三好達治bot(全文)

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「なつかしい斜面」『駱駝の瘤にまたがつて』

なつかしい斜面だ
おれはこんな枯草の斜面にひとりで坐つてゐるのが好きだ
電車の音を遠くききながら
さみしいいぢけた冬の雲でも眺めでゐよう
ああ遠くおれの運んできたいつさいのもの思ひ
疲れたやくざなおれの希望なら そこらの枯草にはふり出してしまへ
かうして疲れた貧しい男が疲れた貧しい心をいたはつてゐるのは
何といふあてどないおだやかな幸福だらう
けれどもおれの病氣の心は それでもまだ知らない世界を考へてゐる
無限に遠く 夢のやうに遠くどこかへひろがつてゆかうとする
意志を感ずる
意志を感ずる
ああその意志を不幸な轅(ながえ)から解き放してやれ そいつは愚かな驢馬なんだよ
病氣の愚かな驢馬なんだから向ふの方の末の木にでも繫いでやれ
彼をしづかに彼の夢を見しめよ……
さうしてそこらの黃いろく枯れた枯草でも彼らの食らふにまかしておけ
遠い斜面の底の方は腐れた都會の水溜りで何だかそこらは薄暗い幾何學圖形の掘割が
晝間もぐつすり寢こんでゐる
そいつの向ふを遠まはりして
電車の音はあとからあとから忙がしい都會の人口を運んでゐるが
まつ晝間だつて何だつてぐつすり寢こんでゐる奴がゐるものだ
おれにしたつてさうかもしれぬ さうだらう
そんなことならおれにしたつてもうとつくの昔に悟つてゐることだ
このぼろ船はいつになつたつて港につかぬ
港は遠く見失はれて 波は高く 海は廣い
機關はやぶれて燃料はつきてしまつたのだ
かまはず積荷をはふり投げて
こいつはかうしてここまでどうやらやつて來たのだ
燒け野つ原の都會の空をいぢけた雲が飛んでゐる
愚かな驢馬は向ふの方で
それでもあいつの性分だから 耳だけはひくひくやつてゐる
すてておけ 仕方もないことだ

 

 

三好達治「なつかしい斜面」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)