三好達治bot(全文)

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「小動物」

 

「小動物 一」

 

 私は餘り蛇を怖れない性質(たち)である。一度こんな經驗をしたことがある。
 洛外嵯峨に、嵐山電車を降りて渡月橋とは反對の方角に、釋迦堂といふのがある。もう十四五年も昔のことなので、私はこの文章を書きながら、その釋迦堂の境內を思ひ出さうとしてみるが、道の正面に聳えてゐた山門の外、私の眼に浮んでくるものは、いつかうにみなとりとめがない。それでこの文章の前置きに、風景描寫をすることはたうてい出來ない。しかし次のことだけは、それに引かへ、はつきり記憶に殘つてゐて、昨日のことのやうに眼に浮べることも出來る。
 その境內のどこであつたか、ある建物の前の、石と石との隙間のところに少しばかり草の生えた、砌の上をちやうど私の步いてゐた時、私の前を三尺ばかりの蛇が走つた。今から思ふに、どうもそれは、靑大將だつたらしい。その蛇は、首から五寸ばかりのとこに、一ところ、變な膨らみをもつてゐた。それが私の注意を惹いた。私は突嗟に、別段何の分別もなく、二三步彼の後を追つて、その尻尾を、矢庭に靴で踏んづけた。私の靴底と石との間に、うまい具合に、彼の尻尾は捕へられた。私は一寸ぎよつとしながら、やはり何の分別もなく、ものの拍子といつてもいい行きがかりから、そんな風なことになつた、その私の立場を、その場の嫌惡に耐へて、暫く守りつづけてゐた。捕虜となつたその蛇は、不意の災難に迷惑して、その上半身を、二三度左右に振つてみせたが、それでもいつかう尻尾を放して貰へない、――その場の事情を、彼なりに、何と合點したのであらうか、一寸靜かに落ちつくと、今度は、先ほど私の注意を惹いた膨らみ、その腹中の一物を、身悶へといふほどのものも見せずに、器用に吐き出しにかかつたのである。その時の彼の表情は惡戲小僧が素直に降參したといふ、ただそんな、無邪氣なものに眺められた。私は少し興味を覺えて、その彼の膨らみが、小刻みに少しづつ、頭の方へ近づいてくる、吐逆の樣子を見まもつてゐた。やがて彼は、鎌首を一寸もたげて、こつくりと、眼の前の土の上に、黑いものを吐き出した。それは一匹の蛙だつた。唾液のやうなものに濕れた、その蛙は、腹匍ひに置かれたまま、既に正氣を喪つて、ぐつたりとして動かなかつた。しかしそれから一二瞬の後、つぶれたやうにへたばつてゐたその蛙は、うつけた氣持でそれを見てゐた私の眼の下で、大きく一つ息を吸つた。二三度呼吸を繰返した。それからむつくり起き直つた。さうして後脚に力をこめて、退儀さうに土を蹴つたが、思ふやうには躍べなかつた。それでも二三度躍んでゐると、頭がはつきりしたのか、今度は急に活激に、力いつぱい躍びはじめた。さうしてすぐに、叢に隱れてしまつた。私の捕虜はその間も、微かな音をたてながら、迷惑さうに藻搔いてゐた。私は彼を釋放した。彼もまた一瞬の間に、私の前から姿を消した。極まり惡さうに、こそこそと、乾いた土の上を走つた彼の姿は、一寸氣の毒のやうでもあつた。一つの命から、もう一つの命をとり出して、とにかくそれを二つのものに引分けて野に放つた、そんなことが、その時の私を、一寸得意な氣持にした。
