三好達治bot(全文)

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「霖雨泥濘」

 吳淞沖に新に○○が到着した――といふやうな風評󠄁を耳にしたのは、慥か大場鎭陷落の直後であつたやうに記憶する。その後その大部隊󠄁がどこに上陸したものやら、どの方面に進󠄁軍したものやら、いつかう消󠄁息もなくとより推測のよすがもないままに、そんなことを聞いたことまでつい忘󠄁れるともなく忘󠄁れ去らうとしてゐた頃、十日ばかりもたつた六日正午、突如として杭州灣上陸の飛報に接した。流石に耳の早い當地の新聞記者達も、アドバルーンに揭げられた空中文字を見て初めて晴天に霹靂を聞く思ひをした模樣であつた。その後戰局の推移進󠄁展は複雜急󠄁速󠄁を極め、軍報道󠄁部の當事者達もいささか面喰つて啞然たる樣子に見うけられた。元氣のいい前󠄁線ボーイ達も喫󠄁茶店でお茶でものんでゐるより外はなかつたのである。私のやうな何の組織的󠄁な用意󠄁も準備ももたない者は、さしづめ暫く形勢の定まるまで袖手傍觀するより外に手だてのなかつたのはいふまでない。便宜の車を得てこの間に近󠄁周󠄀りの戰跡でも訪問したい氣持はあつたが、さて私の希望󠄂を迎󠄁へてくれるほどの呑氣な親切者は時節柄󠄁見當る譯がない。やつと車を探しあてると雨が降る、翌󠄁日はもう駄目である。
 八日に改造󠄁社の水島治男君を碼頭に迎󠄁へ、九日には重村大尉の案內で三義里小學校、商學院方面まで水島君と同行、十四日――この日は初めて夕刊を休むといふので事變以來漸く半日の閑暇に惠まれて御機嫌󠄁だつた記者諸君と共に、合同新聞社の車を驅つて市政府江灣鎭競馬場を一周󠄀りした位の外、(――それらの記事は後に機會を得て書き添󠄁へよう、)私はこの前󠄁後十日ばかりの間激しい刺激の中でただ荏苒と日を送󠄁つてゐたのである。私は當初から目論見として、出來るだけ多くの機會に出來るだけ多くの支那󠄁人に接してみたい積りであつたが、現下のやうな情󠄁勢でこんな風に限られた地域內に閉ぢこめられてゐたのでは、到底その希望󠄂も果されさうな見込󠄁みはない。今後戰線は益々遠󠄁くなるだらう、私は一寸途󠄁方に暮れざるを得ない、考へてみるとどうにも自分が無用の人物のやうに思はれて心細いのである。
 十七日夜合同新聞の藤󠄁田氏から電話があり、明󠄁朝󠄁○○が金山まで行くさうだから、便乘の手續をとつては如何といふ報を得た。早速󠄁重村大尉を豐陽館に訪ふ、不在。
 十八日早朝󠄁重村さんから電話、內火艇󠄁は○時出發の豫定だから虹口碼頭に行き給へ、それではその內火艇󠄁はいつ頃こちらへ引かへすでせうか、さあはつきりは解りませんが今晚か明󠄁日は歸るでせう、といふやうな譯で早速󠄁出發。昨夜から準備をしておいたリュックに握り飯を詰めこんで、朝󠄁飯の出來るのは待つてゐられないので(どうも困つた旅館である、)そのまま宿を出る。
 暫くぶりで旗艦○○の甲板に立つて煙草をふかしてゐるうちに汽艇󠄁の準備が整ひ九時出發、同盟󠄁記者二名同乘。○○○二を備へ、要󠄁所󠄁に鐵板をかこつたやや大型の汽艇󠄁である。曇天、微雨。
 ――金山まで幾時間位かかるでせう。
 ――七時間ほどかかるかもしれません。
 ――この船󠄁は○○位は出ますかね。
 ――そんなには出ませんよ。
 黃浦江の流速󠄁はどれほどだらうか、それは迂濶にも聞き洩したが一見したところ隅田川などとは比較󠄁にもならない水勢である。金山までの距󠄁離は、私の杜撰な地圖では測定すべくもないが、思ふに二十里を越えるであらう。
 ガ―デン・ブリッヂを過󠄁ぎ、英米佛その他の派遣󠄁艦隊󠄁の相錯綜して碇泊してゐる傍を走り過󠄁ぎる頃から、兩岸の風景は私の眼には甚だもの珍らしいものとなつた。左舷の浦東側には、戰禍のために燒け落ちた工場が草も萠えない空地と交替にどこまでも遠󠄁く續いてゐる。右舷の方には、繁華な舊英租界を過󠄁ぎ靜かな佛租界の裏街らしい區域を過󠄁ぎると、そこにもまた全󠄁く廢墟と化󠄁した南市の燒跡が、それでもなほ昔日の面影をその僅かな殘骸の間に留めてゐることによつて一層荒󠄁涼とした趣きを呈󠄁しつつ、私の想像してゐたよりは遙かに廣い區域に亙つて擴がつてゐる。天に冲する勢を失つてただ大きく低く渦卷いてゐる火災の煙が、南市陷落の後一週󠄁間を經たこの日もまだ河岸に近󠄁い燒け殘つた街衢の屋根越しに眺められた。人影は見當らない。壁の上には砲󠄁彈の痕、銃丸の痕。
 土囊陣地らしい跡散見する。
