三好達治bot(全文)

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「路」

 鼠坂、そんな名の差かがどこか四谷の方にあつた、それをここにも假りてもいいやうな坂が、ふと電車の窓から見える。中年の人物が一人自轉車をおさへて降りてくるのが、ちらりと見えたきりで、それが眼にのこる。時刻は夕暮れであつたから、何やら風情があつた。

 坂とは限らぬ、道といふものは何やら情趣の深いものである。この道や――、と芭蕉もそれを率直にうたつて得心したことであらう。白秋の「落葉松」の詩も、あの小徑が林の奧に分け入つてゆく條りがいい。あれは格別お誂へむきのやうだが、それほど特色のない平凡な田舍道でも、こちらにその用意さへあれば、なかなか面白く眺められるのがたいていである。雜誌の口繪寫眞のやうなものでも、寫眞の主題の方は別として、どこからかそこまでつづいてきて先の方はすぐに見えなくなつてゐる道、道そのものの一コマとして、私はそれを暫らく眺めてゐるやうなことがある。そこに來かかつた步行者の一人として、ちよつと立ちどまつて、――といふ風な氣持で、寫眞を見ながら、暫くは旅情に似た、假りもののやうな一種の氣分を味ふことができる。

 いつぞやヘリコプターで伊勢灣を渡り、四日市市の高い煙突を左手に見送つて、坂は照る照るの鈴鹿山脈を越えたことがあつた。凡そ關西本線を道順の眼じるしとして、龜山、關、柘植といふやうな町々を空から眺めた。單線のひつそりとした鐡道線路、水量の少ない川筋、それにもつれあつて、白くくつきりとした綠の中に、丘を越え山を越え峠を越えてつづいてゐる街道が見えた複雜に枝分れしたりまた集つたりしながら、起伏の多い、耕地の乏しい地勢の間を、巧みに聯絡してゐるのが、地圖を見るのと何の變りもないけれども、いつまで眼で追つてゐても興趣のつきないほど面白く眺められた。うまいところに橋を渡し、うまいところで勾配をかはし、うまいぐあひに村と村とをつなぎ合してゐるのが、大きな山塊の重なり合つた意地の惡い地形、無慈悲な試驗問題に申分のなひ答へを出したやうに眺められるのが、面白く、美しく眺められた。伊賀から大和へかけての地形は、山嶽も小ぶりで、その山にも植林の行きとどいてゐるやうな、いはば開けた、見た眼も怪異な趣きのない國ぶりだけれども、それでもこの山國では、道普請は相當な骨折りでなければならない、それも察しられて、小學校のあるあたりに、細い小道の見え隱れするのなども、ついと飛び去る空中から、情趣ふかく眺められた。

 駱駝の足跡のつづく砂漠の路、そんなものは映畫か何かで見る外に、私はまだ見たことはないけれども、寢つきの惡い臥床の中で時たま、空想してみることはある。催眠用に效果のあるのを誰かから敎はつたのを實行してみると、なるほどいくらか效果はあるやうに覺える。無限の空間をまつ直ぐにつづいてゐる寂しい路。左右には何もない砂つ原で燒きつくやうに暑いと考へる。向ふの方の空は明るく、空いちめんに雲ともつかない薄靄のやうなものがひろがつてゐる、と考へる。私は駱駝にも乘らず、ひや飯草履のやうな足もとでひとりで、沙の上を踏んでゆく。いつも散步のやうなつもりで、とぼとぼ、步みはじめる、といふ空想である。

 そんな空想は、いつまでもつづくものではなく、いくらか努力をつづけて押し進めてゐるうち、風景は自然と變つて、日當りのいい築地の上に、色のいい木の實をたわわにつけた柿の木が傾きかかつてゐる、という風な、京都ならば嵯峨、奈良ならば高畑、あたりでいつか見かけたやうな光景に、間もなくすりかへられてしまふ。さうしてそれでもいいのである。私はひや飯草履で、築地のかげを步みつづける。向ふの方の、竹藪にむかつて、どうやらそれは春さきの、伊豆の、湯ヶ島の竹藪らしいのにむかつて……。

 

 

三好達治「路」(『全集10』所収)