三好達治bot(全文)

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『朝菜集』自序

 ちかごろ書肆のすすめにより、おのれまたをりからおもふところいささかありて、この書ひとまきをあみぬ。なづけて朝菜集といふ。いにしへのあまの子らが、あさごとに磯菜つみけんなりはひのごとく、おのれまたとしつき飢ゑ渇きたるおのれがこころひとつをやしなはんとて、これらのうたをうたひつづりたるここちぞする。いまはたかへりみてみづからあはれよとおぼゆるもをこなりかし。げにこれらのうた、そのふるきはほとほとはたとせばかりもとほき日のもの、そのあたらしきはきその吟詠、いづれみなただひとふしのおのがしらべにしたがへしとのみ、みづからはなほおもへれど、みじかからぬとしつき世のさまのうつりかはりしあと、かの萬波あひうちしなごりもや、そこここにしるしとやいはん。うたのすがたそのこころばえをりふしにいたくたがひて、かれとこれとあるひはひとつ笛のうたぐちをもれいでしこゑとしもききとめがたからん。さらばこの笛のつくりあしきは證されたり――
 こはこれつくりあしき笛一竿、されどこの日おのれそをとりてつつしみひざまづきて、いまはなき
 萩原朔太郎先生の尊靈のみまへにささげまつらんとす。
 そはこの鄙吝の身をもつて、おのれとしごろ詩歌のみちにしたがへるもの、ほかならずただ師のきみの高風を敬慕しまつれるの餘のみ。いま身は垂老の日にのぞみ、師は白玉樓中にさりたまふ、しかして世は曠古の大局にあたりて兵馬倥偬をきはめたり。感懷まことにとどまるところをしらざらんとするなり。ときはこれ昭和癸未のとし春のひと日、おのれまたこのひとまきの境をさりてながくかへりきたる日なきを知りをはんぬ。身たまたま肥薩の山野に漂泊して、萬象靉靆たるあひだにあり、しかしてこの序をしるしつつ、心頭を徂徠する雲影のうたた悲涼ならんとするをみづからあやしむとしかいふ。

 

三好達治『朝菜集』自序(『全集2』所収)