 やがて市街が盡きて、水泥公󠄁司(製氷所󠄁)の奇妙な建󠄁物が見えたあたりから、眺望󠄂は一轉して平和な郊外風景となり、やがて再轉して草木の靑々とした閑かな田園風景となつた。浦東寄りには舟荷を積まない空の戎克が陸續と聯なつてゐる、親父󠄁が櫓を操り、伜が早緖にぶら下るやうにして力を協せて漕いでゆく胴間のあたりに、お內儀さんらしい――女と思へば女と見える胡亂な姿󠄁が蠢めいてゐる、奇異な可憐な生活風景が次々に眼にとまる。舷の外に銅金色のゐしきをつき出して用を足しながら、顏だけは後ろ向きにこちらを見てゐる呑氣者も見つかるのである。彼らの生活ぶりは、私の眼には、甚だ落ちつき拂つたものに見えた、戰爭などはどこ吹く風といつた樣子である。反對側の右岸には、靑々と蘆荻の茂つた間に、頗る大仕掛けな見事な四手網󠄁が、守る人もなしに空しく空に揚つてゐる。それが一町おき二町おき位の間隔に續いてゐるのである。漁家らしいものも見當らない。どうしたのであらう、一寸うら寂しい眺めである。戰禍はこのあたりまで波響を及󠄁ぼしたのであらうか。それらの四手網󠄁は一つの例外もなしに悉く休業狀態であつた、或は潮󠄀時の加減にでも因るのであらうか。羽裏の白い鴫の群れが、時たま水面を掠めて行く。
 微雨をいとつて、私は船󠄁室に入つた。
 正午過󠄁ぎ、舟は半囘轉して左岸のささやかな棧橋に泊つた。あたりは一面の耕地である。耕地の間に路が一筋棧橋まで續いてゐる。さうしてそこに、棧橋の畔󠄁りに一棟の農家らしい(或は舟待場でもあらうか)建󠄁物があるきりである。その建󠄁物の一と區切りになつた內部、物置らしいがらん洞の中には貧󠄁しい服󠄁裝をした支那󠄁人が二人、頗る緩󠄁慢な動作で何かを掃󠄁き寄せてゐるやうな仕事をしてゐた。彼らは水兵さんの姿󠄁を見かけても、いつかう動ずる氣色はなかつた。そのあたりの野茶畑には靑々と野菜が茂つてゐる、頗るのんびりとした雰󠄁圍氣である。私は美しい竹林を眺めながら、久しぶりに暫く心の寛󠄁ぐのを覺えた。こんな田舍を一日ぶらぶらと步き廻ることが出來たなら、――そんな空想に耽りつつ。
 晝食をすまして、私達は再び出發した。兩岸の風光は行く行く私の眼を喜ばしたが、昨夜の睡眠不足のせゐでたうとう私は疲こんでしまつた。
 三時半󠄁金山着。
 ――この舟はいつ上海へ還󠄁りますか。
 ――一週󠄁間位はここで勤務をします。
 ――その間に上海の方へ還󠄁る舟はありませんか。
 ――さあ、解りません。
 ――明󠄁日か明󠄁後日還󠄁る舟はないでせうか。
 ――解りませんが、ないでせう。
 私は一寸當惑した。携行した食料の乏しいのは兔󠄀も角として、期󠄁日のある原稿を東京まで屆ける手だてがなささうである、どこかで原稿は書くとしても。そのどこかといふのが、どんなところに辿りつけるものかまるで見當がつかないのである。
 汽艇󠄁の着いたところは、鐵橋の袂であつた。私はまづ堤を斜めに登つて、鐵橋の上に出てみた。型の如く、橋梁には監視兵が立つてゐて、軍隊󠄁は陸續とその南北に續いてゐる。同盟󠄁の記者達は、大きなリックを背負ひこんで、橋を渡らないでとつとと南へ行つてしまつた。
 嘉善までのさう。
 そんなことを云つてるたから、そちらが嘉善の方角であらう。それは兔󠄀も角として、私の地圖では、金山の街は黃浦江の北岸に位してゐる。ところが見渡したところ、そちらの方角には廣漠とした平野が無限に擴がつてゐるきりで、到底市街などのありさうな氣配はない。今しも重砲󠄁の段列が、そちらから橋へ向つて進󠄁んでくる。橋の南の袂には、ささやかな公󠄁園らしいものがあつて、黃白の菊花󠄁が雨にうたれてゐる中に、紀念碑が宜しき配置に立つてゐる。けれどもその公󠄁園の周󠄀りもまた、黃色く稔つた水田が續いてゐるきりで、何のためにそんなところにそんな公󠄁園があるのか一寸解せない鹽梅である。ただその向ふに霞を帶びてこんもりと繁つた木立がある、金山の街はさしづめその森の木蔭になければならない筈である。私はもはや私の地圖に賴らうとは思はなかつた。(こんな亂暴な地圖を箆棒な値段で賣りつけてゐる上海の商人達にも困つたものである――)
 しかし私はひとまづ橋を渡つてみた。橋の上手には御用船󠄁が幾隻か碇を下ろして泊つてゐる。甲板には人夫の姿󠄁、苦力の姿󠄁が動いてゐる。さうしてその向ふのどことも知れない遠󠄁方から微かな重砲󠄁の響きが水面を傳つて聞えてきた。もはや上海では全󠄁く砲󠄁聲を聞かなくなつて一週󠄁間ばかりもたつのである。だから私の耳には、その砲󠄁聲は一種ノスタルヂックな奇妙な感情󠄁を伴󠄁ふものとして聞えたのである。
 砲󠄁兵隊󠄁の段列はすぐ眼の前󠄁に逼つて來た。鞍馬に跨がつた兵士達は、鞭を左右に使󠄁ひ分けて、しきりに馬を鞭うつてゐる。その馬をひと眼見て、私は思はず息をのんだ。○○○○○ゐるのである。私は○○○○馬を見たことがない。(以下八行略。)
