三好達治bot(全文)

twitterで運転中の三好達治bot補完用ブログです。bot及びブログについては「三好達治botについて」をご覧ください

「私の信条」

 戰爭中疎開先の福井驛で見かけた情󠄁景、あの殺人列車の窓口でもんぺ姿󠄁の一人の少女が何かに讀み耽つてゐるのをふと見かけた、その情󠄁景は忘󠄁れ難い。私は別の列車からそのプラットフォームに吐き出されて、やうやくほつと一と息ついたところであつたから、そこらをぞろぞろ步きながら、通󠄁りすがりにその窓口を覗きこむやうな形になつた。少女の手にしてゐたのは堀辰雄君の小說集であつて、それを見ると私はふと堀にもずゐぶん會はないなあと思ふ傍ら、あの混雜中でそんな姿󠄁で氣樂な旅行でないにはきまつてゐるその少女が、そんな風にそれを讀んでゐるのを何か一寸見すごし難いやうな感じで眼にとめつつ、その時列車が動き出すのを見送󠄁つた。こんなことは考へてみると別段のことでもなささうだが、私には今日も忘󠄁れ難い。はつきりといふと、私はその時堀君にいくらか羨望󠄂を感じたやうな氣持を覺えた、さうしてその氣持が私にとつても一種愉󠄁快な氣持に近󠄁いのをその上に重ねて覺えた。その愉󠄁快な氣持といふのは、文󠄁學はこの程󠄁度に、ここまでの程󠄁度にはたしかに有用な何かであるといふこと、その程󠄁度が實は問題なのだが、ともかくその時それがはつきりと私としては實感のできたことを意󠄁味してゐた。さうしてその程󠄁度に、私はかなり十分󠄁に滿足であつた。私も年頃つまらぬものを書きつづけてゐる人間のはしくれの一人として、私は堀君の場合をここでは一寸借用をした形になるのであるが、私はその借用にさへある憚りを覺えるよりは、何か人事でない感じの方をいつそう强く覺えたやうな風であつた。
 二十餘年も一つ仕事をつづけてゐる、私などはいつかう自分󠄁の仕事には自信がもてない。自信のもてないのは苦痛であるが、それが事實であるからひそかに我慢をしておくより、致し方がない。こんな狀態がいつまでもつづいてゐて、さてどうなるといふ目あても從つてはつきりせぬから、この不安と苦痛とは實をいふととつくの昔から慢性症狀を呈󠄁してゐるのである。さういふ症狀の常としてそれにはまた一種の諦觀も伴󠄁つてゐるのであつて、惡く多寡を括るといふのではないにしてからが、私自身己れの上に課する要󠄁求にはいくらか(或はかなりに)手心を加へて、その點では控へ目に己れの脊椎の負擔能力を見積つておく方針である。文󠄁藝の仕事に携はる者は、誰しもその作品の廣く永く讀まれることを願はない筈はないけれども、萬人に讃まれる不朽の傑󠄂作の結構󠄁なのはいふまでもないとして、限られた讀者と一時の生命とを保つにすぎない作品もまたそれはそれなりに無意󠄁味ではない。殺人列車の窓口で讀まれるほどの作品だつて私に書ければ、私などには十分󠄁以上の滿足である。それすら私にはなかなか困難な負儋であるが、もしかすると時たまそれくらゐの程󠄁度には漕ぎつけうる場合があるかも知れない。一人の讀者に、一時の同感をうるだけでも、文󠄁藝はすでに立派な仕事だと、哲學者のギュイヨーがいつてゐるのを以前󠄁に讀んだ記憶がある。私のやうな者のためには、恰好な名言として忘󠄁れ得ない。
 アナトール・フランスにラ・ヴィ・リテレールといふ著書(評󠄁論集)がある。この場合の文󠄁學生活(ラ・ヴィ・リテレール)は卽ち讀書生活を意󠄁味することがその書の內容から明󠄁らかである。文󠄁學を生涯の仕事とするのは、必ずしも著述󠄁創作を活計とする、そればかりを指すものと心得る要󠄁はなからう。讀書生活もやはり文󠄁學生活には違󠄂ひない。私などが文󠄁學を愛する所󠄁以は、書くことよりも寧󠄀ろ讀むことの方の側に、實は最初に强く惹かれたことから發してゐる。この最初の傾向は、私に於ては、今日も依然として變はらない。文󠄁學は作者に苦しく讀者に樂しい仕事である、といふのはたとへ能のない凡人に適󠄁した意󠄁見であつても、私自身はまづ日頃はさういふ側の意󠄁見に居る、それを自ら承認󠄁をする要󠄁があるし、承認󠄁をしてもいいかと思ふ。生涯讀書生で結構󠄁なのである。當今のジャーナリズムは、私がわづかな米鹽をそこに得てゐる場所󠄁であるが、もともと私にはそこは餘り住󠄁みいい場所󠄁とも思へない、それも年來の事實である。私は收入の多い流行作家の名譽を得て、多忙󠄁な生活に追󠄁ひまはされることを欲しない、またその柄󠄁でもない。さういふ仕事ぶりに恰もはまり役の人物が、世間にはあり餘るほど澤山ゐる、それを彼らの受󠄁持ちとするがいい。さうして彼らを靜かに傍觀してゐるのが、私などにはふさはしい私の受󠄁持ちといふものであるかも知れない。
