三好達治bot(全文)

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「霜の声」『駱駝の瘤にまたがつて』

冬の寒い夜ふけにあつて
人はみなともし火を消して睡つてゐる
起伏の多い丘や谷間
環狀道󠄁路がガードをくぐる向ふの方
毀れかかつた街燈や變に歪んだ病院の窓
あるひは夜霧の中に瞬く航空燈臺
――そちらの方角もやはりまつ暗な港の方では
それでも何か機關の音が軋つてゐる
ああこの都會の致るところにキャベツ畠が凍りつき
煉瓦塀ばかりの屋敷跡に土藏の屋根が傾いて
そこらの堀割に毀れた橋がかかつてゐる
ねえお巡りさん この道をずんずんまつ直ぐ參りますと 私はどこへ行くでせう
さうさね あすこに低く光つて見えるのは ……あれは君 火星だよ
とんでもない どうして私がそんなに遠くへ行けませう
私は生れてこの方この地球の住人でこの燒跡の市民です
さうして僕は 泥棒どもを見張つてゐる君らの公僕
ありがたうお巡りさん 私どもはあすこの星へは參れません なつかしい隣人よ 月が出た
握手をしよう さやうなら
時はいま二十世紀のただ中を
のぼりつめた峠の空に半輪の月がかかつて
時刻はずれの鷄が鳴く 遠い向ふの地平線
すべての悔恨はこんぐらがつて後ろの方にうすれてゆく そこらあたりの道の上に
――だが冬だから春はま近だ
さくさくと踏めば碎ける霜の聲さへ……

 

 

三好達治「霜の聲」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)