されば彼ら 日もすがら彼らの謎を美しくせんとす

 

彼らいづこより來しやを知らず
彼らまたいづこへ去るやを知らない

 

かの灰色の鷗らも
我らと異る仲間ではない

 

 

三好達治「灰色の鷗」『一點鐘』(S16.10刊)

「毀れた窓」『一点鐘』

廢屋のこはれた窓から
五月の海が見えてゐる

 

硝子のない硝子戸越しに
そいつが素的なまつ晝間だ

 

波は一日ながれてゐるその額緣に
ポンポン船がやつてくる

 

灰色の鷗もそこに集つて
何かしばらく解けない謎を解いてゐる

ぽつかり一つそんな時鯨がそこに浮いたつて
よささうな鹽梅風にも見えるのだ

 

それをぼんやり見てゐるとどういふものか
俺の眼にはふと故郷の街がうかんできた

古い石造建築のどうやら銀行らしいやつの
くつきりとした日かげを俺が步いてゐる

 

まだ二十前の俺がそれから廣場をまた突切てゆくのだ
ああそれらの日ももうかへつては來なくなつた……

 

そんな思出でもない思出が
隨分しばらく俺の眼さきに浮んでゐた

どういふ仕掛けの窓だらう
何しろこいつは素的な窓だ

 

丘の上の
松の間の

 

廢屋のこはれた窓から
五月の海が見えてゐる

 

三好達治「毀れた窓」『一點鐘』(S16.10刊)

「いつしかにひさしわが旅」『一点鐘』

たまくしげ凾根の山の
こなたなる足柄の山

 

をさなき日うたにうたひし
その山のふもとの出湯でゆ

 

ゆくりなくわが來たり臥ふす
春の日をいくへにけむ

 

朝なななくきぎすはも
けたたまし谷をとよもし

 

はたたくや
木もれ陽のうち

 

つと見ればつまをてかの
澤ひとつわたりてあとは

 

またそこの欅のうれに
ありなしの風の聲のみ

 

わが旅のひさしきをあな
いつの日かわすれてゐしよ

 

ひそかなるかかるおそれに
かへり見るをちのしじまゆ

 

驛遞の車のこゑす
驛遞の車のこゑす

あはれやな みじかかる命とは知れ
いつしかにひさしわが旅

 

 

三好達治「いつしかにひさしわが旅」『一點鐘』(S16.10刊)

「鷗どり」『一点鐘』

ああかの烈風のふきすさぶ
砂丘の空にとぶ鷗
沖べをわたる船もないさみしい浦の
この砂濱にとぶ鷗
(かつて私も彼らのやうなものであつた)

 

かぐろい波の起き伏しする
ああこのさみしい國のはて
季節にはやい烈風にもまれもまれて
何をもとめてとぶ鷗
(かつて私も彼らのやうなものであつた)

 

波は砂丘をゆるがして
あまたたび彼方にあがる潮煙り その轟きも
やがてむなしく消えてゆく
春まだき日をなく鷗
(かつて私も彼らのやうなものであつた)

 

ああこのさみしい海をもてあそび
短い聲でなく鷗
聲はたちまち烈風にとられてゆけど
なほこの浦にたえだえに人の名を呼ぶ鷗どり
(かつて私も彼らのやうなものであつた)

 

 

三好達治「鷗どり」『一點鐘』(S16.10刊)

「一点鐘二点鐘」『一点鐘』

靜かだつた
靜かな夜だつた
時折りにはかに風が吹いた
その風は そのまま遠くへ吹きすぎた
一二瞬の後 いつそう靜かになつた
さうして夜が更けた
そんな小さな旋じ風も その後谿間を走らない……

 

一時が鳴つた
二時が鳴つた
一世紀の半ばを生きた 顏の黃ばんだ老人の あの古い柱時計
柱時計の夜半の歌

 

山の根の冬の旅籠の
噫あの一點鐘
二點鐘

 

その歌聲が
私の耳に蘇生る
そのもの憂げな歌聲が
私を呼ぶ
私を招く

 

庭の日影に莚を敷いて
妻は子供と遊んでいる
風車のまはる風車小屋
――玩具の粉屋の窓口から
砂の麺麭粉がこぼれ出る
麺麭粉の砂の一匙を
粉屋の屋根に落し込む

くるくるまはれ風車……
くるくるまはれ風車……

 

卓上の百合の花心は
しつとり汗にぬれてゐる
私はそれをのぞきこむ
さうして私は 私の耳のそら耳に
過ぎ去つた遠い季節の
靜かな夜を聽いてゐる
聽いてゐる
噫あの一點鐘
二點鐘

 

 

三好達治「一點鐘二點鐘」『一點鐘』(S16.10刊)

「かつてわが悲しみは」『艸千里拾遺』

かつてわが悲しみは かの丘のほとりにいこへり
かつてわが悲しみは かの丘のほとりにいこへり

 

五月またみどりはふかく 見よ
かなたに白き鳥のとぶあり

 

おのが身ははやく老いしか
この日また家にいそぐや

 

あてどなき旅のひと日の
夕暮れの汽車のまどべに

 

かの丘にしづかに來り
かの丘は來りぬかづく

 

見よかしこに なつかしきかの細路は 木の間をいゆきめぐりたり
見よかしこに なつかしきかの細路は 木の間をいゆきめぐりたり

 

されど今はなし 今はなし 今はなし
かの遠き日の かずかずのわがもの思ひ

 

あはれ 今はなし
今はなし げに

 

あはれげに わが思出はかの丘の木かげに眠れり
あはれげに わが思出はかの丘の木かげに眠れり

 

 

三好達治「ヱピローグ」『艸千里拾遺』(『一點鐘: 詩集』S19.4刊)