三好達治bot(全文)

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「閑雅な午前」『一点鐘』

ごらん まだこの枯木のままの高い欅の梢の方を
その梢の細いこまかな小枝の網目の先先にも
はやふつくらと季節のいのちは湧きあがつて
まるで息をこらして靜かにしてゐる子供達の群れのやうに
そのまだ眼にもとまらぬ小さな木の芽の群衆は
お互に肱をつつきあつて 言葉のない彼らの言葉で何ごとか囁きかはしてゐる氣配
春ははやそこの芝生に落ちかかる木洩れ陽の縞目模樣にもちらちらとして
淺い水には蘆の芽がすくすくと銳い角をのぞかせた
ながく悲しみに沈んだ者にも 春は希望のかへつてくる時
新らしい勇氣や空想をもつて
春はまた樂しい船出の帆布を高くかかげる季節
雲雀や燕もやがて遠い國からここにかへつてきて
私たちの頭上に飛びかひ歌ふだらう
菫蒲公英 蕨や蕗や筍や 蝶や蜂 蛇や蜥蜴や靑蛙
やがて彼らも勢揃ひして 陽炎の松明たいまつ をたいて押寄せてくる
ああその旺んな春の兆しは四方よもに現れて
眼に見えぬ霞のやうに棚引いてゐるのどかな午前
どことも知れぬ方角の 遠い遙かな空の奧でないてゐる鴉の聲も
二つなく靉靆として 夢のやうに 眞理のやうに
白雲を肩にまとつた小山をめぐつて聞えてくる
ああげに季節のかういふのどかな時 かういふ閑雅な午前にあつて
――人生よ ながくそこにあれ!

 

 

三好達治「閑雅な午前」『一點鐘』(S16.10刊)