三好達治bot(全文)

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「煙子霞子」『霾』

壁には新らしい繪を揭げ
甕には新らしい花を挿し
窗には新らしい鳥籠を吊るした
これでいい さあこれでいいではないか
今日一日私はここにおちつかう
今日一日?
ここはお前の住居ではないか
私の心よ
お前の棲り木を愛するがいい
お前の小鳥と同じやうに そこでお前も歌ふがいい――

 

さうして日が暮れる
松の林のむかうの尾根にしばらく夕燒が殘つてゐる
明るい廊下がしかし間もなく暗くなる
靜かな夕暮れ
波の音が追々近く高くなる

 

煙子霞子 二人の豎子こびと
――こんな時 どこかの谿間で
私のために笙を吹く 角を吹く
兎のやうに とんぼがへりをして踊る
私にはそれが解る
そらまた手を拍つ 足を踏む

 

行雲流水 い往きとどまるものはなし
わがよたれそつねならむ……
それなら私はどこへ行くにも及ぶまい
ここにかうしてゐるとしよう
ここにかうしてゐるとしよう
とまれ
今日一日は

 

 

三好達治「煙子霞子」『霾』(S14.4刊『春の岬: 詩集』所収)

「蝉」『艸千里』

 蟬といふ滑車がある。井戸のくるるの小さなやうなものである。和船の帆柱のてつぺんに、たとへばそれをとりつけて、それによつてするすると帆を捲き上げる時、きりきりと帆綱の軋るその軋音を、海上で船人たちは蟬の鳴聲と聞くのである。セミ、何といふ可憐な物名であらう。
 今年五月十日、私は初めて、私の住む草舎の前の松林に、ひと聲蟬の鳴き出る聲を聞いた。折から空いちめんの薄雲が破れて、初夏といふにはまだ早い暮春の陽ざしが、こぼれるやうに斜めに林に落ちてきた、私はそれに氣をとられて讀んでゐた本を机の上に置かうとしてうなじを上げた、その時であつた、天上の重い扉が軋るやうに、ぎいいとひと聲、參差として松の梢の入組んだとある方に、珍らしや、ただひと聲あの懷かしい聲を風の間に放つものがあつた。
 蟬! 新らしい季節の扉を押し開く者!
 私がさうひそかに彼に呼びかけた時、空は再び灰色雲に閉ざされた。さうして蟬はその日はそのまま鳴かなかつた。三日ばかりうすら寒い日がつづいた。蟬はまた四日目の朝、同じやうに雲の斷れ目をちらりと零れ落ちる陽ざしに、いそいで應へかへすやうに、あのおしやべりの彼がしかし控へ目に、おづおづと、短い聲でぎいと鳴いた。さうしてひと息ついてもう一度念を押すやうにぎいいと鳴いた。それは何か重たいものを强い槓杆てこで動かすときのやうな聲であつた。私は鳴きましたよ、私は鳴いてゐますよ、蟬は恐らくさういふつもりで鳴いてゐるのであらう、ほんのそのしるしだけ。陽ざしが翳れば、その聲はすぐにやんだ。さうしてそれはもう一度陽ざしが新らしくこぼれ落ちるまで、いつまでも辛抱强く沈默を守つてゐた。だからその聲は、そんな風に蟬が鳴いてゐるといふよりも、寧ろ松の間で初夏の陽ざし自らが聲をたててゐるやうな風にも聞えるのであつた。
 私の祖母は蟬のことをセビセビと云つた。
 ――ああ、セビセビが喧ましくつてねられやしない……
 晝寐の夢をこの騷々しい連中に妨げられて、そんな不平をこぼしてゐたのもまだつい昨日のやうである。私は丁度今時分の頃になつて、每年蟬の聲を聞きとめた最初の日に、きまつて祖母のことを思ひ出す、それからあのセビセビといふ妙な言葉を。
 蟬が鳴いてゐる。蟬はその後ひきつづいて每日鳴いてゐる。そして今日は六月朔日である。私は今日外から歸つてきて、松林の丘を登りながら、その小徑の踏段の一つに、まつ黑に集つた數百匹の蟻によつて運ばれてゐる、小さな蟬の遺骸なきがらを見た。羽の透明な、小指の頭ほどの蟬である。五月十日から今日まで、假りにその小さな昆蟲の命を三週間ばかりのものとするなら、私は既にその幾倍の時間をこの地上に生きてきただらう、そんな計算をつづけながら私は丘の小徑を登つた。――七百倍。さうして私の愕いたのは、その大きな數字ではない、七百倍にも餘る私の長い過去の、何と遽しかつたこと!

