三好達治bot(全文)

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「その時」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』

 ゆくがいい。人生はマラソンだ。あの遠い地平線まで、そら、驅けだしたまへ。諸君は出發點に勢ぞろひして、合圖の拳銃をまつてゐる。朝はまだ早い。春の野の若草は靑々として、天候は申分がない。ああよき日なるかな。希望は海のやうだ。諸君は健康にあふれてゐる。ああこの爽快なオリンピック・ゲーム。銃聲一發。そら、驅けだしたまへ。私は木かげの椅子にあつて、ひとり諸君のスタートを見送つてゐる。私は今日選ばれて諸君の競技に加はる者ではない。けれどもこの私にも、いま孤獨な觀覽者の椅子にあつて、いくらかの感慨がないではない。希望はもう私のものではないが、夕燒がなほ朝燒に似て燃えるやうに、かくして私の胸にも、この入江にまで、また外洋の滿潮のさしてくるときめきを知る。
 ゆくがいい。遠く、遠く。さらにいつそう遠く。速く、速く、さらにいつそう速く。これが人生だ。人生は野を橫ぎり、水を涉り、叢をつつきり、林を越え、雲の下をかけぬけてゆくマラソンだ。躊躇は無用。そら、驅けたまへ。速く、速く、さらにいつそう速く。遠く、遠く、さらにいつそう遠く、あの見えない地平のむかふまで――。
 けれどもやがて日暮れの時がきて、諸君はくたびれて歸つてくるだらう。空には夕燒の赤い時刻に、諸君は一日の競技を終つて、參々伍々、うちつれてここに歸つて來るだらう。人生はマラソンだ。筋骨の力をつくして、遠く、遠く、速く、速く、みんなが決勝點にとびこんでゆく、人生は春の日のマラソンのやうなものだ。さうして優勝者も敗北者も落伍者も、競技の終つたあとで、朝の間の彼らの夢と希望と計畫とをもう一度語りながら、過去に就いていま一度夢みながら、諸君がここに歸つて來る時に、
 ああその時、私はここにもうゐないでせう。

 

 

三好達治「その時」『駱駝の瘤にまたがつて拾遺』(『全集3』所収)