 これは、とある田舍で見かけた話。
 その時私は、年若い友人と同道して、一つの土橋に通りかかつた。初夏の蒸し暑い日であつた。ここかしこ楊(やなぎ)の新綠が煙つてゐる、そこの河原の風景は、嘗て私の旅行した、朝鮮北部の、やはりそんな河原の風景に似通つてゐた。折からの微風に、楊の絮(わた)もとんできた。私達が、その土橋の、橋の袂にさしかかると、それまでそこの水際で、何かを漁(と)つてゐたらしい二人の子供が、橋の蔭から現れて、ちよこちよこ走りで、私達に先んじてその橋を渡らうとした。手には罐を持つてゐる。私は思はず、その罐を覗きこんだ。罐の中は私にはよく見えなかつた。
 ――何をとつたの?
 私は同時に言葉で尋ねた。
 ――かじか。
 一人の子供がさう答へた。
 ――かじか?
 ――かじかがへる。
 その子供は、二度目には、丁寧にさう答へて、鰍ではない河鹿だといふことが、その時はもう嚥みこめた私の前に、その罐の中から、一匹の河鹿を摑み出して、額の上の、私の顏に眼をあげた。それを私に、通りすがりの旅人に、くれるつもりだつたらしい。
 ――ああ、さう、かじかがへる。かじかがへるだね。
 私はさう、なだめるやうに返辭をした。――欲しいのではない、ありがたう、とい位のつもりであつた。するとその子供に、私の氣持が解つたものか、さてその上で、どう思つたのか、彼はそれを强て私にくれようとは、その身ぶりにもその言葉にも、露はには現さないで、そのままそこにしやがみこむと、その手の中に握つたものを、土の上に置いてみせた。――欲しければ、上げるよ、とでもいふほどのつもりだつたものらしい。土に置かれたかじかがへるは、子供の小さな手の下から、早速ぴよんぴよん跳びはじめた。
 ――どうしたの、いらないのかい、逃げつちまふよ。
 私はそんなことを云つた。いとけない私の相手の、露はに云へば反省を促したのである。
 ――いらない。
 私の相手は、ただひと言、うつむいたままでさう答へた。子供の心境といふものは忽ちのうちに變化する。私は一寸まごついて、言葉に窮した。
 その間も、河鹿はぴよんぴよん橋の面を跳んでゐる。今度はそれが氣になつた。斜めにそこを跳んでゐた、その河鹿は、もう橋の上を跳びつくして、その方向に跳ぶつもりならもう跳ぶ餘地もなくなつた。どうするだらう、そんな勢ひで跳びつづけて、危ない……
 私がさう思つた途端に、河鹿は一層勢ひよく、ぴよこんと一つ跳び躍ねた。さうしてそのまま、溪流の中に跳びこんだ、二間ばかりも水面を離れた橋の上から。