 

 

三好達治「蟬」『艸千里』(S14.7刊)

「冬の日」『一点鐘』

   ――慶州佛國寺畔にて

ああ智慧は かかる靜かな冬の日に
それはふと思ひがけない時に来る
人影の絕えた境に
山林に
たとへばかかる精舍の庭に
前觸れもなくそれが汝の前に來て
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「靜かな眼 平和な心 その外ほかに何の寶が世にあらう」

秋は來り 秋は更ふけ その秋は已にかなたに步み去る
昨日はいち日激しい風が吹きすさんでゐた
それは今日この新らしい冬のはじまる一日だつた
さうして日が昏れ 夜半に及んでからも 私の心は落ちつかなかつた
短い夢がいく度か斷れ いく度かまたはじまつた
孤獨な旅の空にゐて かかる客舎の夜半にも
私はつまらぬことを考へ つまらぬことに懊んでいた

さうして今朝はなんという靜かな朝だらう
樹木はすつかり裸になつて
鵲の巣の二つ三つそこの梢にあらはれた
ものの影はあきらかに 頭上の空は晴れきつて
それらの間に遠い山脈の波うつて見える
紫霞門の風雨に曝された圓柱(まるばしら)には
それこそはまさしく冬のもの この朝の黃ばんだ陽ざし
裾の方はけぢめもなく靉靆として霞に消えた それら遙かな巓(いただき)の靑い山山は
その清明な さうしてつひにはその模糊とした奧ゆきで
空間(スペース)といふ 一曲の悠久の樂を奏しながら
いま地上の現(うつつ)を 虛空の夢幻に橋わたしてゐる

 

その軒端に雀の群れの喧いでいる泛影樓の甍のうへ

さらに彼方疎林の梢に見え隱れして
そのまた先のささやかな聚落の藁家の空にまで
それら高からぬまた低からぬ山々は
どこまでも遠くはてしなく
靜寂をもつて相應へ 寂寞をもつて相呼びながら連つてゐる
そのこの朝の 何といふ蕭條とした
これは平和な 靜謐な眺望だろう

さうして私はいまこの精舎の中心 大雄殿の緣側に
七彩の垂木の下に蹲まり
くだらない昨夜の夢の蟻地獄からみじめに疲れて歸つてきた
私の心を掌にとるように眺めてゐる
誰にも告げるかぎりでない私の心を眺めてゐる
――眺めてゐる

今は空しいそこここの礎石のまはりに咲き出でた黃菊の花を
かの石燈の灯袋(ひぶくろ)にもありなしのほのかな陽炎のもえているのを


ああ智慧は かかる靜かな冬の日に
それはふと思いがけない時に來る
人影の絕えた境に
山林に
たとへばかかる精舎の庭に
前觸れもなくそれが汝の前にきて
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「靜かな眼 平和な心 そのほかに何の寶が世にあらう」

 

 

三好達治「冬の日」『一點鐘』(S16.10刊)

「鶏林口誦」『一点鐘』

たくぶすま新羅の王の陵(みささぎ)に
秋の日はいまうららかなり

 

いづこにか鷄(とり)の聲はるかに聞こえ
かなたなる農家に衣(きぬ)を擣つ音す

 

路とほくこし旅びとは
ここに憩はん 芝艸はなほ綠なり

 

