三好達治bot(全文)

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「私の耳は聞いてゐる」『百たびののち』

ああ最後に 私の耳は聞いてゐる 極北の海の けふも大きな怒りをもたらして轟くのを
私には何も見えない 見えないけれども と彼は呟いた
何ごとの囘想にふけつてゐるのか 五萬年も古い人間の歷史よ
汝の貪慾に 汝はなほもあきないか
かく彼は呟いて 乏しい日ざしから腰をあげた
獨り者の 宿なしの 盲目の詩人が旅路のはてに
人の住まないツンドラの野をうしろにして
さうして耳を傾けた
ごめの歌 千鳥のつれ鳴き
怒りのすゑにそこにきて打ち上げる波浪の嘆息 小石のささやき
ああこんな日には 空には白い雲が流れてゐるだらう
めあてのない牧場(まきば)をもとめて なほ北方を指してゆく羊雲
五萬年の歷史は もの足りない束の間だつたか
汝の貪慾をすりへらすのに かく呟いて
彼は靜かに腰をあげた
さうして行き方知れずになつてしまつた
彼もまた天空一片の浮き雲のやうな人格だつた
(——つい先日の出來事である)
ごめの歌 千鳥のつれ鳴き 小石のささやき
耳ある者は聽け………
そのあとに無心の聲 無限の時が何を語るか

 

 

三好達治「私の耳は聞いてゐる」『百たびののち』(S50.7刊)

「国のはて」『百たびののち』

國のはて 國々のはて 岬々をへめぐりて
見はるかしたる海の色
晴れし日に ひな曇る日に
人けなき燈臺の窓の硝󠄁子に
しんしんと松󠄁のみどりの痛かりしその空こえて
ゆるやかに聲ありしその風の上に

 

歸りきてまたわが思ふ
小夜ふけの枕べの 夢ならず
眼にさやか 耳にもさやか
うつつなれこそ ふたたびはとらふべからじ
うちかへし
夜衣の袖むなしくかへし

 

かろらなる
海どりの
白き翼の
ただにその
行へを思ふ

 

こと果てぬ
良し

 

すなどりのいささ舟 なりはひの彼方に遠󠄁く
赤き日は沈みたらずや
われをして いざさらばかい放て ふたたびは歎ぜしめざれ
過󠄁ぎし日の方なるものに……

 

 

三好達治國のはて」『百たびののち』(S50.7刊)

「天上大風」『百たびののち』

天上大風 かぐろい風はふき起󠄁り
はるかな空に雪󠄁はふる 雪󠄁はふる
遠󠄁い親らの越えてこし 尾根に峠に
燒き畑に 戰さの跡に雪󠄁はふる 雪󠄁はふる
ふる雪󠄁は 遠󠄁い親らの墓の
一丈󠄁五尺ふりつもる 夜(よ)のくだち 二更󠄁三更󠄁
厩の馬は鼻󠄁を鳴らす 床を蹴る
……またその靜かな朝󠄁あけを 私は思ふ
越(こし)のおき大野の郡(こほり) 溫見(ぬくみ)村二十九の尾根
遠󠄁い遠󠄁い昔は昔 今日はまた
……かく新しい今日の窓から
分󠄁敎場は二階から
藁ぐつの子を迎󠄁へいれ
スキーの子らを迎󠄁へとり
……私の耳にも聞えてくる
ふる國のふるき郡の いやおきの
溫見の村のオルガンのうた

 

 

三好達治「天上大風」『百たびののち』(S50.7刊)

「こんこんこな雪󠄁ふる朝󠄁に」『百たびののち』

こんこんこな雪󠄁ふる朝󠄁に
梅が一りんさきました
また水仙もさきました
海にむかつてさきました
海はどんどと冬󠄀のこゑ
空より靑い沖のいろ
沖にうかんだはなれ島
島では梅がさきました
また水仙もさきました
赤いつばきもさきました
三つの花󠄁は三つのいろ
三つの顏でさきました
一つ小島にさきました
一つ畑にさきました
れんれんれんげはまだおきぬ
たんたんたんぽぽねむつてる
島いちばんにさきました
ひよどり小鳥のよぶこゑに
こんこんこな雪󠄁ふる朝󠄁に
島いちばんにさきました

 

 

三好達治 「こんこんこな雪󠄁ふる朝󠄁に」『百たびののち』(S50.7刊)

「灰󠄁が降る」『百たびののち』

灰󠄁が降る灰󠄁が降る
成󠄁層圈から灰󠄁が降る

 

灰󠄁が降る灰󠄁が降る
世界一列灰󠄁が降る

 

北極熊もペンギンも
椰子も菫も鶯も

 

知らぬが佛でゐるうちに
世界一列店(たな)だてだ

 

一つの胡桃(くるみ)をわけあつて
彼らが何をするだらう

 

死の總計の灰󠄁をまく
とんだ花󠄁咲󠄁爺さんだ

 

螢いつぴき飛ぶでなく
いつそさつぱりするだろか

 

學校󠄁といふ學校󠄁が
それから休みになるだらう

 

銀行の窓こじあける
ギャングもいなくなるだらう

 

それから六千五百年
地球はぐつすり寢るだらう

 

それから六萬五千年
それでも地球は寢てるだらう

 

小さな胡桃をとりあつて
彼らが何をしただらう

 

お月󠄁さまが
囁いた

 

昔々あの星に
悧巧な猿が住󠄁んでゐた

 

 

三好達治「灰󠄁が降る」『百たびののち』(S50.7刊)

「碧落城」『百たびののち』

碧落(へきらく)に城あり
層々風に鳴る
邱阜(きうふ)うやうやしく跪(ひざま)づき
長流はるかに廻(めぐ)る
百世舊(きう)のごとし
景を踐(ふ)んで人事勿忙の嘆(たん)あり
歲晩淡紅の花
また折からや草屋の墻根(かきね)に散りしくを見る
誰ひとか煙霞(えんか)に戲るもの
たとふればそは大象群れのいく群れか
煙だち聲もなく沙漠のはれをおし渡るに似たるに於て――
かなた枯木林(こぼくりん)の小徑(こみち)々々を煌めきつ步(あし)ばやに過ぎゆくもの
風の聲なるか
輪奐(りんくわん)日に輝きて睡らんとすを
ついに見る扁舟(へんしう)の棹さすもの
ゆくゆく城下にしじまり
淡として輕へなり波に從ひ上下し去る

 

 

三好達治「碧落城」『百たびののち』(S50.7刊)

「閑窓一盞」『百たびののち』

憐むべし糊口に穢れたれば
一盞(いつさん)はまづわが膓(はら)わたにそそぐべし
よき友らおほく地下にあり
時に彼らを憶ふ
また一盞をそそぐべし
わが心つめたき石に似たれども
世に憤りなきにしもあらず
また一盞をそそぐべし
露消󠄁えて天晴る
わが庭󠄁の破れし甕(かめ)にこの朝󠄁(あした)來りて水浴ぶは
黃金褐(わうごんかつ)の小雨鶲(こさめびたき)
小さき虹もたつならし
天の羽衣すがしきになほ水そそぐはよし
また一盞をそそぐべし
信あるかな爾
十歲わが寒󠄁庭󠄁を訪ふを替へず
われは東西南北の客
流寓に疲れたれども
一日(いちじつ)汝によりて自ら支ふ
如何にために又々一盞をそそがざらでやは

 

 

三好達治「落ち葉つきて」『百たびののち』(S50.7刊)