三好達治bot(全文)

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「峠」『測量船』

 私は峠に坐つてゐた。
 名もない小さなその峠はまつたく雜木と萱草の繁みに覆ひかくされてゐた。××ニ至ル二里半の道標も、やつと一本の煙草を喫ひをはつてから叢の中に見出されたほど。
 私の目ざして行かうとする漁村の人々は、昔は每朝この峠を越えて魚を賣りに來たのだが、石油汽船が用ひられるやうになつてからは、海を越えてその販路がふりかへられてしまつたと私は前の村で聞いた。私はこの峠までをひとりの人にも會はずに登つてしまつた。
 路はひどく荒れてゐた、それは、いつとはなしに雨に洗ひ流されて、野茨や薄の間にともすれば見失ひ易く續いてゐた。兩側の林では野鳩が鳴いてゐた。
 空は晴れてゐた。遠く、叢の切れた一方に明るく陽をうけて幾つかの草山が見え、柔かなその曲線のたたなはる向ふに藍色に霞んだ「天城」が空を領してゐる。私の空虛な心は、それらの小山を眺めてゐるとほどよい疲勞を秋日和に慰められて、ともすれば、ここからは見えない遠くの山裾の窪地とも、またはあの山なみの中腹のそのどこかとも思へる方角に、微かな發動機船の爆音のやうなものを聞いたのだつたが、(それはしばらく續いてゐたらしいのだが、)ふと、訝かしく思へて耳を澄まして見ると、もう森閑として何のもの音も聞えて來なかつた。時をり風が叢を騷がせて過ぎ、蜂の羽鳴りがその中を弓なりに消えていつてはまたどこからか歸つて來た。翼の白い燕が颯々と羽風を落していつた。
 私は考へた、ここにかうした峠があるとするからは、ここから眺められるあの山山の、ふとした一つの襞の高みにも、こことまつたく同じやうな小さな峠があるだらう。それらの峠の幾つかにも、風が吹き、蜂や燕が飛んでゐるだらう、そこにも私が坐つてゐる――と。そして私は、足もとに點點と咲いた白い小さな草花を眺めながら、それらの覆ひかくされた峠の幾つかをも知ることが出來た。
 私は注意深く煙草の火を消した。午後ははや少し遲くなつてゐた。そしてこの、恐らくは行き會ふ人もないだらう行手を思ひ、草深い不案内な降り道を考へると、人人の誰からも遠く離れた私の鳥のやうな自由な時間も、やはりあわただしく立ちあがらなければならないのを味氣なく感じた。旣に旅の日數は重なつてゐた。私は旅情に病の如き悲哀を感じてゐた。しかし私にあつて今日旅を行く心は、ただ左右の風物に身を托して行く行く季節を謳つた古人の雅懷でなければならない。もうすぐに海が見えるであらう。それだのに私の心の、何と秋に痛み易いことか!
 ああ、その海邊の村の松風を聽き、暗い旅籠の湯にひたり、そこの窓に岬を眺めよう、その岬に陽の落ちないうちに――。そして私は心に打ち寄せる浪の音を聞いた。私は峠を下つた。

 

三好達治「峠」『測量船』(S5.12刊)