三好達治bot(全文)

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「師よ 萩原朔太郎」『朝菜集』

幽愁の鬱塊
懷疑と厭世との 思索と彷徨との
あなたのあの懷かしい人格は
なま溫かい溶岩ラヴアのやうな
不思議な音樂そのままの不朽の凝晶體――
あああの灰色の誰人の手にも捉へるすべのない影
ああ實に あなたはその影のやうに飄々として
いつもうらぶれた淋しい裏町の小路をゆかれる
あなたはいつもあなたのその人格の解きほごしのやうなまどはし深い音樂に聽き耽りながら
ああその幻聽のやうな一つの音樂を心に拍子とりながら
あなたはまた時として孤獨者の突拍子もない思ひつきと諧謔にみち溢れて
――醉つ拂つて
灯ともし頃の遽だしい自轉車の行きすがふ間をゆかれる
ああそのあなたの心理風景を想像してみる者もない
都會の雜沓の中にまぎれて
(文學者どもの中にまぎれてさ)
あなたはまるで脫獄囚のやうに 或はまた彼を追跡する密偵のやうに
恐怖し 戰慄し 緊張し 推理し 幻想し 錯覺し
飄々として影のやうに裏町をゆかれる
いはばあなたは一人の無賴漢 宿なし
旅行嫌ひの漂泊者
夢遊病ソムナンビユール
ゼロゼロ

 

そしてあなたはこの聖代に實に地上に存在した無二の詩人
かけがへのない 二人目のない唯一最上の詩人でした
あなたばかりが人生を ただそのままにまつ直ぐに混ぜものなしに歌ひ上げる
作文屋どもの掛け値のない そのままの値段で歌ひ上げる
不思議な言葉を 不思議な技術を 不思議な知慧をもつてゐた
あなたは詩語のコンパスで あなたの航海地圖の上に
精密な 貴重な 生彩ある人生の最近似値を 我らのアメリカ大陸を發見した
あなたこそまさしく詩界のコロンブス
あなたの前で喰せ物の口の達者な木偶でぐどもが
お弟子を集めて橫行する(これが世間といふものだ
文人墨客 蚤の市 出性の知れた奴はない)
黑いリボンに飾󠄁られた 先夜はあなたの寫眞の前で
しばらく淚が流れたが
思ふにあなたの人生は 夜天をつたふ星のやうに
單純に 率直に
高く 遙かに
燦爛として
われらの頭上を飛び過ぎた
師よ
誰があなたの孤獨を嘆くか

 

 

三好達治「師よ 萩原朔太郞」『朝菜集』(S18.6刊)