綿の畑の綿の花
小徑の奧に啼くいとど

松の梢をわたる風
艸をなびけてゆく小川

うつらうつらと觀相の眼をしとづれば
つぎつぎに起りて消ゆるもののこゑ

ひそまりつくすと時しやも 蒼天ふかく
はたゆるやかに蜂ひとつ舞ひこそくだれ

日のおもて 石獅(せきし)は土にうづまりて
禮(いや)をするとや石人(せきじん)は身をこごめたり

ああいつの日かゆけるものここにかへらん
王も 妃(きさき)も 群衆(ぐんじゆう)も はた八衢も 高殿も

 

夢より輕きし羅(うす)ものをかづきて舞へる歌妓(うたひめ)の
幻かこははだら雲 林のうれを飛びゆきて

 

つゆ霜にわれのへてこし艸の路
王の宮居のあとどころ かへり見すれば

 

うなじのべ尾を垂りてたつ 巨き牛
透影(すいかげ)にしてたたずめる

 

靑空や
土壘の丘や

 

まことやな 亡びしものは
ことごとく土にひそみて

 

艸の穗に
秋の風ふく

 

 

 

三好達治「鷄林口誦」『一點鐘』(S16.10刊)

「廃馬」『艸千里』

 遠く砲聲が轟ゐてゐる。聲もなく降りつづく雨の中に、遠く微かに、重砲の聲が轟ゐてゐる。一發また一發、間遠な間隔をおいて、漠然とした方角から、それは十里も向うから聞こえてくる。灰一色の空の下に、それは今朝から、いやそれは昨日からつづいゐる。雨は十日も降つてゐる。廣袤無限の平野の上に、雨は蕭々と降りつづいてゐる。
 ここは泥濘ぬかるみの路である。たわわに稔つた水田の間を、路はまつ直ぐ走つてゐる。黃熟した稻の穗は、空しく收穫の時期を逸して、風に打たれて旣に向き向きに仆れてゐる。見渡すかぎり路の左右にうちつづいた、その黃金色のほのかな反射の明るみは、密雲にとざされたこの日の太陽が、はや空の高みを渡り了つて吊瓶落しに落ちてゆく。午後の時刻を示してゐる。
 今ここに一頭の馬――癈馬が佇んでゐる。それは癈馬、すつかり馬具を取除かれて路の上に抛り出された廢馬である。それは蹄を泥に沒してきよとんとそこに立つてゐる。それは今うな埀れた馬首を南の方へ向けてゐる。恐らくそれは北の方から、今朝(それとも昨日……)この路の上を一群の仲間と共に南に向つて進軍をつづけてきたものであらう。さうしてここで、その重い軛から解き放たれて、
 ――たうたうこいつも駄目になつた、いいから棄てて行け。
 そんな言葉と一緒に、今彼の立つてゐるその泥濘の上に、すつかり裸にされた上で抛り出されたものであらう。そうして間もなく、その時まで彼もまたその一員だつたその一隊の軍隊は、再び南の方へと進軍を起して、やがて遠く彼の視界を越えて地平に沒し去つたのであらう。
 激しい掛聲も、容赦ない柏車も鞭打ちも、つひに彼を勵まし促し立てることの出來なくなつた時、彼はここに棄てられたのである。彼にも休息が與へられた。そうして最後に休息の與へられたその位置に、彼はいつまでも南を向いて立つてゐる、立ちつくしてゐる。尻尾一つ動かさうとするでもなく、ただぐつたりと頭を垂れて。
 見給へ、その高く聳えた腰骨を、露わはな助骨を、無慙な鞍傷を。膝のあたりを縛つた繃帶にも既に黝ずんだ血糊がにじんでいるではないか。
 たまたまそこへ一臺の自動車が通りかかつた。自動車はしきりに警笛の音をたてた。彼はそれにも無關心で、車の行手に立ち塞がつたまま、ただその視線の落ちたところの路面をじつと見つめていた。車はしずかに彼をよけて通りすぎなければならなかつた。
 廣漠とした平野の中の、彼はそうしていつまでも立ちつくしていた。勿論彼のためには飢えを滿すべき一束の枯草も、風雨を避くべき厩舎もない。それらのものが今彼に與えられたところで、もはやそれが何ならう、彼には既に食慾もなく、いたわるべき感覺もなくなつているに違いない。
 それは既に馬ではなかつた。ドラクロアの「病馬」よりも一層怪奇な姿をした、くぐつより雨に濡れたこの生き物は。この泥まみれの生き物は、生あるものの一切の意志を喪いつくして、そうしてこのことによつて、影の影なるものの一種森嚴な、神祕的な姿で、そこに淋しく佇んでいた。それは既に馬ではなかつた。その覺束ない脚の上にわずかに自らを支えている、この憐れな、孤獨な、平野の中の點景物は。
 折からまた二十人ばかりの小部隊が彼の傍らを過ぎていつた。兵士達は彼の上に軍帽のかげから憐憫の一瞥を投げ、何か短い言葉を口の中で呟いて、そうしてそのまま彼を見捨てて、もう一度彼の姿をふりかえろうともせず、蕭然と雨の中を進んでいた。
 雨は聲もなく降りつづいている。小止みもなく、雨は十日も降つている。
 やがて時が來るだろう、その傷ついた膝を、その虔ましい困憊しきつた兩膝を泥の上に跪いて、そうして彼がその勞苦から彼自身をとり戻して、最後の憩いに就く時がやがて間もなく來るだろう。
 遠く重砲の音、近く流彈の聲。

