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三好達治bot(全文)

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「晝」『測量船』

 別離の心は反つて不思議に戀の逢瀨に似て、あわただしくほのかに苦がい。行くものはいそいそとして假そめの勇氣を整へ、とどまる者はせんなく煙草を燻ゆらせる束の間に、ふと何かその身の愚かさを知る。
 彼女を乘せた乘合馬車が、風景の遠くの方へ一直線に、彼女と彼女の小さな手携げ行李と、二つの風呂敷包みとを伴れてゆく。それの淺葱のカーテンにさらさらと木洩れ日が流れて滑り、その中を蹄鐡がかはるがはる鮎のやうに光る。ふつと、まるでみんなが、馭者も馬も、たよりない鳥のやうな運命に思はれる。さやうなら、さやうなら、彼女の部屋の水色の窓は、靜かに殘されて開いてゐる。
 河原に沿うて、並木のある畑の中の街道を、馬車はもう遠く山襞に隱れてしまふた。そして、それはもうすぐ、あのここからは見えない白い橋を、その橋板を朗らかに轟かせて、風の中を渡つて走るだらう。すべてが靑く澄み渡つた正午だ。そして、私の前を白い矮鷄ちやぼの一列が石垣にそつて步いてゐる。ああ時間がこんなにはつきりと見える! 私は侘しくて、紅い林檎を買つた。

 

三好達治「晝」『測量船』(S5.12刊)