 段列は後方にぎつしりとつかへてゐる。やがてそこから兵士達が驅け出してきて二十人ばかりで砲󠄁車の後押しをすることになつた。
 漸く砲󠄁車は泥を出て、その前󠄁の橋梁にかかる傾斜を一氣に驅け上つた。
 するとまた次の車が、同じところで同じやうに澁滯するのである。何といふ困難な行軍であらう。數日、十數日、果しもない霖雨が降り續いてゐる。晝間の晴れた日は夜に、夜の晴れた日は晝の間、さうしてある日は終日ひと時の休みもなしに、じめじめとした霖雨と激しい豪雨が降り續いてゐる。もともと土質の軟弱󠄁な路面は、間斷なしに通󠄁過󠄁する輕重車輛のため捏ねかへされて、全󠄁く足の踏み場もない、言語道󠄁斷の惡路と化󠄁してゐるのである。この惡路の模樣は、既に讀者諸君も、恐󠄁らくニュ―ス映畫などで、その一斑を御覽になつたことであらう。ただあの、脛を沒する泥濘が、ここでは幾十里も續いてゐるのである。誇張ではない、路といふ路が悉くあの泥濘である。さうして兵士も馬匹も映畫では一分間と續かないあの狀態の中に終日、數日、十數日、難行軍を續けてゐるのである。
 ――戰線までは、まだあとどれ位あるでせう。
 土地不案內な私に向つて、兵士達はまたしてもさういふ質問をもちかけるのである。
 果して金山の街は、先ほどの森蔭の、クリ―クに圍まれた一劃にあつた。クリ―クには石階をもつた太鼓橋が架つてゐる。橋の手摺には、石像の高麗狗などの裝飾󠄁がついてゐるのである。その下を折から水嵩を增して濁水が、可なりの速󠄁度で流れてゐる。戎克に發動機をとりつけたポンポン船󠄁や工兵隊󠄁の鐵舟が、橋の下を潛つて行く、すべて糧食を運󠄁んでゐるのである。
 市街は殆んど兵燹のために燒き拂はれて、見る影もなく破壞されてゐる、滿足な建󠄁物は殆んど見當らないといつてもいい。○○○○はどこであらう、宿舍の工面をしなければなるまい、そんなことを考へつつ、私はただ目あてもなく、むせつぽい臭氣にむせびながら、焦土の間を步いて行つた。
 と、それだけ殘つた土壁の上に、大阪每日の社旗が一本立つてゐる。見ると、その奧まつた向ふの方に廣い建󠄁物がある。さうしてその土間の机の前󠄁に、陽に燒けた眼光の銳い人物が一人こちらを向いて腰󠄁かけてゐる。記者であらう。更󠄁に見ると、その土間の一隅で、レシ―バ―を耳にあてて、前󠄁こごみに無電の器械をいぢくつてゐる、技師らしい人物の姿󠄁も見えた。乃ち私は案內を乞うた。
 ――一寸休ませて下さい。
 私は刺を通󠄁じて、來意󠄁を吿げた。さうして私はたうとうここで二晚泊めて貰ふことになつたのである。
 この建󠄁物は一寸得態の知れないものであつた。一見寺院のやうではあるが、土間になつた大廣間――堂宇の正面には、須彌壇めいたものがあつて、その上には阿彌陀樣でも安置さるべき筈のところに、眼眦の吊り上つた極めて怪異な容貌の肩󠄁を張つた逞ましい神像が――お相撲さんの三倍ほどもある大きな神像が置かれてゐるのである。その神像はそれ自體まつ黑に煤ぼけてゐる上にあたりは晝間でもものの見分けのつかない薄暗󠄁い構󠄁造󠄁になつてゐるので、さうしてその神像があるきりで外には脇侍らしいものも裝飾󠄁らしいものも何も見當らないので、その怪神の爛々たる眼光が私の眼には恐󠄁ろしいといふよりはいささか滑稽に見えた外、つひに一向要󠄁領を得なかつた。見上げるばかりの高い天井には楣間に扁額が揭げられてゐる。神明󠄁如電、幽讚神明󠄁、そんな文字があまり上出來でもない筆勢で大書された傍らに里人何某敬書と細書されてゐる。堂宇の前󠄁の廣庭󠄁には、軒端に當つて鼎のやうな香爐があつて、瓦を敷いた小路がそこからまつ直ぐに恐󠄁らく正門に通󠄁じてゐたのであらう、その正門は全󠄁く崩󠄁れ落ちてそのあたりはただ纍々たる煉瓦の山となつてゐる。この堂宇は、さういふ風な神殿であると同時に、それはまた養󠄁老院を兼󠄁ねてゐたもののやうである。堂宇の傍らにとりつけられた居室――といつてもただ三方を白壁でとり圍んで一方を硝󠄁子戶にした極めて簡單な居室の、その出入口のところには金山縣救濟院養󠄁老所󠄁などと書かれてゐる。さういへば廣庭󠄁の傍らに長屋めいた建󠄁物のあるその軒端にも、一劃ごとに臥室、厨房󠄁、統理等々の文字の見られるものも、恐󠄁らく養󠄁老院の設備に附屬するものに違󠄂ひない。その長屋にも、それから例の怪神の傍らのまつ暗󠄁な堂宇の隅つこにも、餘ほど後になつて私はやつと氣づいたのであるが、古稀を越えて背中のかがまつた老人が二人、新聞記者諸君とは全󠄁く無關係に、勿論甚だ控へ目に、あるかなしかの彼らの生活を續けてゐるのである。遲れたのであらう、或は身を寄せるべき緣邊の者もない老人のこととて逃󠄂げ出さうともしなかつたのであらう、後になつて聞いてみると、彼らは二人とも金挺聾ださうである、或は戰爭のもの音󠄁も知らずに寢こんでゐたのかもしれない。