 

 

三好達治「廢馬」『艸千里』(S14.7刊)

「おんたまを故山に迎ふ」『艸千里』

ふたつなき祖國のためと
ふたつなき命のみかは
妻も子もうからもすてて
いでまししかの兵つはものは つゆほども
かへる日をたのみたまはでありけらし
はるばると海山こえて
げに
還る日もなくいでましし
かのつはものは

 

この日あきのかぜ蕭々と黝みふく
ふるさとの海べのまちに
おんたまのかへりたまふを
よるふけてむかへまつると
ともしびの黃なるたづさへ
まちびとら しぐれふる闇のさなかに
まつほどし 潮騷のこゑとほどほに
雲はやく
月もまたひとすぢにとびさるかたゆ 瑟々と樂の音きこゆ

 

旅びとのたびのひと日を
ゆくりなく
われもまたひとにまじらひ
うばたまのいま夜のうち
樂の音はたえなんとして
しぬびかにうたひつぎつつ
すずろかにちかづくものの
莊嚴のきはみのまへに
こころたへ
つつしみて
うなじうなだれ

 

國のしづめと今はなきひともうなゐの
遠き日はこの樹のかげに 鬨つくり
讐うつといさみたまひて
いくさあそびもしたまひけむ
おい松が根に
つらつらとものをこそおもへ

 

月また雲のたえまを驅け
さとおつる影のはだらに
ひるがへるしろきおん旌
われらがうたの ほめうたのいざなくもがな
ひとひらのものいはぬぬの
いみじくも ふるさとの夜かぜにをどる
うへなきまひのてぶりかな

 

かへらじといでましし日の
ちかひもせめもはたされて
なにをかあます
のこりなく身はなげうちて
おん骨はかへりたまひぬ

 

ふたつなき祖國のためと
ふたつなき命のみかは
妻も子もうからもすてて
いでまししかのつはものの
しるしばかりの おん骨はかへりたまひぬ

 

 

三好達治「おんたまを故山に迎ふ」『艸千里』(S14.7刊)

「大阿蘇」『霾』

雨の中に馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭蕭と降つてゐる
馬は草を食べてゐる
尻尾も背中も鬣も ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
草をたべてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる 蕭蕭と降つてゐる
山は煙をあげている
中嶽の頂から うすら黃ろい 重つ苦しい噴煙が濛濛とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草を食べてゐる
草千里濱のとある丘の
雨に洗はれた靑草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな靜かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは靜かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭蕭と降つてゐる

 

三好達治「大阿蘇」『霾』(S14.4刊『春の岬: 詩集』所収)