 

 河鹿といへば、私にはまた、一寸忘れられない思出がある。
 まだ學校へも上らない子供の頃、私は一度、山陰地方のある町へ、貰ひ子に貰はれていつたことがある。その頃のことは、うろ記えながら、まだひととほり私の記憶に殘つてゐる。
 それは夏の夜だつた。庭に面した奧の部屋では、父の知人のSさんを前に、父と祖母とが、一つの⻝卓を圍んでゐた。ビールか何かの晩餐がはじまつてゐたのである。Sさんは私達子供にも顏馴染の、私達の家庭では屢々名前の出る客人だつた。私達は次の部屋で、私達もまた、家庭に親しい知人を迎へた、子供心のうれしさに、少しばかり羽目をはづして、はしやいでゐたのを覺えてゐる。二つの部屋のとなりあひの、葭簀の障子か何かを透して、二つの部屋のありやうは、お互に見とほしも同樣だつた。
 暫く時間がたつた頃、私一人が、父の聲で隣室に呼び入れられた。一寸家內が靜かになつた。私は部屋のまんなかにぼんやりとつつ立つてゐると、その時父が、突然こんなことを云つた。父はその時、醉つ拂つてゐたのに違ひない、といふことが、これはずつと後になつて、私にも解る時がきた。
 ――この小父さんのところへ、行くかい?
 藪から棒に、そんなことを問ひかけられて、私は無闇と固くなつた。父はまた重ねて云つた。
 ――この小父さんは、小父さんのお家へ、お前を伴れてゆきたい、さう云ふてゐやはるのや。どうや、お前、行くかい?
 云ふまでもなく、その時の私には、前後の事情が嚥みこめる筈もなかつた。祖母とSさんとは、笑顏になつて、私の方を眺めてゐる。私はやつと、自分が、叱られてゐるのではない、といふ位のことを納󠄁得した。
 行く。私はさう答へた。祖母がまた、同じことを私に尋ねた。私はやはり行くと答へた。さう答へた時の氣持を、私は今も覺えてゐる。その氣持を思ひ出すと、私は今でも、少し心が暗くなる。その頃から、自分の家庭を、私は愛してゐなかつた。そんな不幸な過去に就て、また私の頑な性質に就ては、別に一度、少し詳しく書いてみたい。それは兎に角、その時私が、そんな風に、私の見知らぬ遠い町へ、行くと答へたのには、そんな漠然とした氣持の外に、一寸奇妙な、直接な理由が別にあつた。
 その前一度、Sさんが私の家へ、籠に入れた河鹿を持つて、何かのついでに、一寸ひと足寄り道をしたことがあつた。私はその河鹿を、私の家へのお土產に、貰つたものと思つてゐた。私達兄弟は、その籠の周りに集まつて、額を寄せて、籠の中を覗きこんだ。その不思議な薄暗い小さな世界は、今も私の眼に殘つてゐる。しかしSさんは歸る時に、その籠を持つて歸つた、それには私は心の底からがつかりした。そんなことも、それからそのまま忘れてゐたが、この小父さんの家へ行くかい、さう問はれた時、私は遽に、先日のその河鹿のことを思ひ出した。その籠が、何より先に、眼に浮んだ。
 それから十日ばかりして私は家族の者と別れた。
 途中の汽車の中で、私は河鹿のことを尋ねた。Sさんは、怪訝な顏をして見せた。私は詳しく、先日の籠の話をして、相手にそれを思ひ出させた。
 ――ああさうか、その河鹿なら、ゐるよ、ゐるゐる……。
 Sさんはさう答へた。ある筈だ、ゐる筈ぢやないか、相手の顏を見つめながら、私はさう思つた。
 家に着いてみると、その籠は、しかしどこにも見當らなかつた。河鹿はどこにゐるの、私は幾度もさう尋ねた、その度に、新らしい私の父母は、要領を得ない答へを繰かへしていつも私をはぐらかした。

 

 

「小動物 二」

 

