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「帰らぬ日遠い昔」『故郷の花』

歸らぬ日
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔
(聽くがいい そらまた夜の遠くで
木深い遠くの方で鐘がなる)
遠い昔だ
何も彼も
雁(がん)も
鳩も
木兎も
みんな行方(ゆきがた)しれずだよ
あの子もどこでどうしたやら
つり眼狐の晝行燈
病身の
いつも無口な子だつたが
靑い顏して
いぢつけて
霜やけの手が赤つただれて さ
あの手もそれから…… 沙汰はない
どこの國でどうしてゐるやら
さ どうなつたやら
もう金輪際それつきり あれつきりか
思ひがけない今ン頃に
ふいとけふ日に思ひ出さうと
子供ごころのなんの知ろ
氣輕に跳(は)ねた
身輕に躍(と)んだ
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔だ
何も彼も
はるかな國
とつとはるかな遠い村
キリハタリ
キリハタリ
ハタリチヤウ チヤウ
またキリハタリ
歌もうたつた
石も投げた
それでもみんな機嫌な冬の日だつたけ
たつた一ついつまでも
梢には 黃色柚子(きいろゆず)の實
軒端には もろこしの種子(たね)
そいつを鴉がさらつてさ
織部燈籠に昨日から芭蕉がこけて
菊はもう添竹ばつかり
いつかの晩は
人魂がひと晩そこにやすんでゐたそこの隅に
淡紅梅が咲いて匂つて
匂ひは日向いつぱい庭いつぱい
さてしばらく耳でまつてゐた
垣根越しに
井戸の車がからからきこきこと
さてもしづかに
さてその人ごゑはきこえたのやら…………
朝がをはつて晝といふには間のある陽ざし
俺はまた裏の木戸から
寺の墓地の土塀の際(きは)の一本松の根かたへいつた
高い梢のすつかりもう朱い實のなくなつた寄生木には
鵯がそつぽを向いて
山にむかつてついと一つ頭を下げた
俺はその(ああその手ざはり)松の幹をたたいてみたつけ
いつもさうしてみるのだが
それもさて何といふ譯はなかつた
遠い昔
歸らぬ日
遠い昔だ
何も彼も
遠い昔だ
何も彼も
そればつかりが――變にそれが耳にのこつて
夜明けの夢にもまぎれこんだ
はるかな森の笛太鼓
鉦太鼓
仕掛け煙火の煙から
おどけ人形が飛びだして
ふらりふらりと氣樂なふりに
川のむかふへ落ちてゆく
祭りの日の
立枯れ欅のてつぺんに
風船玉がひつかかつて かかつてゆれて
つぎの日には皺つぷくれて
さてその晝にはもう見えなんだ
牛つ埃
馬つ埃
ただからからと退屈な荷車がゆく畷(なはて)みち
遠い昔
遠い昔だ
何も彼も
歸らぬ日
遠い昔

 

 

三好達治「歸らぬ日遠い昔」『故鄕の花』(S21.4刊)