 ここの記者諸君は、この老人とは別に、四人の苦力を伴󠄁れてゐる。洗掃󠄁や焚火や食事の世話は槪ねこの苦力達がやつてゐるのである。さうして宿舍の移動する時に、寢具󠄁やその他の器具󠄁を擔いでゆくのも彼らである。彼らは左の腕に、簡單な腕章をつけてゐる、兵站部か憲󠄁兵隊󠄁から貰つたものであらう。日給は五十錢、ここでは六十錢を支給してゐるとか。
 夕暮れどこからか記者が二人歸つてきた。さうして南京袋から鷄を一羽とりだした。彼らはまた兵站部へ配給品を貰ひに出かけた。白米、玉葱、林檎、ゴ―ルデン・バット、飴玉、そんなものを貰つてきた樣子であつた。間もなく夕食の準備が始つた。急󠄁造󠄁の竈で焚火がもされ、クリ―クの水で米がとがれ、椅子が俎になるといつた鹽梅である。
 細雨の中を私はその間一周󠄀り街を步いてきた。街はすべて、燒け落ちた煉瓦の山であつた。僅かに燒け殘つた家屋には、軍隊󠄁が宿營してゐた。どこでも夕食の準備が始つてゐる。苦力がせつせと水を運󠄁んでゐる、薪を割󠄀つてゐる、兵隊󠄁さんが飯盒をさげて往󠄁來してゐる。
 私は路上で、長衣を纏つた一人の支那󠄁人に行きあつた。彼は兵隊󠄁さんのやり方で私に向つて急󠄁いで學手の禮をした、さうして笑顏をつくつた。胸間には旌の形の小さな徽章をつけてゐる、――後になつてそれには次のやうな文字が記されてゐるのを私は知つた、「金山維持復業會委員」。
 私はまた、宿の前󠄁の物置小屋に行つてみた。それはクリ―クの流れに臨んだ、假小屋のやうな小さな木造󠄁の建󠄁物だつた。そこには携行用の小型の濾水器が据ゑつけられてゐた。クリ―クの水をホースで吸󠄁上げる仕組みになつてゐるのである。梃子になつてゐる把手(とって)を左右に動かすと、濾水器を透󠄁つた水が一方のホ―スの先から滾々と迸り出るといふ極めて便利な器具󠄁である。水は直ちに飮用に耐へるほどの完全󠄁な淸水である。私は暫らく兵隊󠄁さん達にたち交つてその把手を操つてみた、井戶にとりつけた吸󠄁上ポンプと相似た要󠄁領のものである。ふと私は足もとの濁水を眺めてゐると、折から淺葱の短衣を着た、うつ伏しになつた大きな○○が一つ、すぐ眼の先をゆつくりと流れていつた。
 夕食はたいへん美味に出來てゐた。その出來榮えは、江星館(私の旅館)の食膳よりは遙かに上出來のものであつた。四人の苦力達は、まづいづれも巧者な働き者と稱してよささうである。私達は彼らに煙草と林檎と飴玉とを分け與へた、(一度にやつたのではない。)さうして雞の骨所󠄁謂雞肋もまた彼らの所󠄁得となつたのである。彼らは例の「厨房󠄁」に下つて彼らの食事をすましたやうな鹽梅であつた。さうして二人の老人は、そのまた彼らのお剩りの、釜󠄀底の焦げ飯を齧つてゐるやうな風であつた。
 私達は終日土間に焚火を焚いてゐた。私達がそこを離れると四人の苦力達は、すぐに焚火の周󠄀りの臥椅子や長椅子を占領して、私達より遙かに高い聲で彼らの雜談を始めるのである。農夫といふものは大きな聲で話をするものである。彼らは近󠄁在の農夫に違󠄂ひない。彼らの一人は、昨今の穫り收れ時に彼がかうしてゐたのでは家には人手がないからどうか一つ何とかして還󠄁して貰ひたい、といふやうな希望󠄂を申出たさうである。還󠄁るといつたつて、一人で還󠄁れるものか、途󠄁中の道󠄁を考へてみろ、さう云はれて流石に彼も納󠄁得はしたさうである。
 やがて私達は食後の雜談もそこそこに切り上げて寢室に入つた。寢室といふのは、「金山縣救濟院養󠄁老所󠄁」なる一室である。土間に乾いた藁を敷いて毛布を擴げた上にごろ臥をするのである。私は脚絆を解いて、靴󠄁を脫いだ。さうしてリュックを枕にした。足もとのところには急󠄁造󠄁の圍爐裏に焚火が燃えてゐる、だから部屋はたいへん煙つたいのである。
 無電の靑年技師は、それからなほ暫くの間、かちかちと一人で發信器を敲いてゐた。苦力達は焚火の周󠄀りで彼らの放談を始めてゐる。水煙管の泡󠄁ぶくの音󠄁、喘息持ちの老人のしつきりなしに咳きこむ聲。どこかで犬が吠えてゐる。折から風も加はつて、雨はやみさうな氣色もない。
 二つを殘して、洋燈はみんな消󠄁されてしまつた。無電の音󠄁もやんだ。南京蟲が出始めた。夜が更󠄁ける。時の移るに從つて、流石に不氣味でなくもない。戶口の扉󠄁が風に動く。いつの間にか忍󠄁びこんでゐた野良猫が、つと枕もとを走りすぎる。誰かが首をもたげる。
 ――野郞!