 先日鼦といふものを見かけた。
 何處へ行つた歸りであつたか、夕方、スキーを引ずつて宿の附近の急阪を登つてくると、その路の前方の雪の上に腰を下ろして、スキーは靴から離して脇に置いて、やや年輩の一人の男が休んでゐた。彼はやや小高いその位置から、顏は私の方を向いて、さうして片手をあげて私の背ろの方を指して、何か私に注意を促してゐるやうな風に見うけられた。その意味がも一つ嚥みこめないので、別段步を急がせるでもなく、私は遲々とした步き方で彼の方へ近づいていつた。そのうち、やがて彼の聲が聞きとれる距離に近づいた。
 ――狐! 狐!。
 彼はさう呼んでゐるのである。狐とは珍らしい、私はさう思つて、はじめてそこで步(あし)をとめて、背後をふりかへつた。脚もとの小さな澗を一つ隔てて、眼の先の山地の斜面に、もちろん雪の上を、小さな動物が一匹小走りに走つてゐるのを、すぐに私は眼にとめた。それは狐ではなかつた。
 ――鼦でせう。
 私はさうその旅人に答へた。それは狐よりもずつと小柄な、脚の短いそしてからだ全體の半ばに近い尾をもつた、走る時にその背中を一種特有のしなやかさで波うたせる、それらの風體から、疑ひもなく鼦であらうと、私はひとりぎめに決めてかかつたのである。鼦といふものを、(――かうきめてかかるのは、なほ多少早計だらうが、)私はこの時初めてその實物を見かけたのである。それは、その旅人がそれを狐と見間違へたのも多少どうかと思はれるが、とにかく毛色だけは狐に似た、狐色といふよりももつとうすい淡黃色の、なるほど襟卷にしてもよささうな色合なのが、あたりの雪との對照で、やつと薄暮のうす暗いうちにも認められた。その毛色だけが鼬とも違つて、聞き覺えの鼦の毛色にかなつてゐた。それだけではない、このあたり一帶の山地に、近ごろ鼦が跳梁してゐる評判は、かねがね私も聞き及んでるた。夏ごろこの宿に滯在してゐた山獵師は、今年はめつきり兎が減つてねつから姿を見かけない、鼦の野郞が騷いでやがるに違ひない、といふやうなことを云つてゐた。宿から十町ばかり下つた谿合の茶店の親爺は、生簀の鯉を二匹、すぐその茶店のそばを流れてゐる溪流から釣り上げた岩魚を二匹、これは盥に入れて炭俵で覆つた上に重しの石を載せて置いたのを、うまうまと鼦にしてやられたとこぼしてゐた。鯉の方は、小屋のまはりを方方探し𢌞つて、やつとその鼦の⻝ひ殘していつたのを見つけ出してそれでもそれを晩酌の肴にしたが、――ひどいことをしやがるもんでごわすぜ、おらどうにも業がわいてならないと云つてゐた。
 旅人に敎へられて私の見かけたその鼦は、樅の木立の間から、ちよろちよろと雪の斜面を走り下りて、一抱へにも餘る白樺の木の根方を、何のためかくるりと一まはりして、また斜にちときた方へ、樅の木の寄合つた木下闇へ引きかへしていつた。さうして姿を隱す前に、ちよつと立ちどまつて、私達の話聲をききとめたものか、その小さな顏をこちらの方へふり向けた、時間ぎめの出張敎授――と、ルナールがうまいことを云つた、あのせせつこましい分別顏である。
 もう五六年以前のこと、私は大阪の、阪神電車沿線の野田驛附近を、夜ふけに步いたことがある。阪神國道を圓タクに乘るだけの金もなくして、いやな氣持で、――ついでに深夜の場末の風景でも見物してやれといつた氣持で、浮浪者のやうに步いてゐた。國道電車はもうとまつてゐた、けれどもトラックとタクシーがひつきりなしに走つてゐたのは云ふまでもない。そしてそれらのタクシーが、うす暗い步道を步いてゐる私を見つけ出して、代る代る車をこちらへ驅け寄せて、うるさく乘車をすすめたのもまた云ふまでもない。私はそれらの勸誘者に、金がないんだといふことを一一答へた、これはこんな場合のいつもの私の流儀である、しかしそんな風に、自分の無一文を繰返し告白しながら冬の――さうだそれは冬だつた、路傍に櫛比してゐるコーヒー店、といつても軒店のコーヒー店、これは東京ではあまり見かけないやうに思ふが、(近年東京の樣子にうとい私のことだから、或はとんだ失言になるかもしれない、)自動車の運轉手助手を殆んど專門の顧客としてゐるそれらの深夜のコーヒー店も、みんな入口の硝子障子をしめ寄せてゐた――そんな冬の夜ふけの鋪道を、とぼとぼとお拾ひで行くのは、どうにも餘り感心した圖ではなかつた。
 前方から疾走してくる自動車のライトが、次々に現れて、それらの乘物のために磨きのかかつた路面や、ポプラか何かの冬枯れの並木を照らし出す、その矢繼早やな、闇と光明との入れ替りは、しかし虛心に眺めてゐると、一種都會的な、この場末にふさはしい情趣を帶て、その時の私のうらぶれた氣持と、互に呼應してでもゐるかのやうに、ひそかに諧和してさういふ折からの一種のリズムを奏でてゐるのが感ぜられた。
 その時私は、恐らく私一人がそれを認めたであらう、如何にも機敏な、印象的な、そんな夜ふけの小さな獸ものの動作を睹かけた。
 その道幅は何間ばかりあつたであらう、その中央を走つてゐる、電車線路のレールの上を、橫つとびに、私の行手の右から左へ、一匹の鼬が、鼬の道きりをしたのである。小さな頭と、薩摩芋ほどのその細長い胴體と、胴體より心持もち上つたその長い尻尾と、それらが一種美的なしなやかな波狀を描いて、全速力のギャロップで、丁度私の方へは、その洒落たシウルエットを見せながら、さらにその向ふから逼つてくる自動車のヘッド・ライトの光りの中を、多分それは承知で脇眼もふらず突つ切つた、――その颯爽とした小動物のさかしらを、その後私は折にふれて思ひ出すことがある。

