三好達治bot(全文)

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「行人よ靴いだせ」『駱駝の瘤にまたがつて』

行人よ靴いだせ
行人よ靴いだせ
脂ぬり刷毛はかん
ひぢはらひ釘うたん
鋲うたん
革うたん
靴いだせ行人よ
行人よ靴いだせ
故鄕の柳水にうなだれ
塵たかくジープは走れ
掘割にゆく舟を見ず
街衢みな平蕪
ボイラー赤く錆び
蛇管は草に渇きたり
ここにしてつゑつきつな
巷路暮春の風
いかなれば聽くを須ゐん
天ひろく
眼はむなし
つばくらら肱をめぐりて
地にしける甍をかすむ
路はただ水に隨ひ
直としてすゑは靑めり
わが昔中學に通ひし路なり
ゆくところ麥の穗はうれ
大根の花こぼれ散り
月見草あるは晝咲く
ああこれ狹斜の地歌舞の跡
綺語臙脂沈麝の薰り
婀娜たりや夢も亦…… 智慧の環の
見ればつとほぐれて走るくちなはのうせてのち――
日は蝕と
日は蝕と人よぶ聲す
襤褸らんるの子ものかげに天をあふげり
されどまた路傍の石にかしましく
行人よ靴いだせ
行人よ靴いだせ
脂ぬり刷毛はかん
絲かがり針ぬはん
鋲うたん
革うたん
靴いだせ行人よ
行人よ靴いだせ
あはれまたここも闇市
あてどなき喪家の犬か
えうもなきすゑの世をわれはゆきゆけ
ありとなし思出も亦
ジープただ北し南す
ふるさとの暮春の巷
………………………
行人よ靴いだせ
行人よ靴いだせ

 

 

三好達治「行人よ靴いだせ」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「いただきに煙をあげて」『駱駝の瘤にまたがつて』

いただきに煙をあげて――
いただきに煙をあげて走つてくる大きな波
ああこの沖の方から惡夢のやうに額をおしつけてくる獸ものたち
起ち上り起ち上り 起ち上り
まつ暗な重たい空の重壓から無限におしよせてくる意志 厖大な獸ものの頭蓋
さうしてその碎け飛ぶ幻影まぼろし

束の間の丘陵とまたその谿間と
遠く遠くはてしない闇黑の四方に飜り揉みあふこゑ
いただきに煙をあげて 煙をあげて走つてくる大きな波
起ち上り起ち上り 起ち上る
まつしろなその穗がしら――
ながい時間のあひだ私の見つめてゐた幻影まぼろし
ああこの一つの展望から さやうなら 今はもう私のたち去る時だ
私の精神の上に 苦しく懷しい季節はかくして通りすぎた ――然り私はもうこの岩礁の上からたち去るだらう
ふたたびここに歸る時なく
飛沫にぬれた外套の中に凍りながら
彼方に促されてたち去るだらう
心ももと 自由ではない
――駒鳥も冬はうたはぬ
かくして彼方に遠のいてゆく遠雷のやうな海鳴りの上に
私はふたたび人の名を呼ばないでせう

 

 

三好達治「いただきに煙をあげて」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「ここは東京」『駱駝の瘤にまたがつて』

私はあなたに敎へてあげたい
ここは東京 燒け野つ原のお濠端です
こんなに霧のかかつた夜ですが 女のひとよ
ここは北京ではありません また巴里でもありません
あなたはどちらへゆかれるのでせう
あなたは路にまよはれたのです
私はあなたに敎へてあげたい
あなたはそんなにもの思はしげに外套の襟に顎をうづめて
うすらつめたいこんな夜霧にぬれながら
どちらへお歸りのおつもりでせう
まあ一度額をあげてごらんなさい
その鈴懸の竝木のぐあひをごらんなさい
枯木のままの骸骨どもをごらんになつてはどうでせう
幾年ぶりで昔の主人にめぐり會つた飼犬のやうな直感で
またその家畜のやうなもどかしさで
私はあなたにあなたの見うしなはれた遠いお住ひを敎へてあげたい
あなたはいちづな性分です
あなたは路をいそがれます
霧の中に消えてゆくあなたの跫音をききながら
私はかうして街燈のかげにひそんでゐるつまらぬ祕密探偵ですが
考へてもごらんなさい
追剝どもの待伏せするこんな夜路をあなたはごぞんじのはずはない
はやく夢からおさめなさい 女のひとよ
その外套のかくしの中で あなたの手はかたくかたく
つめたく握りしめられてゐる
實はたぶんそれがあなたの夢なんですよ
ふしぎに淋しく遠ざかつてゆくあなたのうしろ姿にむかつて
私は警笛でも吹いてあげたい
ああそらあなたはまたそんな街角を一つ曲つてどちらへゆかれるおつもりでせう
こんなに霧のふかい夜ふけですが 女のひとよ ここは東京
燒け野つ原のお濠端です
あなたは路にまよはれたのです
女のひとよ