 うまく寢つけるかどうか、さて困つたことだと思つてゐる間に、やがて私はうとうとと寢ついてしまつた、もしも敗殘兵の一群が……クリ―クを渡つて.....街角を曲つて……足音󠄁を忍󠄁ばして... ...などとつまらぬ空想に怯えながら。
 十九日、この日も終日雨が降つた。
 朝󠄁食の後、鵜殿君外一名の記者は苦力を從へて食糧を求めに出かけた。私は早川君に伴󠄁はれて○○○○を訪問、壁いつぱいに大きな地圖を揭げた階下の部屋では、下士官が數名書きものをしてるた、記者接見の當路者將校は不在。私は○○○の在否も問はなかつた、敢て會談を乞ふつもりはなかつたからである。○○を出て朝󠄁日新聞社の宿舍を訪ふ。「中央旅社」の招牌を揭げた二階家の旅籠である。記者諸君は火鉢を圍んで閑談に耽つてゐるところであつた。跣足で腕まくりをしたコックが一人、顏を汗ばまして食事の準備をしてゐる。物置きから引き出した支那󠄁服󠄁を――色とりどりの長衣を纏つた記者諸君の間には、十歲ばかりの少女と八歲ばかりの少年と、二人の子供が彼らの膝の上に抱󠄁きあげられて配給品の飴玉などしやぶりながら、嬉々としてふざけてゐる、彼らに支那󠄁語を敎へ、彼らから日本語を敎はつてゐるのである。
 ――お菓子、着物、頭、
 ――オカシ、キモノ、アタマ、
 ――小父󠄁さん、
 ――オヂサン、
 等々。さうしてアタマがオタマになつたり、着物がお菓子になつたりする、そんなことで他愛もなく笑ひ合つてゐるのである。誰かが支那󠄁語で、お前󠄁には姉さんがあるか、といふやうなことを尋󠄁ねる、お母さんは幾つだね、そんなことを尋󠄁ねる。
 私は早川君と別れて、序でに同盟󠄁の宿舍を訪ねてみた。ここでは麻󠄁雀が始つてゐた。嘉善までのした筈の、昨日私と同行した二人の記者もその仲間だつた。
 ――この雨ぢゃ、一日ぐらゐ休ませて貰はなくちや、ね、まあお掛けなさい。私は雨に濡れて、もう一度毀れた町を一周󠄀り步いてみた。東林禪寺、仁存初級󠄁小學、縣立醫院、それらの建󠄁物も悉く軍用に充てられてゐた。住󠄁民の影は全󠄁く見當らないのである。
 拳󠄁銃と軍刀とを護身用に携へて行つた食糧掛りは、豚の腿を二本苦力に擔がせて歸つてきた。その苦力は豚殺しをしてゐた男ださうである。
 ――流石に手際は鮮やかなものさ。
 鵜殿君はさういつて感心しながら、拳󠄁銃をあらためてサックに納󠄁めた。
 ――一發ぢやなかなか死ななかつたよ。
 畫食の後、私達は爲すこともなく雜談に時を移した。水路に便宜がないとすると、私はどうして歸つたものだらう、同盟󠄁も朝󠄁日も定期󠄁の車はないといふ。お天氣になつたら、連絡員がくるかもしれない、さうしたら知らせて上げませう、さう親切に云はれた上は、私はもうただ神妙に待つてゐるより外はなかつた。雨、雨、雨、雨は小止みもなく降つてゐる。飛行機は低く飛んでゐる、殘敵搜索のために、數十米突の低空を繰かへし旋囘してゐるのである。三十分餘りも、それは一つところを旋囘してゐた。敗殘兵は到るところに散らばつてゐる、服󠄁裝をかへて良民の間にまぎれこみ、村落といふ村落、林や叢にも彼らは潛伏してゐるのである。所󠄁謂便衣隊󠄁である。だから私のやうな一人者は、迂濶に道󠄁も步けない、彼らの好餌となるのが如何にも殘念なばかりでない、私自身何しろ奇妙な服󠄁裝をしてゐることとて彼らの一人と取り違󠄂へられる惧れが充分にあるのである。嘉善まで四里ばかりの道󠄁を出かけてみることすら、私にとつては不可能に近󠄁かつた。
 ――夕方私は良民保護のために設けられた假收容所󠄁に出かけてみた。漸く憲󠄁兵の許可を得て、その建󠄁物の中庭󠄁に入つてみると、廊下にうろついてゐた男達が、愛嬌のある――媚を含んだ眼つきに微笑を湛へて、早速󠄁私の周󠄀りに集つてきた。先ほど中央旅社で朝󠄁日の記者と戲れてゐた少女は、數人の子供達と共に、廊下の隅に置かれた机の周󠄀りに集つて、水煙草に火を點ずるための一尺ばかりの藁紙の棒――紙縒りのやうなものを作つてゐたのが、私と眼があふと、手では仕事を續けながら、何ごとか聲高に口走つて顏いつぱいに笑つてみせた。屋內の雰󠄁圍氣は、私の豫想したほど陰鬱なものではなかつた。そこにゐた人々は、勿論私達を迎󠄁へるごとに、ことごとに鞠躬如たる態度を示さうと力めてゐるやうな風ではあつたが、それにしても彼らは如何にも氣輕に、彼らの置かれた境遇󠄁に順應して、彼らの運󠄁命をうけ容れてさうしてゐるやうな風に見えた。私は彼らの押匿した、蔭にかくした氣持ちを讀みとらうと心懸けながらも、私の豫想したほどの心理の翳りを、つひに彼らの擧止からは汲みとることが出來なかつた。華語を解しない私のことだから、すべて觀察はただ眼を以て見た皮相な上べのものではあつたが。
