「西へ西へ」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』
西へ西へ 西へ
なほ遠く夕燒けの彼方へ
さうしておれの空想は
乞食のやうにうらぶれてある日の日暮れ
東の國から歸つてきた
北へ北へ 北へ
なほ遠くかの極北へ
さうしてある日おれの思想は日にやけて
腹をへらして南から
乞食のやうによろめいて戾つてきた
ここらがおれの故鄕(ふるさと)だ
泉にさし出た胡桃の木で
朝から野鳩が啼いてゐる
おほかたここらが故鄕だ
おれはもうここの泉で飮むばかりだ
すべてこれ空しい希望の墓場だから
故鄕の窓はいつもこんなに明かるいのだ
さうして自然は昔のままに信心ぶかいから
野鳩の番ひは朝からああしてお念佛をとなへてゐるのだ
おれはもうここらの窓ぎはで讀むばかりだ
退屈な祖先の書物は憂患にしみる鹽のやうだ
少小家ヲ離レ老大囘ル ここらがおれの故鄕だ
鄕音改マル無ク鬢毛摧ク 丸之内氏が象徴だ
おれはもうここらの日向で歌ふばかりだ
ここらがおれの故鄕だ
三好達治「西へ西へ」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)