三好達治bot(全文)

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「駱駝の瘤にまたがつて」『駱駝の瘤にまたがつて』

えたいのしれない駱駝の背中にゆさぶられて
おれは地球のむかうからやつてきた旅人だ
病氣あがりの三日月が砂丘の上に落ちかかる
そんな天幕てんとの間からおれはふらふらやつてきた仲間の一人だ
何といふ目あてもなしに
ふらふらそこらをうろついてきた育ちのわるい身なし兒だ
ててなし兒だ
合鍵つくりをふり出しに
拔取りかたり搔拂ひ樽ころがしまでやつてきた
おれの素姓はいつてみれば
幕あひなしのいつぽん道 影繪芝居のやうだつた
もとよりおれはそれだからこんな年まで行先なしの宿なしで
國籍不明の札つきだ
けれどもおれの思想なら
時には朝の雄鷄だ 時に正午の日まはりだ
また笛の音だ 噴水だ
おれの思想はにぎやかな祭のやうに華やかで派手で陽氣で無鐵砲で
斷っておく 哲學はかいもく無學だ
その代り驅引もある 曲もある 種も仕掛けも
覆面も 麻藥も やすりも 匕首あひくちも 七つ道具はそろつてゐる
しんばり棒はない方で
いづれカルタの城だから 築くに早く崩れるに早い
月夜の晩の繩梯子
朝には手錠といふわけだ
いづこも樂な棲みかぢやない
東西南北 世界は一つさ
ああいやだ いやになつた
それがまたざまを見ろ 何を望みで吹くことか
からつ風の寒ぞらに無邪氣ならつぱを吹きながらおれはどこまでゆくのだらう
駱駝の瘤にまたがつて 貧しい毛布にくるまつて
かうしてはるばるやつてきた遠い地方の國國で
いつたいおれは何を見てきたことだらう
ああそのじぶんおれは元氣な働き手で
いつもどこかの場末から顏を洗つて驅けつけて乘合馬車にとび乘つた
工場街ぢや幅ききで ハンマーだつて輕かつた
こざつぱりした菜つ葉服 眉間の疵も刺靑もいつぱし伊達で通つたものだ
財布は骰ころ酒場のマノン……
いきな小唄でかよつたが
ぞつこんおれは首つたけ惚れこむたちの性分だから
魔法使ひが灰にする水晶の煙のやうな 薔薇ばらのやうなキッスもしたさ
それでも世間は寒かつた
何しろそこらの四辻は不景氣風の吹きつさらし
石炭がらのごろごろする酸つぱいいんきな界隈だつた
あらうことか拔目のない 奴らは奴らではしつこい根曲り竹の臍曲り
そんな下界の天上で
星のとぶ 束の間は
無理もない若かつた
あとの祭はとにもあれ
間拔けな驢馬が夢を見た
ああいやだ いやにもなるさ
――それからずつと稼業は落ち目だ
煙突くぐり棟渡り 空巢狙ひも籠拔けも牛泥棒も腕がなまつた
氣象がくじけた
かうなると不覺な話だ
思ふに無學のせゐだらう
今ぢやもうここらの國の大臣ほどの能もない
いつさいがつさいこんな始末だ
――さて諸君 まだ早い この人物を憐れむな
諸君の前でまたしてもかうして捕繩はうたれたが
幕は下りてもあとはある 每度のへまだ騷ぐまい
喜劇は七幕 七轉び 七面鳥にも主體性――けふ日のはやりでかう申す
おれにしたつてなんのまだ 料簡もある 覺えもある
とつくの昔その昔 すてた殘りの誇りもある
今晩星のふるじぶん
諸君にだけはいつておかう
やくざな毛布にくるまつて
この人物はまたしても
世間の奴らがあてにする顰めつつらの掟づら 鐵の格子の間から
牢屋の窓からふらふらと
あばよさばよさよならよ
駱駝の瘤にまたがつて拔け出すくらゐの智慧はある
――さて新しい朝がきて 第七幕の幕があく
さらばまたどこかで會はう……

 

 

三好達治「駱駝の瘤にまたがつて」『駱駝の瘤にまたがつて』(S27.3刊)