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三好達治bot(全文)

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「アヴェ・マリア」『測量船』

 鏡に映る、この新しい夏帽子。林に蟬が啼いてゐる。私は椅子に腰を下ろす。私の靴は新しい。海が私を待つてゐる。

 

   私は汽車に乘るだらう、夜が來たら。
   私は山を越えるだらう、夜が明けたら。

 

   私は何を見るだらう。
   そして私は、何を思ふだらう。


   ほんとに私は、どこへ行くのだらう。

 

 窓に咲いたダーリア。窓から入つて來る蝶。私の眺めてゐる雲、高い雲。

 

   雲は風に送られ
   私は季節に送られ、

 

 私は犬を呼ぶ。私は口笛を吹いて、樹影に睡つてゐる犬を呼ぶ。私は犬の手を握る。ジャッキーよ、ブブルよ。――まあこんなに、蟬はどこにも啼いてゐる。

 

   私は急いで十字を切る、
   落葉の積つた胸の、小徑の奧に。

 

   アヴェ・マリア、マリアさま、
   夜が來たら私は汽車に乘るのです、
   私はどこへ行くのでせう。

 

   私のハンカチは新しい。
   それに私の淚はもう古い。

 

   ――もう一度會ふ日はないか。
   ――もう一度會ふ日はないだらう。

 

 そして旅に出れば、知らない人ばかりを見、知らない海の音を聞くだらう。そしてもう誰にも會はないだらう。

 

三好達治アヴェ・マリア」『測量船』(S5.12刊)