 

 鼬といへば一度こんなこともあつた。
 その日私は、潮風の匂つてくる神崎川の河口に近い堤防の草の上に腰を下ろして、雜誌か何かを讀んでゐた。
 脚もとに何か動くものがあつた。私は雜誌の下から、投げだした自分の爪先の方に目をやつた。丁度そこのところへ、ひよつこり顏を出したものがある。こんな風にしてその時私は、一匹の鼬と對面した、それは對面といふ言葉にふさはしいほど、ほんのま近かに彼と私と、眞正面に顏と顏とを向き合つたのである。三分の一秒ばかり彼は私の顏を見つめてゐた。彼にとつても意外であつたに違ひない。それからくるりと身を飜して、失敬――と云つたかどうだか、それは聞き洩したが、急いで叢にかくれてしまつた。

 

 ある小春日和の暖い日、省線東中野驛の傍の陸橋の袂で、私はひと組の家族づれに出會つた。その家族づれに別段何の變つたところがあつた譯でもない。小肥りの働き者らしいお內儀さんは、絹ものではない質素なかいまきの中に赤ん坊を背負つてゐた。その左手に並んで、齡ごろの小娘が一人、風呂敷包みをかかへてゐた。それからお內儀さんの右手には、彼女に手をとられて、まだ學校へ上らない位の、頑是ない男の子が、頰つぺたの赤いむつつりとした顏をして、精いつぱいのちよこちよこ步きで、みんなに步並を合せてゐた。このひと組の家族づれを、その後永く私が忘れないでゐるのは、いや、やはりただ一つ、ただ一つ、ちよつとその服裝に變つたところがあつたからである。
 その小さい男の子が、ちよつと變つた襟卷をしてゐた。鼬の襟卷をしてゐたのである。鼬はそつくり一匹の、ただ一匹のそつくりそのままのものであつた。それはうまい具合に、その小さな子供の襟卷になつてゐた。眼玉のあとの二つの孔に紐をつけて、その紐が尻尾の端を結んでゐる。その輪がお誂へ向きに、餘裕もないが不足なしに、着ぶくれた厚着の中に隱れてしまつたその咽喉のところをとり卷いてゐるのである。それは一見して、餘計なお世話だが、手製の襟卷だといふことが推測された。
 彼等三人、かいまきの中の赤ん坊もいれて四人の背中に、小春日和の午後の陽ざしがふり注いでゐた。彼等の姿だけではない、その時彼等をとりかこんでゐたあたりの雰圍氣、陸橋の袂の風景と共に、私はそれを永く忘れないでゐる。

 

 

「小動物 三」

 

