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「砂の錨」『百たびののち』

百の別離
百たびの百の別離の 百たびを重ねたのちに
赤つさびた雙手錨(もろていかり)がごろりとここにねこんでゐる砂の上
こんな奴らのことだから 素つ裸さ
吹きつさらしの寒ざらし
それでもここの濱びさし 軒つぱには陽がさして
物置きだから誰もゐない
そこらの海はうす濁つて いづれ誰かの着ふるしさ よごれた波をうちあげる
忘れたじぶんにもう一ど 七つさがりの 袖たもと……
ああもう何の用もない古い記憶をうちあげる波うちぎは
俺はまたこんな世間のはづれまで何をたづねてきただらう
世界ぢゆうはここからはずつとむかふの遙かの方で
電波塔よりなほ高く煙火やなんぞ打上げてお祭氣分でゐるらしい
それも昨日の をとと日の いい氣なもんさ
三年前のふる新聞にもぎつしりの その出來事で今日もまた
ぎつしり詰めのマッチ箱 よくよくそれを積み重ね
流れ作業でかきまはし……
だからそこらの煙突は休まず煙を吐いてゐる
吐いてゐる
工場街はでこでこに積木の上にもう一つ 充實緊張傾きかかつたざまはない低姿勢だ
今日の夕陽の落ちかかる岬の鼻までせり出して
時には汽笛(ふえ)もふくだらう
こんなところにやつてきて俺の見るものは
踵(かがと)のきれたぼろ靴が二足半ほど
そいつも煙を吐いてゐる 古ぼろ船が艫(とも)をそろへて
痩せつこけたおふくろの あすこの棧橋の下つ腹にかじりついてる
ああいぢらしいそんな家畜にせつせとブラシをかけてゐる水夫たち
ポンポン・ルウジュの鼻唄まで
いちいち俺はていねいに眼がねでもつてのぞいてやつた
ーーたしか去年の春だつた
たしかにあれは夏のすゑ いやもうそれは秋だつた そんな日なみに
倉庫のかげから飛んでゆく 白くほほけたタンポポの 小さな綿毛の
ヘリコプターの飛んでゆくのを見たつけな
つかぬことまでもう一つ ここにきて俺は思出した
思出した つまりは もう一度それを忘れた きりもないこと
げにげに俺の見るものは ここらあたりの見渡しは
づつしり重い風景で そいつが俺を輕くする
ああ俺を 輕くする 重くする 重たくする
こいつに限るよ
どうだらう
夢のやうにも輕々と
づつしり重たく赤さびて ああ俺自身肱を張つて
遠い遠い別離のあと こんなところでねこんでる 砂の錨だ

 

 

三好達治砂の錨」『百たびののち』(S50.7刊)