 かくいつても、私は世上を白眼視してゐる譯でも何でもない。私の態度は、意󠄁欲的󠄁な積極性を或は缺くかも知れない、それでも私の日日は私としてはこれでも繁忙󠄁を極めてゐるので、これでもう手いつぱいだと思つてゐる。さて問題の世間と私とのつながりであるが、そんなことは實は私には殆んど何も解つてゐない。ただ私の方の手いつぱいの感じだけを手賴りにして、私は世間に案外素朴に信賴し、諸事氣永を旨として、のんきにそれに凭れかかつてゐるかも知れない。問はれてみると、さういふ風な感じを覺える。ところが以前󠄁から信賴してゐた文󠄁部大臣から、ある日突然素直な氣持ちで「君が代」をお歌ひなさい、といふやうなお觸れを承ると、私と雖もいささか眉をひそめざるを得ない。馬鹿げきつた天皇制などといふ古風な制度を廢しきれないのも、それが世間といふものである。子供は案外勘のいいもので、彼ら自身「君が代」は歌ひたがらないさうである。そんなことを先日某校󠄁長さんから承つた、それも世間である。自衞だの再軍備だのといふことになると、それがそのうちどこまで昂じることか私どもにはとんと見當がつきかねる。世間はかくの如く支離滅裂であるから、のんきにそれに凭れかかつてゐるといふのも、實は當然な不安を無視した無鐵砲󠄁な態度といはなければならない。私などは素朴に大膽無鐵砲󠄁なのであるから、要󠄁するにこれは方針のない馬鹿げた話である。けれどもそれも致し方がない。私の仕事などが、たとへそれが如何なる祈願をこめてゐたところで、大きな力で支離滅裂な動き方をする世間にむかつて、ましてその小さな世間を包󠄁みこんでそれを衝き轉がしてゐる國際的󠄁な方圖もない勢力にむかつて、力として何を意󠄁味することができるであらう。答はゼロであるから、私たちは案外泰然としてゐるやうな譯である。
 けれども文󠄁學は、まして詩歌などといふものは、政治力と抗爭するための權力意󠄁志を、一派の例外は別として、本來それ自身內容してゐるものではないから、この輕小なヨットはほんのわづかな橫波の襲擊にも覆されるほどそれが不用意󠄁なのは要󠄁するに致し方がない。厖大な政治力は姑く措くとしても、私どもの作品などが、平和な世間の氣紛󠄁れな無數の波頭の間をでも、いくばく時間凌ぎ切つて、それの意󠄁義をもちつづけながらその水面にとどまりうることも、これも保證の限りでないのは、先に一言しておいた通󠄁りである。作者は一篇の作品にも、精根をつくして彼の智能の限り何かを押し上げようと專心するであらう、それほどの努力に目的󠄁のなからう筈はないけれども、その目的󠄁は必ずしも作品の廣く永く讀者に讀まれること、そのことばかりに係つてゐるとは斷じ難い。
 それを含めて目的󠄁はなほ微妙に複雜にこんがらがつてゐる。複雜微妙なそのこんがらがりは意󠄁識の統合として作者に分󠄁明󠄁であるけれども、その解析は彼にも殆んど不可能に近󠄁いであらう。藝術󠄁は神に捧げられると、ある人のいふのも、もしかするとその場合の作者の內的󠄁實感をいふのであらう。見神の經驗をもたない私のやうな者にも、その言葉はむげに斥け難い感が深い。
 だからその何といふか、その神への捧げものを、飜つてジャーナリズムや世間の手に委ねるのは、支離滅裂な世間にむかつて素朴に信賴をおいてのんきに凭れかかつてゐること、そのことと全󠄁く同じ、素朴な無鐵砲󠄁な話であるかも知れない。だからもう一度いへば、そんな風に世間に委ねられた作品自身の作用や命數は、作者に於てもいつかう見透󠄁しのたたない、一箇の偶然以上のものではない。作品はそれの置かれた環境に有用な限り生きつづける。――疎開者の手に、汽車の窓口に讀まれる限り、それはたしかに生きつづけるであらう。