 故梶井基次郞君が、攝津伊丹町の近郊に假寓して宿痾を養つてゐた頃、私は度々彼の病床を見舞つたことがある。
 それはある盛夏の一日であつた。床の上に起き直つた梶井君と私とは、とりとめもない雜談を交へてゐたが、たまたま私達が同じやうにそちらへ顏を向けて、二人の視線をそこに落してゐた、その病室の前の小廣い前栽の、平らな石を程よく按配した飛石路の、一ところ、それらの石を三つばかり寄せ集めた、丁度庭の中ほどに當るそこのところへ、蜂が一匹下りたつて、いかにも身輕な走り方で、水の上を走る水馬よりももつと遙かに輕快に、强い光線の降り注いでゐる石の上を、夢のやうに走つて見せた。
 ――あの蜂……
 とか何とか梶井君が私に言葉をかけた、その時には、私も丁度その昆蟲に眼をとめてゐたところであつた。まるで重さなどのないほどの華車な體軀と、透明な刃物のやうな强い翼とをもつたその昆蟲は、彼の前一二尺の距離を、つと一走りに走ると見る間に、石と石との寄合つた、そこのところに何かの草の立つてゐる、私達の眼には見えなかつたわづかな隙間へ、そのままするりと走りこんで姿を隱した、――ほんの一瞬の間であつた。梶井君はその蜂の身ごなしの敏捷さを、何か洒落た言葉で私に說明したが、私はそれを忘れてしまつた。梶井君はまた、その蜂が時とすると獲物の蜘蛛を運んでくる、後ろ向きになつて引摺るやうにしてそれを運んでくる、その樣子をも私に說明した。私はファーブルの昆蟲記に、蜘蛛をその巢に運びこむ、そんな種類の蜂に就て面白い觀察の記されてゐるのを、かいつまんで物語つた。
 その庭の、私達の向つてゐた正面には、綺麗に鋏を入れたかなめ垣を越えた向ふに、靑田を隔てて、カンナの花の燃えるやうに咲き揃つてゐる、とある一つ家の後園を、私達の方からは、丁度その側面を眺めることになつてゐた。日暮れ時、その家の主人とその子供らしい男の子と、二人がそこに現れて、花園に水を撒く、――それを每日、ここから遠眼鏡で觀察して、一つの小說を書いてみたい、梶井君はそんなこともその折私に話して聞かせた。彼はもはや病床を離れることが出來なかつたのである。

 

 梶井君がなくなつてから、二年ばかりもたつた後、私はとある田舍の旅籠に、半年餘り滯在したことがある。その宿の私の部屋の窗には、櫻の花の咲き終つた初夏の候になつてあの腰の細い身輕な蜂が、時たま姿を現した。その昆蟲を見る度に、私は梶井君の病床と病室の前の前栽とを、彷彿と眼に見るやうに思ひ泛べた。やがてその蜂も、いつとはなく私の眼にとまらなくなつた、もうその頃は、窗のあたりを徘徊しなくなつたのである。
 それから暫くたつて、無精者の私のこととて、氣になり初めてからもなほ一週間もうつちやつておく、無精髭の伸びたのを、やうやくその日はあたる氣になつて、鏡臺の前に置いた安全剃刀を手にしてみると、これはまた、その剃刀の一寸ばかりの柄のところの、中空になつた內部の暗がりに、岱赭色の粘土がいつぱい塡まつてゐる。誰の惡戲だらう、初め私は一寸さう思ひ惑つたが、そのうち私には、その嫌疑者の目星はだいたい思ひ當つた。蜂だ、あの蜂に違ひない。
 私は湯殿に下りて、その剃刀で髭をあたつた。剃刀のその柄の中には、借家人が住まつてゐる、さう思ふと、やはりそれが私の氣がかりになりはじめた。せつかく丹精こめて作られたこの赭土の巢、なるほど堅固な場所を撰んだものである、昆蟲の智慧の賢さとその儚なさとが、暫く私の心を捉へた。それと共に私の好奇心が動きはじめたのは云ふまでもない。
 つひに私は私の好奇心にうち負かされて、盥に汲んだ湯の中へ、その剃刀を投げこんだ。待つ間もなく、その柄の口のところから、盥の底へ、少しばかり赭土が流れ出た。剃刀をつまみ上げてみると、一塊りの淤泥(どろ)になつて、可憐なその建ものは、流し場の上に滴り落ちた。さうしてその淤泥の中に、脚の長い小さな一匹の蜘蛛と、蜘蛛の五分の一ばかりの小さな毛蟲とが現れた。毛蟲の方は動いてゐた。好奇心にそそのかされて、こんな破壞をなし終ると、私は一寸暗い氣持に閉された。
 私はまた、なくなつた友人のことと、彼が書かずにしまつた小說のこととを聯想した。

