「老いらくの身をはるばると」『艸千里拾遺』
「日まはり」『艸千里拾遺』
橋の袂の日まはり
床屋の裏の日まはり
水車小屋の日まはり
交番の陰の日まはり
頽れた築地の上に聳えた
路ばたの墓地の日まはり
丘の上の洒落た一つ家
そのまた上の 女學校の 寄宿舎の
庭の日まはり
ああ日まはり
日まはり
それは旺んな季節の洪水
七月 この海邊の町を不意打して
この小さな町をとりかこみ 占領し
彼らの眞晝の凱歌をうたふ
日まはり
日まはり
彼方町はづれの踏切にも
此方天守の崩れた城址にも
ここかしこ 到るところに
いま一ひらの雲もない靑空をささげて咲いた日まはり
日まはり
若き日のわが夢のかずかず
…………………………
しかはあれその花の一輪にだも
今日の日のわれが望みはしかざるなり
げにその花の一輪にだも
海の音彼方に高き日ざかりを
いまこの町をゆきゆきて
なほその花の下陰にわれは立つとも
三好達治「日まはり」『艸千里拾遺』(『一點鐘: 詩集』S19.4刊)
「海よ」『艸千里拾遺』
門を閉ぢよ 心を開け……
それで私は 表を閉めて
裏の垣根を越えてきた
蜜柑畠の間を拔けて
海よ お前の渚に
かうして私は一人できた
ああ陽炎のもえる初夏の小徑
海よ 私は何を考へよう
思出のやうにうすぐもつて
私はお前に向きあつて
私は世間に背中を向ける
門を閉ぢよ 心を開け……
それで私は表を閉めて
裏の垣根を越えてきた
海よ お前の渚に
かうして私は腰を下ろし
かうして私は甲羅を干す
天と 地と
岬の鼻の鴉の群れと
膨らみ上る ああまるく高く膨らみ上るお前の浪の數々と
胸のしんにずんと響く そのお前の歌聲と
きらめくばかり眞白な 季節の新らしいそれらの帆の
二つ三つと
海よ
海よ
やがて私は旅だつだらう
海よ
お前のこの渚からも
やがて私は旅だつだらう
人の不實を憤ることも
自らの眞實に醉ふことも
その時私はやめるだらう
その日がやがて來るだらう
ああその
お前と別れる日のために
今日私はお前を謳ひ
今日私はお前と遊ぶ
お前の渚に
私は今日お前と遊ぶ
三好達治「海よ」『艸千里拾遺』(『一點鐘: 詩集』S19.4刊)
「汝の薪をはこべ」『艸千里』
春逝き
夏去り
今は秋 その秋の
はやく半ばを過ぎたるかな
耳かたむけよ
耳かたむけよ
近づくものの聲はあり
窓に
訪なふ客の聲はあり
落葉の上を步みくる冬の跫音
ああ汝
汝の薪をはこべ
今は秋 その秋の
賢くも汝の薪をとりいれよ
ああ汝 汝の薪を取りいれよ
冬近し かなた
遠き地平を見はるかせ
いまはや冬の日はまぢかに逼れり
やがて雪ふらむ
汝の國に雪ふらむ
きびしき冬の日のためには
爐をきれ 竈をきづけ
孤獨なる 孤獨なる 汝の
薪をはこべ
ああ汝
汝の薪をはこべ
日はなほしばし野の末に
ものの花さく今は秋
その秋の林にいたり
汝の薪をとりいれよ
ああ汝 汝の冬の用意をせよ
三好達治「汝の薪をはこべ」『艸千里』(S14.7刊)
「廃園」『艸千里』
春夏過ぎて
秋はきぬ
わがこころの園生に
蟲啼けり
あはれなる蟲は啼けり
木にも草にも
荒れ蕪れて また荒れ蕪れし
あかつきの わがこころの園生に
おん墓あり
その日より ここにとこしへにおん墓あり
君知りたまふや
愚かなるわがためには そは二つなき思出の奧津城なり
海山越えて
遠き日はいゆきさかりぬ
ゆきゆきていよいよはるけく
ものなべてかへらぬ旅びと
時ふれば金石もやがて泯びん
ましてこのはかなかる君がおん墓
幻のなにたのむべき
愚かなる奧津城もりは
かくみづからにつぶやきかたり
時雨ふるこの曉を
船出する人のごとくに
夢みつつ ものおもひつつ
心さへとみにおとろへ
翁めくここちするかな
三好達治「廢園」『艸千里』(S14.7刊)
「紅花一輪」『艸千里』
なつかしき南の海……
なつかしきは伊豆の國かな
二日三日 わがのがれきて
ひとり愁ひを養へる
宿のうしろのきりぎしの
ほのぐらき雜木まじりに
ひともとたてるやぶ椿
いま木洩れ陽のかげうごく
ふとしも見れば
ここだくの花は古りたる もも枝の
そのひと枝ゆ
この
廊わたるわれにむかひて眼くばせす
わが心旣におとろへ 久しくものに倦んじたり
神在すとは 信うすきわれらが身には 何の
われは信ず
ただにはつかに
われは信ず
かの紅花一輪 わがためにものいふあるを
如何に 如何に
人人百度もわれをたばかりあざむく日にも
われは生きん
われは生きん
——かの一輪の花の言葉によりてこそ
三好達治「紅花一輪」『艸千里』(S14.7刊)