三好達治bot(全文)

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「お花見日和」

 またお花見頃になつた。一月あまり仕事場に抑留されてゐた後久しぶりに東京に歸つて見るともうその季節であつた。抑留は人さまに約を果すためと己れ自身のお勝手向きのためとであつて、いささか引揚者めいた感慨を以てやうやく宅に歸つてほつとした折から、心はしきりと饑渴に促されてゐるのを覺えるのは、さういふ仕事が殆んど俗務にちかかつたせゐであらう。いつまでたつてもかういふ態たらくの繰りかへしである。手當りにそこらの書物を讀み漁つてみる。譯本の『ツアラトストラ』を開いたところから讀んでみる。鈴木虎雄先生譯註の『陶淵明詩解』をこの方はその日からの日課に讀みはじめる。二ヶ月越しにこじらせた風邪を持てあましてゐるので當分原稿用紙には向はないつもりでゐるとそれが許されない。窓外は申分のないお花見日和である。
 東京のお花見には每年懲りごりであるが、それでも私はお花見そのものにはたいへん食指の動く性分である。小田原にゐる時分にはお濠端の夜櫻を人混みの散じた時刻に存分に見て𢌞ることが出來た。サイカチ通りにはお化けが出るといふ噂があつて、そこの夜櫻は――さう月夜の晩などは殊にその陰森たる匂ひの漂ふ見事な花のトンネルが結構であつた。小田原といへば、櫻花にやや先んじて、ヅバイモモ――といふのは花桃の一種――の深紅の花の咲き盛る時分、お城跡のてつぺんに立つてそこから見下ろす閑院宮邸に、竹藪ぞひにその並木のつづいてゐるのを遠望するのは、これも格別結構であつた。小峰の梅林は昔日の面影もなく荒廢してゐたが、それでも今も記憶に殘つて忘れ難い名木が二三なほあるにはあつた。畫家の竹內栖鳳が湯河原から每年老軀寫生にやつて來たのは、そのうちことさら古怪な姿の一木であつて、それは葱畑の中に頽然と踏みとどまつて孤立してゐた。櫻に遲れては藤があつた。「御感の藤」といふのは、好奇の人にその季節に一見をお勸めしたい見事な花房の千年藤。――二宮神社に臨んでお濠端に架け渡した法外な藤棚はその一木のためのもので、まさかその季節にならこれを見落す人もありますまい。小田原案內記に亙るのはしか し差當り私の目的とするところではなかつた。つい懷舊談めいたのは風邪熱のせゐでもない。今年はお花見を斷念したのでやがてかう筆がそれたらしいのを覺える。俗事にかまけた後では何かしら夢のやうに美しいものをぼんやり頭においてゐたい。チュリップの花一輪のやうに單純なものでいい、それを一つ念頭に置いてゐたいのである。
 さういふ饑渴の感を懷いてゐると、きまつてそんな折ふし私の想像――追憶に浮んでくるのは、奇妙なことをいふやうだが、先年、霜の朝、佛國寺大雄殿の背後で聽いた栗鼠の聲である。栗鼠は鼠の族であるから、鼠のやうな鳴き方を多分心得てゐるであらう。そこまでは私は詳にしないが、 私の今いふのは、さういふ見すぼらしい地鳴きをいふのでは勿論ない。私は嘗てかういふ短いものを書いたことがある。

 

  霜紫に朝晴れて
  栗鼠の囀る佛國寺
  涸れたる井戸のおごそかに
  あれちのぎくの花咲きぬ

 