 

 

「小動物 四」

 

 その日は、家族の者はみんなでどこかへ出かけてゐた。私は學校から歸つてきて、うす暗い屋敷の中に、さうして私一人が取殘されたのを、やり場のない、立腹に似た心持ちで顧みながら、幾つかの部屋を、足音の高い步き方でひと周り步いてまはつた。火鉢や座蒲團や、眼醒し時計や蠅帳や、机や硯や十露盤や、まるい火屋の竹洋燈や、等々々、それらの見慣れた古い品々が、それぞれのいつもの位置に置かれてゐる、日頃のままの室內が、私の眼には、何とはなし、普段とは樣子の違つた、少しばかり氣味の惡い、お噺しめいたものに見えた。そんな部屋の中に、暫くぼんやり立つてゐると、切戶の外の裏の畑で、爺やが何かを割つてゐる、斧の音が聞えてきた。しかし私は、なぜか、耳の遠いその爺やに聲をかけてみる氣にはならなかつた。
 私は窓のところに、椅子を一つ持出して、庭に向つて腰を下ろした。さうしてその時、子供心に、そんな風に自分一人でゐることの、うち寬いだ愉しさをしみじみと覺えたのを私は今もはつきりと記憶してゐる。もうやがて、三十年近く昔の話である。
 障子を開け放つた窓の閾に、肱を張つて兩手を重ね、その手の甲に顎を置いて、そのまま居睡りでもしさうな姿勢で、それから小半時も、私はそこでぼんやりと休息してゐた。
 窓の前の赤松には、いろんな種類の蟬が、松いつぱいに集つて、聲を揃へて鳴いてゐた。私はそれを、聞くともなしに聞いてゐた。
 するとその時、そのコーラスの調和を破つて、滅茶苦茶な聲で鳴きはじめた、一匹の蟬があつた。私は顏を上げた。見ると、その蟬は、地上に墜ちて鳴いてゐる。鳴いていると云ふよりも、そこの土に、頭を擦りつけるやうにして、力いつぱい羽搏きながら、藻搔いてゐる。――さうして鳴いてゐるのである。
 私はかねがね、信心家の祖母から、鳥蟲魚介すべて生き物と名のつくものは、殺生はもちろんただそれを捕へて遊ぶことさへも固く禁じられてゐた。そんな私の眼の前に、今、どうした譯か、空から舞ひ墜ちてきた一つの蟬。それがどんなに私の好奇心をそそつたかは、說明する要もあるまい。
 私は草履を突つかけて、夢中になつて驅けだした。蟬はまだそこに悶えてゐた。それは私達がその田舍で、小蟬といふ名で呼んでゐた、形の小さな蟬だつた。その小蟬は、大きな形の蟬よりも、子供達の間で、數倍も尊重されてゐた。私の喜びが、どんなに大きなものだつたか、一寸形容の言葉もない。
 私はそれを拾ひ上げた。と、途端に、私の拇指は、くさりと激しい痛みを覺えた。さうして私の手の中から、蜂が一匹飛びたつた。それに續いて、私の拾つたその蟬も、その時はもう鳴きやんで、羽音をたてて、私の手から飛び去つた。靑空の二つの方角へ、別れ別れに飛んでゆく、それら二つの昆蟲を、私は暫くとぼけた氣持で仰いでゐた。
私の指は、間なく大きく膨れてきた。先ほどの私の喜びは、そんな厭な苦痛に變つてしまつた。理由もなしに、蟬が墜ちてくる譯がない、――それだけのことを了解したのも、後の祭りといふものだつた。

 

 

三好達治「小動物」(『全集10』所収)