 私は鉛󠄁筆をとつて筆談を始めた。
 ――我、中華ノ言語ヲ解セズ、然レドモ我ハ嘗テ漢文ヲ學ブ、今貴君等ト與二筆談ヲ試ミント欲ス。
 ――我ハ軍人ニ非ズ、我ハ新聞記者ナリ、我ハ文學者ナリ、我ハ貴君等ノ生活ヲ見ント欲シテ遠󠄁ク金山市ニ來ル、怖ルル勿レ。
 私の出まかせの文章は、だいたい意󠄁味が通󠄁じたやうであつた。彼らは私の左右に詰め寄せてきて、不自由な文章を綴つてゐる私の肩󠄁越しに、私の文字を一字を書くに從つてせき立てるやうに音󠄁讀した。
 ――名片。
彼らの一人が、さう書いて私の顏を窺つた、片手を差出してゐるのである。私はかくしから名刺をとり出して彼に與へた。忽ちそこに居合せた十數名がそれに做つて私の名刺を請󠄁求した。奧まつた暗󠄁い部屋から、赤ん坊を胸に抱󠄁いて現れたお內儀さんも、やはり片手を差出した。
 ――貴君ハ新潟縣人ナルカ。
 何を思つたものか、そんなことを私に尋󠄁ねる男がゐた。
 ――否、我ハ東京人ナリ。
 すると一人の男が、よく見ろ名刺に書いてあるぢゃないか、といはぬばかりの仕草をして、その男を嗜めた。質問者はてれ臭さうにうなづいた。
 ――金山市ノ產業如何、人口幾何?
 ――中々。
 私は重ねて質問した、
 ――中々トハ農業ナリヤ?
 ――然リ、然リ。
 人口といふ文字は、終ひに彼らに通󠄁じなかつた。私は一人の男をつかまへて質問した、
 ――貴君ノ職業如何?
 ――小生意󠄁。
 小生意󠄁とは小賣商人露店商人といふほどの意󠄁味なのを、たまたま私は知つてゐた。私はまた他の一人に、同じ質問を繰かへした。
 ――收租更󠄁。
 ――收租吏󠄁ハ卽チ官吏󠄁ナリヤ?
 この二度目の質問は、彼のために甚だ意󠄁外であつたらしい、彼は何か口籠ると共に、氣の毒なほどどぎまぎとして、あわてて次の文字を記した。
 ――市民。
 さうしてその文字を指先で押へて、もどかしさうに喋べりながら、私の顏を覗きこんだ。私は合點合點をしてみせながら、
 ――我モ亦市民ナリ、畏ルル勿レ。
 さう記して、先の文字を鉛󠄁筆の先で塗抹して見せた。彼は漸く口を緘した。
 ――戰爭ハ今年中二終了スルヤ、貴君ノ意󠄁見ヲ聞キタシ。
 さういふ質問に接して、私は躊躇なく次のやうに答へた。
 ――南京既ニ遷󠄁都ス、華軍連日敗退󠄁、戰爭ハ必ズ今年中に終熄スベシ、和平ハ將ニ來ラントス、諸君ハ宜シク日軍ノ善政ニ期󠄁待スベシ。
 書き終つてどうもこのやうな紋󠄁切型の挨拶では、彼らとしてはもの足りないに違󠄂ひあるまい、さうは思つたが、それ以上私には詳細な文章は書けなかつた。
 ――文字ト文章ト共ニ甚ダ拙劣。
 私は途󠄁方に暮れてそんなことを書き添󠄁へた。すると彼らの一人は、遮󠄁ぎるやうに私の鉛󠄁筆を奪ひとつて、如才なくも次のやうに應酬した。
 ――文章巧好、辭意󠄁明󠄁晰。通󠄁曉了。
 さうして、さう心配するに及󠄁びませんといふ顏つきをした。
 私達は握手を交した。彼はまた、兵變以來我等金山の市民は軍隊󠄁の奪掠と、重稅の賦課に甚だ困窮してゐた、我等は大いに日軍の來着を歡迎󠄁する者である、といふやうなことを書いた。またある一人は、
 ――家屋燒了
 とただ簡單に憐れな文字を記した。
 ――憐ムベシ同情󠄁ス。私は例によつて、甚だ大雜把な答へをしながら、私の相手の軟かな冷めたい手をとつた、私達は力をこめて握手をした。私の周󠄀りには、幼兒を胸に抱󠄁きかかへた女達が四五人も集つてゐた。彼女達も、先ほどからの筆談を傍から覗きこんでゐたのである。私はその幼兒達の年齡を尋󠄁ね、男兒ナリヤ女兒ナリヤ、などとさほど意󠄁味もないつまらぬ質問を繰かへした。女達は一々私の問ひに答へた。
 ――君等ハ何ヲ欲スルヤ?
