「毀れた窓」『一点鐘』
廢屋のこはれた窓から
五月の海が見えてゐる
硝子のない硝子戸越しに
そいつが素的なまつ晝間だ
波は一日ながれてゐるその額緣に
ポンポン船がやつてくる
灰色の鷗もそこに集つて
何かしばらく解けない謎を解いてゐる
ぽつかり一つそんな時鯨がそこに浮いたつて
よささうな鹽梅風にも見えるのだ
それをぼんやり見てゐるとどういふものか
俺の眼にはふと故郷の街がうかんできた
古い石造建築のどうやら銀行らしいやつの
くつきりとした日かげを俺が步いてゐる
まだ二十前の俺がそれから廣場をまた突切てゆくのだ
ああそれらの日ももうかへつては來なくなつた……
そんな思出でもない思出が
隨分しばらく俺の眼さきに浮んでゐた
どういふ仕掛けの窓だらう
何しろこいつは素的な窓だ
丘の上の
松の間の
廢屋のこはれた窓から
五月の海が見えてゐる
三好達治「毀れた窓」『一點鐘』(S16.10刊)