三好達治bot(全文)

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「堀辰雄君の㚑前に」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

 この日蕭々として黃梅の雨ふる日、我がどち君の歸鄕を待つ。歸る人は然れども旣に白玉樓中の客にして、遺影空しく待ちえて何を語らはんすべもなし。信濃なる淺間ヶ岳にたつ煙ただほのぼのとして半霄に遠きを見るに似たらんかしこの情や。しかしてげに遙かにも彼方に遠く高きを見るは君が一世の文業にして、こはなか空に浮べる雲烟の類ひならねば、とことはに彼方にあり、我がどちの在るところに常にありて、眼にあやに芳芬盡くる日なきを知る。
 才高き人のつね重き負擔に耐へんとす。難きものこそ得まほしき靑春の夢、めでたく匂ひかに誇高かりし日よ。我れは今しづかに省みてかの遠き日を思ふ。かの朝戸出や、君は心たのしげに凛然としてまた愼しみ深げなる步どりもて門出したまひき。そは孤高の人の用意ふかく志さはやかなるを身もて示したまひしを、今にしてなかなかにゆかしく懷かしみまつるなり。荊棘の路遠きもものかは、步一步に君の境地は展けたり。君は獨住の人、「別離は人を強くす」かくいひて袂かろらにまたしてもいやさらに遠く彼方に步み去りたまひしは、君が素心まことに棄つべからざるものありしを知る。しかしてこの日君はあまりに遠く我らをおきて距たりたまひぬ。君の任は盡され君の生は爲されたり、我ら高き誇りと深き悲しみとを君の遺影の前に額づきて空しく泪を垂る。癡なりと嗤ひたまふなかれ、かくいふは君の古き日の友。

 

 

三好達治堀辰雄君の㚑前に」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)