 

三好達治「ここは東京」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「けれども情緒は」『駱駝の瘤にまたがつて』

けれども情󠄁緖は春のやうだ
一人の老人がかう呟いた
燒け野つ原のみぎりの上で
孤獨な膝をだいてゐる一つの運命がさう呟いた
妻もなく家庭もなく隣人もなく
名譽も希望も職業も 歸るべき故鄕もなく
貧しい襤褸らんるにつつまれて 語られ終つたわびしい一つの物語り
谿間をへだてた向うから呼びかへしてくる谺のやうな 老人がさう呟いた
かひがひしい妻 やさしい家族 暮しなれた習慣と隣人と
そのささやかな幸福のすべてがかつてそこにあつた
燒け野つ原のみぎりの上で
薄暮の雨に消えてゆく直線圖形の掘割のむかうの方
みづがね色の遠景に畸型に歪んでおびえてゐる戰災ビルの肩を越えて
病氣の貧しい子供らが歌ひはじめる唱歌のこゑ――
それはまばらにさむざむと またたのしげに 瞬きはじめた都會の
ああその薔薇いろのひとみとほく輝きはじめた眼くばせが
しかしいま私に何のかかはりがあらう
そのまたずつとむかうの空に重たく暗く沈んでゆく山脈に
けふの私の一日が遮ぎり斷たれ つひには虛無にしまひこまれて消えていく黃昏時に
いつまでもいつまでも
空しく風にゆれてゐる柳のかげをたち去らぬこのおだやかな このつかれた この孤獨な情󠄁緖は 情󠄁緖はまるで春のやうだ……
一人の老人が額をふせてさう呟いた
けれども情󠄁緖は 情󠄁緖はまるで春のやうだ
しのしのとのび放題に生ひ繁つた草つ原
――その枯れ枯れにうら枯れはてたそこらあたりに
おもたく澱んだ掘割の水がくされてゐる
そこいらいちめん崩れかかつた煉瓦塀の間から 雀の群れが飛びたつた
氣まぐれな思出のやうに 一つ一つ弱い翼を羽ばたいて
巷の小鳥も飛び去つてゆく夕暮れだ
霧のやうに降つてくるしめつぽい冬の雨の中で
けれども情󠄁緖は 情󠄁緖はいまこの男に
朧ろにかすんだ遠い日の櫻日和を思はせた
遠い沙漠の砂の上でひもじく飢ゑて死んでゆく蝗のやうな感情に
とぼしい光の落ちかかるうすぼんやりした內景から聽き手もなく老人はひとり呟いた
けれども情󠄁緖は 情󠄁緖はまるで春のやうだ

 

 

三好達治「けれども情󠄁緖は」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「なつかしい斜面」『駱駝の瘤にまたがつて』

なつかしい斜面だ
おれはこんな枯草の斜面にひとりで坐つてゐるのが好きだ
電車の音を遠くききながら
さみしいいぢけた冬の雲でも眺めてゐよう
ああ遠くおれの運んできたいつさいのもの思ひ
疲れたやくざなおれの希望なら そこらの枯草にはふり出してしまへ
かうして疲れた貧しい男が疲れた貧しい心をいたはつてゐるのは
何といふあてどないおだやかな幸福だらう
けれどもおれの病氣の心は それでもまだ知らない世界を考へてゐる
無限に遠く 夢のやうに遠くどこかへひろがつてゆかうとする
意志を感ずる
意志を感ずる
ああその意志を不幸なながえから解き放してやれ そいつは愚かな驢馬なんだよ
病氣の愚かな驢馬なんだから向うの方の松の木にでも繫いでやれ
彼をしてしづかに彼の夢を見しめよ……
さうしてそこらの黃いろく枯れた枯草でも彼の食らふにまかしておけ
遠い斜面の底の方は腐れた都會の水溜りで何だかそこらは薄暗い幾何學圖形の掘割が
晝間もぐつすり寢こんでゐる
そいつの向うを遠まはりして
電車の音はあとからあとから忙がしい都會の人口を運んでゐるが
まつ晝間だつて何だつてぐつすり寢こんでゐる奴がゐるものだ
おれにしたつてさうかもしれぬ さうだらう
そんなことならおれにしたつてもうとつくの昔に悟つてゐることだ
このぼろ船はいつになつたつて港につかぬ
港は遠く見失はれて 波は高く 海は廣い
機關はやぶれて燃料はつきてしまつたのだ
かまはず積荷をはふり投げて
こいつはかうしてここまでどうやらやつて來たのだ
燒け野つ原の都會の空をいぢけた雲が飛んでゐる
愚かな驢馬は向うの方で
それでもあいつの性分だから 耳だけひくひくやつてゐる
すてておけ 仕方もないことだ