 ――糖菓。
 これは意󠄁外な答へであつた。さうして私は折惡しく飴玉一つ嚢中に貯へてゐなかつた。私は安煙草のルビイ・クヰ―ンをとり出して、男達と分け合つて一服󠄁した後、あわただしい薄暮の中で再び會ふ日もなく彼らと別れた。窖倉のやうに眞暗󠄁な廊下の奧の一部屋には、石疊の上にアンペラを敷いて、子供や娘や老人が、數十人名跼まつてゐた。今しも憲󠄁兵が一人、彼らのために食物を運󠄁んできたところであつた。その建󠄁物の入口に近󠄁い一室では、例の復業會委員の徽章をつけた役員達が、額を集めて熱心に果しもない立話しをしてゐた。
 その夜九時頃になつて、ニュ―ス映畫班の神原政雄さん始め三人の前󠄁線記者が、リヤカ―を飛ばして、泥んこになつて私達の宿舍に歸つてきた。今朝󠄁九時頃嘉興が完全󠄁に陷落した、宿舍を前󠄁進󠄁させなければならない、それにつけて、リヤカ―や乘用車ではものの用に立ちさうもない、何しろひどい道󠄁だから、上海の支局へトラックを買ひ入れるやうに云つてやらう、トラックでなくちゃとても杭州までは行けないぜ、この二三日は、戰況に變化󠄁があるまい、今の間に準備を整へよう、――さういふ相談で夜が更󠄁けた。
 二十日早朝󠄁、用意󠄁のビイックを引出して、昨夜のリヤカ―と共に、私も交へて一行六名、霖雨の中を上海に引かへすことになつた。
 八時過󠄁ぎ出發、上海まで約󠄁二十四五里の道󠄁のりである。いくら暇どつたところで夕方まではかかるまい、上海に着いた上で久しぶりにすき燒でも食はうといふので、大膽にも私達は握り飯の用意󠄁もしなかつたのである。ところが事實は豫想に反して、松󠄁江まで僅か四里半ばかりの道󠄁のりを走破するのに、たうとう十二時間餘りを費してしまつた。
 車は出發後半みちばかりのところで、泥濘に車輪を沒してしまつた。それが第一囘だつた。その時は金山までリヤカ―のみを引かへして、古板や丸太ん棒を取寄せ、折よく通󠄁り合せた衞生隊󠄁の兵士達二十名ばかりの協力を得て、どうにか車體を引出したが、車はその上半丁とは無事に走りつづけることが出來なかつた。惡路の中にも、殊に甚だしい難所󠄁がある。さういふところに差しかかると、東道󠄁役のリヤカ―の注󠄁意󠄁によつて、私達は直ちに車を捨󠄁て、路傍の水田に下りて、稻塚の稻束――穫り收れて束ねたばかりの新しい稻束をふんだんに路面に敷き、要󠄁所󠄁に古板を渡して、さうして、車に速󠄁力をつけて一氣に難所󠄁を切り拔けるといふやり方をとるのである。さういふことを二囘三囘、五六囘も繰りかへしてゐるうちに、私達の車は、前󠄁方から來る大部隊󠄁のために幾時間も路傍に待たされた後、いささか焦燥にかられて前󠄁路を急󠄁いだ不注󠄁意󠄁のために、決定的󠄁に泥濘の中に落ちこんでしまつた。車體は路面に支へられて、車輪は浮󠄁いてしまつたのである。
 惡路と泥濘に就ては、詳しく說けば限りがない。南船󠄁北馬といふ言葉がある、南方では多く舟輯の便を假つて馬背によらないのも、この惡路を見ては故あるかなと思はれる。その上十幾日來殆んど連日の霖雨である。徒步部隊󠄁の將兵達は云ふもさらなり、○○の段列もまた、人力の忍󠄁びうる限りの困苦と鬪つてゐるのである。
 金山松󠄁江間の道󠄁路上には、殆んど○○は見あたらなかつた。しかし、路傍の小溝󠄁の中に無慘に轉がつてゐる馬匹の數は、私の眼に(以下一行半略)
 私はあるところで、憐れな一頭の軍馬を見た。その瘦せ衰へた裸馬は、泥濘に蹄を浸󠄁して、路傍にぼんやりと立つてゐた。(以下二行略)あたりの平野にはただ蕭々と雨が降つてゐるきりで、人影とても見あたらない。次々に地平線から現れてくる軍隊󠄁は、彼の傍を通󠄁りぬけて、同情󠄁と憐憫の一瞥を彼の上に投げ與へ、次々に彼を見棄てて通󠄁りすぎて行つたに違󠄂ひない。彼には雨を避󠄁けるべき厩舍もなければ、飢󠄁ゑを滿すべき秣草もない。いやさうではない、彼には既に食慾とてもなかつたであらう。それはもはや馬――ではなかつた、それは馬の影、影の影なる、その幽靈にすぎなかつた。芭蕉の葉つぱのやうな項頸(うなじ)を垂れて、その憐れな畫間の幽靈は、いつまでもぢつと一つところに停んでゐた。――馬だ、馬だ、瘦せてるなあ、あんなところに立つてやがら、――私達の車は彼に近󠄁づくに從つて幾度か警笛を鳴らしたが、彼はそれにもいつかう無頓󠄁着に立つてゐた、やつと自らを支へることが精いつぱいといつた風に、彼はいつまでも泥の中に立つてゐた。