 栗鼠は囀るのである。これは誇張でない。それ一つが彼の持前の發聲であるかどうかは(――多分さうではあるまい)その後も私の詳にしないところで殘念だが、とにかく栗鼠の囀ること、それも羽族でいへば鳴禽類の相當優秀なのど自慢に比べて決して聞き劣りのしない美しい囀鳴、ルリとかコマドリとかのやうな節𢌞しのいい抑揚に富んだ技術で囀る――囀りうることは一寸意外のやうだが事實である。私は確かにそれを聽きとどけた。疑ふ人のために私はこれを念入りに斷つておきたい。佛國寺のお坊さんたちは或は每朝のやうにそれを聞き慣れてゐたであらうか。私は二度きり、その後再びは聞かなかつた。
 栗鼠は地上にちよこなんと坐つてゐた。大雄殿に向つて雜木林を背ろにしてその時彼は地上の枯芝の上に立膝のやうな姿勢でお行儀よく坐つてゐた。無論私はその彼を見出すまでに、暫くの間その囀りをそこらあたりの木立の梢に、空しく歌の主を探し求めてと見かう見してゐたのである。さうして私の眼と耳とがやがて確かに一致する位置に於て私は彼を見出した。私が彼を見出してからも、なほ暫くの間彼はその姿勢のままで彼の囀りを私にはお構ひなく繰りかへしてゐるのを私は見た。私は一寸呆氣にとられた形で步をとめた。私は聽きとれると同時に息を殺して見とれてゐた。彼がくるりと向きを變へて、やや徐ろに林にかけこんだのは、それから暫くたつてからであつた。
 栗鼠は囀るのである。地上にはわづかに霜が置いて、それはすがすがしい朝の空が爽やかに晴れ上つてゆく、五時すぎ六時にはまだ間のある時刻であつた。栗鼠もまた小鳥のやうに、さういふ朝の快感に浮かれ氣味に無心に囀つてゐたのであらうか。もしかすると、彼の歌はそれほど無邪氣な性質のものではなく、巧みな僞瞞で迂闊な相手を間近に呼び寄せておいて、すばやい次の動作に移らうとする狡猾な詭計であつたかも知れない、と私は推量した。私の推量は殺風景なものであつたが、それを含めてその朝ぜんたいは、――或はそれによつて一層いきいきと、今もなほ私には夢のやうに美しいものとして囘想される。
 佛國寺畔の小さな出來事を、瑣細な私の興味から、私は多分やや詳細に語りすぎたであらう。私があの南鮮の肌寒い霜の朝を、今も折につけ一つの甘美なものとして囘想するのは、それをいつも路づれにするとはいつても、しかし無論あの小動物のせゐではない。
 紫霞門、泛影樓、大雄殿、それらの伽藍を備へた佛國寺の堂宇は、その木造建築の部分はむろん近世の重修であつて誰の眼にもたいへん出來が惡い、無用のつけ足しといつてもいいくらゐに、その石壇や石塔石橋のいづれも蒼古として調和のいいのに比べて品位に甚だしい懸隔があつた。私はいつもその木造部分を想像の上では全く無視する見方を以て、朝夕境內をぶらぶらしながらこの環境を樂しむのを常とした。そこには靜かな廢墟の美があつた。「廢墟」こそは建築美を完成する一箇の形而上的な仕上げのやうにさへも、少しく辭を弄していへば考へられるくらゐに、私の自由勝手な見方のその世界には詩趣があつた。强力な風味があつた。扶餘の遺蹟にも慶州郊外の諸遺構にも常にそれがあつた。その甘美な夢のやうな惑はし多い魅力は、しかし佛國寺畔に於て比較的大かかりな規模と齊整とを以て――ほどよき見渡しの擴がりを以て感ぜられた。それは廢墟殿址といふもののそのまた纏まりのよさを以て一種調和的に靜謐に落ちつきよく感ぜられた。「栗鼠の囀る佛國寺」の霜の朝は、だから私にとつては一つのお誂へ向きの夢のやうな環境として歲月とともに一層忘れ難い感が深い。四圍の景物眺望とは別段關係なく、私の囘想の中ではただその一廓だけが――蕭然と。
 既に亡びしもの、なほ日日に亡びゆくもの、その大きな世界から寂しくとり殘された石組み――さうだ、あの高く築き上げられた城壁のやうな泛影樓下の石垣の裾𢌞りでは、白衣の老人が每日どこかからやつて來て小さな店を擴げてゐた。店といつても名ばかりの粒柿を並べたその露店。小春日和に遊覽客も稀れではなかつた。それらの人々の微かな營み、流れ、その背ろに高くそそり立つたあの居然たる石組み、蒼然たる意志、さういへば廢墟の美は、ある洗ひざらされた抵抗意志の骨格、さういふものの美感であるかも知れない。それは美の銳利なるもの、歲月の手に圓げられることによつて、いよいよ銳利に研ぎすまされた何かの切先のやうなものであらう。
 仕事場の俗務に疲れて歸つて來た私は、久しぶりに机邊の書を手當りに拾ひ讀みながら、窓外にお花見日和の陽光を見て、さすがに遊意が動かぬではなかつたが、每年の辛い眼に、眼を閉ぢて一輪のチュリップで彷彿させてゐよう、或は滿山霞の棚曳くやうな旺んな光景をでも空想してゐようとしたら、想念は手綱に從はぬ、はからずもかの銳利な切先にふと觸れることとなつた。
 一輪の鬱金香と、鷄林の廢刹と、しかし私にとつては、兩者はまことに近い距離に相隣りしてゐるのを覺える。

 

 

三好達治「お花見日和」(『全集10』所収)