 

 ここまで書いてきて、今の日本に永く失はず保存しておきたいものを、身にひきつめて考へてみることにして考へてみるに、私にはすぐと念頭に浮󠄁んでくるものが殆んどない。法隆寺の壁畫のやうなものでさへも、時が來れば燒亡󠄁するのは、これも致し方のないことのやうに思はれる。浪花󠄁節や天皇制は、一日も早く消󠄁えうせてもらひたい代ものだが、この方は時節が到來しないからなかなか消󠄁滅しない。歌舞伎芝居や文󠄁樂のやうなものは、私には殆んど無意󠄁味に近󠄁い技藝と考へられるが、それも餘命のある限りは隆盛󠄁に或はよたよたと生きつづけるであらう。衣⻝住󠄁の日本趣味も、茶の湯のわびさびも、第二藝術󠄁の俳諧も、等々それらはみな、私には是非とも保存の願はしい國粹的󠄁貴重財とは考へられぬ。次󠄁第に新陳代謝をして、代りのものが出てくれば、追󠄁々とそれらは次󠄁のものに取つて代られていいのである。その步なみは、現在の速󠄁度よりも、もう少し早くなつたところで差つかへはないので、或はその方が望󠄂ましいかも知れぬ。世上の風俗習󠄁慣すべて、改まつてもらひたいものの方はいろいろ思ひ當るやうであるが、保存の願はしいものはといふと、課題に應じて急󠄁には思ひ當らない。私はいささか輕率󠄁ではあるかも知れぬが、これでも己れの傾向は、當今の所󠄁謂進󠄁步主󠄁義者といふのに該當するであらうかと心得てゐる。理解の偏󠄁狹な詩壇なんかといふ小天地では、私は專ら保守家の末席に指名をされてゐるが、私自身それを肯定するつもりは全󠄁くない。私は進󠄁步主󠄁義者であるから、槪して舊物の廢れることを望󠄂み、舊物の廢れることを必至の運󠄁命と考へてゐるから、それらの舊物から汲みとれるだけの何事かを、限られたその期󠄁間の間に汲みとつておくことを、比較󠄁的󠄁熱心に丹念に考へてゐるつもりである。かういふ流儀は、當分󠄁この日本から、跡をたつて亡󠄁びてしまはないことが私には望󠄂ましい。

 

 

三好達治「私の信條」(『全集8』所収)