三好達治bot(全文)

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「一点鐘二点鐘」『一点鐘』

靜かだつた
靜かな夜だつた
時折りにはかに風が吹いた
その風は そのまま遠くへ吹きすぎた
一二瞬の後 いつそう靜かになつた
さうして夜が更けた
そんな小さな旋じ風も その後谿間を走らない……

 

一時が鳴つた
二時が鳴つた
一世紀の半ばを生きた 顏の黃ばんだ老人の あの古い柱時計
柱時計の夜半の歌

 

山の根の冬の旅籠の
噫あの一點鐘
二點鐘

 

その歌聲が
私の耳に蘇生る
そのもの憂げな歌聲が
私を呼ぶ
私を招く

 

庭の日影に莚を敷いて
妻は子供と遊んでいる
風車のまはる風車小屋
――玩具の粉屋の窓口から
砂の麺麭粉がこぼれ出る
麺麭粉の砂の一匙を
粉屋の屋根に落し込む

くるくるまはれ風車……
くるくるまはれ風車……

 

卓上の百合の花心は
しつとり汗にぬれてゐる
私はそれをのぞきこむ
さうして私は 私の耳のそら耳に
過ぎ去つた遠い季節の
靜かな夜を聽いてゐる
聽いてゐる
噫あの一點鐘
二點鐘

 

 

三好達治「一點鐘二點鐘」『一點鐘』(S16.10刊)