 一時間餘りもあらゆる努力を試みた後に、私達は結局車を見捨󠄁てることにした、目標しの小旗を殘したきり、路上に抛り出してきたのである。さうしてめいめいリュックを負つて、外套を端折つて步きはじめた。
 ――新聞屋さん、新聞はないかね。
 ――上海へかへるところなんです、ここにはありません、歸りには持つてきますよ、すみません。
 ――新聞屋さんも樂ぢゃないね、戰爭はどんな具󠄁合だい、杭州まで行くやうな風かい。
 ――一昨日の朝󠄁嘉興が落ちました、今日あたりまたどんどん前󠄁進󠄁してゐるでせう、勿論杭州まで行きますよ。
 ――要󠄁愼しなよ、そんな恰好ぢゃ、敗殘兵に間違󠄂へられるぜ、あんた達。
 敗殘兵といへば、金山を出て間もない頃、千米突ばかりの間近󠄁な距󠄁離に、しきりに銃聲が聞えてゐた。それはやや十分間ばかり續いてゐた。まさか食糧掛りが豚や羊を屠つてゐるのでもなささうだつた。
 四時過󠄁ぎ、私達は黃浦江の支流に出た。そこには船󠄁橋が架つてゐて、御用船󠄁も幾艘か泊つてゐた。十八日私の便乘した內火艇󠄁も、ここに𢌞つて、船󠄁着場に繫留してゐる。やがてその汽艇󠄁には、通󠄁譯官に動員された東亞同文書院の學生達が乘こんだ。リュックを背負つて軍刀を佩いた彼らの仲間は、二十名ばかり、年輩の統率󠄁者に率󠄁ゐられて、何か修學旅行にでも出かけるやうな、颯爽たる樣子に見えた。
 船󠄁橋の上には、松󠄁江方面よりの○○部隊󠄁が、引つきりなしに續いてある。私達も、勿論私達のリヤカ―も、容易に渡橋は出來さうにない。やうやく○○○○○に賴みこんで、上海に歸る軍用貨󠄁物車(トラック)と共に、苦力の操る渡船󠄁によつて、私達は對岸に渡された。六時を過󠄁ぎて、日はとつぷりと暮れてゐた。
 日沒の後、路上にはぎつしりと行軍部隊󠄁が續いてゐた。私達は軍用貨󠄁物車(トラック)に便乘を許されて、風雨の中を松󠄁江に向つた。寒󠄁氣も空腹も、私達のものはもとよりものの數ではなかつたが、いかがはしい上海の旅館さへ流石に夢のゃうに懷かしまれた。
 初更󠄁を過󠄁ぎて、私達の車は松󠄁江の城門を潛つた。上海まで一氣に突つ走らう、これだけ武器があるんだから、敗殘兵なんざ屁の河童さ、さういふ元氣な意󠄁見もあつたが、班長さんの制止によつて、結局その夜は一行城內に一泊した。因にいふ、車上の武器といふのは機關銃一、小銃十。
 松󠄁江城內は、勿論燈火とてもない眞暗󠄁な闇黑世界だつた。處處に焚火の起󠄁つてゐる外、ただ四邊に雨聲を聞くのみで、何が何だかさつぱり見當がつかないのである。懷中電燈を携へて宿舍を搜しまはつてゐる兵士達が、新來の私達をつかまへて、○○部隊󠄁はどこですかなどと尋󠄁ねる。
 私達はとある空家で焚火を始めた、飯盒炊爨にとりかかつたのである。
 折から○○に報吿に出かけた上等兵が、○○部隊󠄁の宿舍を敎はつてかへつてきた。間もなく○○部隊󠄁から、出迎󠄁への下士官がやつてきた。こちらへきて泊れ、飯も炊いてやる、といふのである。夜ふけのことだし、明󠄁日の朝󠄁は早いのだから、と代理の者が辭退󠄁しても、こんなところで風邪󠄂をひいてはつまるまい、鍋釜󠄀の準備もあるし、當番も起󠄁きてゐるんだから、すべて世話のないことだ、○○隊󠄁長殿のいひつけだからお伴󠄁れすると云つてきかない。○○部隊󠄁と○○部隊󠄁とは、特殊な關係にある「親類同志のやうな」ものだと誰かが私に說明󠄁してきかせた。
 私達は、その親類部隊󠄁に迎󠄁へられて、十時もやや過󠄁ぎた時分、出來たての溫かい飯と溫かい味噌汁とを振まはれた。さうして溫かい毛布にくるまつて一夜を過󠄁した。
村落とても見當らない曠野の中の一本道󠄁を、雨に濡れつつ陸續と嘉興に向つて、杭州に向つて、進󠄁軍してゐたあの部隊󠄁、あの大部隊󠄁の兵士達は、その同じ一夜をどんな風に過󠄁しただらうか。(十一月二十九日夜)

 

 

 三好達治「霖雨泥濘」『全集9』(S40.4刊)