三好達治bot(全文)

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「係蹄」『駱駝の瘤にまたがつて』

 あの砂山のかげから、靑い海と、鷗の群れを見たときに、人々から遠くはなれて、私がはじめてそこまで出かけていつた時に。
 その時私の心は、最初の病氣に苦しんでゐた。海は靑く、太陽は高かつた。遠く故鄕を出て、私がそこではじめて見たものは何であつたか。ああその風景は、今日もなほ私の眺望にかかつてゐる。
 進步とは何であらう。人生は水車のやうなものだ。永い輪𢌞は、一つのところで𢌞つてゐる。
 噫あの砂山のかげできいたさざめき、笑ひごゑ、沈默、またそのやさしい歌ごゑに影をかざして遠く砂丘を越えていつたパラソール。
 かうして人生は暮れてゆく。今日またおとろへた私の視力に、くもつた眼鏡の遠景に浮んで見える、その風景は夏の日のまつ晝ま、ツルゲニェーフや獨步を讀んだ日のあの砂山、靑い海と、鷗の群れ、ふつくらとしたちぎれ雲のかず、――さうして思出の遠い祕密の方角へ消えていつた歌ごゑ。
 すべてはあの日に何を意味してゐたのだらう。その意味は解きがたく、今日もまた私の心に浮んでくる。まことに人生には進步がない。それは水車のやうなものだ。ものうい輪𢌞は一つ所で𢌞つてゐる、𢌞つてゐる。
 私は今日、水車小舍のそばを通つた、ふとその路傍に佇んで耳を傾けた。さうして私は、なほこの係蹄の中で、もどかしく一つの未知の眞理を夢みながら歸つてきた。

 

 

三好達治「係蹄」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)