三好達治bot(全文)

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「南の海」『一点鐘』

 ひと日わがゆくりなく故紙のひまより見出でたる一片の幼
き文字、南の海と題せり、いづれの年ごろしたためしものと
も今はおぼえね、その嘆かひなほ今日の日のわがものにかよ
ひて多く異ならず覺ゆ、あはれわがさがやとて自ら憐れみて
この集の跋に代えんとす――              

 

 あの濱邉へ行つて、もう一度あの空の色が見たいものだ、――折にふれて、私はよくさう思ふ。
 その空の色は、剃刀などの刄を合せる肌理きめの細かい黃色い砥石の、まだ水の乾かない滑らかなその表面を見るやうな、そんな色合ひの背ろから、旣に水平線の下に沈んだ太陽の餘光をうけて、明るく華やかに、眩ぶしいといふほどではなく、廣袤無限のその西の空一帶 、淨土欣求の理想といふものも卽ち言つてみればこのやうな光澤色彩そのものではあるまいかと思はれるやうに、縹渺とまたうらうらと、染め出されてゐたのである。そのやうな夕榮えは、その一夏に幾度繰かへされたことであらうか。私はまた、黃色い砂礫のうち續いたその砂濱に打寄せる浪の音を、たとへば死別した誰彼の聲音のやうに、もう一度この私の耳をもつては聞くことのできないものとして、さうであるより外のない、うら悲しい氣持で思ひ浮べる。その砂濱の背ろには、それの彼方の、胡瓜畠西瓜畠茄子畠その外の野菜畠を、大わたつみの押しあげる砂丘の群れから遮ぎり禦いでゐたのであらう、ひよろひよろ松の小松林が繩手になつて續いてゐた。
 その小松林の小徑をゆき、濱晝顏の花のしぼんだ雜草の上に腰を下ろして、私と私の友人とは、それからやがてとつぷりと日が暮れて、紀伊も淡路も、鷗の群れも初更の闇に消えてしまふまで、さうしてこの浦曲に泊てた和船の一つに炊爨の火であらう、あかあかと榾火の燃え上るのが物語りめいて水の面に映る頃まで、私達は、――私達は語り合つた。何に就て語り合つたのか今ではもう、すつかりそれは忘れてしまつた。肉親に就て、故鄕に就て、神に就て語り合つたことでもあらう、それはすつかり忘れてしまつた。ただ潮風にぬれて、麥藁帽子のしほれるまで私達は語り合つた、その胸いつぱいの氣持だけは今になほ、時たま私はそれを思ひ起す。
 しかしそれから時がたつて、私は老い、私は變つた。あの樂しかつた夏のひと日を、私の過去の日と、ともすれば私は信じかねる、信じかねる。――。噫、あはれな私になつてしまつた。

 

 

三好達治「南の海」『一點鐘』(S16.10刊)