 

 

三好達治「なつかしい斜面」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「遠くの方は海の空」『駱駝の瘤にまたがつて』

遠くの方は海の空
そこらのつまらぬ水たまりで小僧が鮒など釣つてゐる
さみしい退屈な奴らだよ
いつもこんなところの木かげにかくれて油を賣つてゐるのだよ
崩れかかつた堤防がぼんやりあたりを霞ませて
そこいらいちめんすくすくと蘆の角がのぞいてゐる
くされた都會の場末から一里も遠い埋立地
なるほど奴らがふらふらとこんな陽氣に浮かされて
考へもなくやつてきて水のほとりにしやがんでゐる
垢まみれの帽子のかげにも
時にまたついと沈む浮標うきのやうなたよりなげな感情はなやんでゐるのだ
時はこれ一九四九年 ゆく春のまつ晝ま
空しい風がたはむれて弓なりに吹きたわめては飜へすかすかな釣絲
正午だからぼおうとどこかで汽笛も鳴る
遠くの方は海の空

 

 

三好達治「遠くの方は海の空」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)

「晩夏」『駱駝の瘤にまたがつて』

ダーリアの垣根ではダーリアを見た
まつ赤に燃えるダーリアの花
また日まはりの垣根では日まはりを見た
重たく眩ゆくきな臭い 中華民國の勳章だ
熱くやきつく砂の上で あそこでおれはいつまでも
遠くむかうの三里濱の方を眺めてゐた
あとからあとからあとから
沖のうねりがうねつてきて高くうちあげる三里濱
のつぺらぼうの砂濱にひよろひよろ松がけむつてゐる
ひよろひよろ松の梢を越えて
遠くずつとむかうの方に霞んで見えるつまらぬ山山
そんなさみしい岬の風景
また沖の島――
沖の沖の ぼんやり視界を消えてゆく影繪のやうな沖の島かげ
おれはまた女の子らがするやうに綺麗な石や貝殼を拾ひあつめて眺めてゐた
(をかしければ嗤ひたまへ)
おれの醜い手の上に美しいものを眺めてゐた
天には鴉がばらまかれ
そろそろ西がもえだしてまつ赤にそれがもえたつたから
そこらの砂にひきあげた小舟のへりに腰をかけて
おれはまたつくねんとしていつまでも
神の宮居が燒け落ちて――火消しもポンプもちりぢりにどこかへ歸つてしまふまで
(ローマも燒けた 長安も またベルリンも 東京も)
空の奧を眺めてゐた
沖のうねりにひるがへる
舟のともにもきらきらと貧しげなの見えるまで

 

  一羽とぶ鳥は
  友おふ鳥ぞ
  荒磯ありそ

 

  一羽とぶ鳥は
  頸長し鳥
  臀重し鳥

 

  一羽とぶ鳥は
  日ぐれてとぶぞ
  荒磯

 

荒磯になびく煙のやうな海藻のうねりと
水を出てくる蜑女あまの群れ
網のもつれる網干し場
おれはそこらをうろついてつまらぬ蟲の走るのも
橫つ倒れに轉んでゐる老朽船の船底も
一つ一つ見てまはつた
おひおひあたりは薄暗く
疲れて飢ゑた感情からそこらのものを見てまはつた
かくして夏はすぎてゆく
そんな季節の後ろ姿をけれどもおれは見送つてゐたわけではない
ああさうではなかつた
岩のつき出た斷崖きりぎしのとつさきの小徑にたつて
うちかへす波の轟くこゑのうへで すでにすでにおれの喪つたもののいつさいを
遠い彼方の方角におれは知つてゐたのだから――

 

 

三好達治「晩夏」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)