三好達治bot(全文)

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「私の信条」

戰爭中疎開先の福井驛で見かけた情󠄁景、あの殺人列車の窓口でもんぺ姿󠄁の一人の少女が何かに讀み耽つてゐるのをふと見かけた、その情󠄁景は忘󠄁れ難い。私は別の列車からそのプラットフォームに吐き出されて、やうやくほつと一と息ついたところであつたから、…

「湯ヶ島」

伊豆へ行くのは十年ぶりであつた。ひと頃は每月󠄁のやうに出かけてゐたのに、御無沙汰となるとふつつりそちらへ足が向かない。かういふのを、我ながら淺ましく思ふ。何やらの物語に、「つねなき男なれば」といふ一句があつた。恆常心のない人物だから、といふ…

「梶井基次󠄁郞君の憶出」

梶井君の創作集『檸檬(れもん)』に因んで、三月二十四日を私はひそかに檸檬忌と呼んでゐる。今年のその日ははや彼の三周󠄀忌に當る。さうして永井二郞さんの六蜂書房から、彼の全󠄁集もその頃丁度出版中の運󠄁びになるだらう。彼を喪つたことは私逹󠄁友人にと…

「私の好きな詩集」

書店に出るのを待ちかねて買つた詩集、それが二册ある。二册きりのほか思ひ出せない。萩原朔太郞の『純情󠄁小曲集』と堀口大學の『月󠄁下の一群』。どちらも大正十四年の刊行で、前󠄁者は八月󠄁後者は九月󠄁と、刊記を見ると隣合つてゐるのにただ今氣づいた。八月…

「半宵雑記」

――上海雜觀追󠄁記―― 私は先月二十六日朝󠄁佐世保に着きました。上海を發つたのは二十五日早朝󠄁、その朝󠄁はたいへん寒󠄁い朝󠄁で路面には霜が降りてゐました、虹口碼頭の棧橋も眞白になつてゐました。水溜りには薄い氷が張つてゐました。まづ汽艇󠄁で出雲に行き、…

「霖雨泥濘」

吳淞沖に新に○○が到着した――といふやうな風評󠄁を耳にしたのは、慥か大場鎭陷落の直後であつたやうに記憶する。その後その大部隊󠄁がどこに上陸したものやら、どの方面に進󠄁軍したものやら、いつかう消󠄁息もなくとより推測のよすがもないままに、そんなことを…

「上海雑観 続」

二十九日原稿草書、同夜九時海軍武官室に到り重村大尉を經て飛行便に托す。軍艦○○內火艇󠄁二、米國消󠄁防艇󠄁の乞ひに應じ、その側防に任じ蘇州河を遡らんとして、たまたま英艦との間に小紛爭を生ず。同日午後二時頃のことなり。 三十日、午前󠄁中小雨、戰線にほ…

「上海雑観」

十月○○日午後五時長崎出帆、翌󠄁○○○日正午頃船󠄁中に次の如き揭示が出された。 今日午○○時ヨリ敵機空襲區域ニ入リマスカラ本船󠄁自衞上燈火管制ヲ施行シマス。船󠄁客各位ハ右ニツキ充分御注󠄁意󠄁下サイ。上海丸 同日午○○時頃吳淞沖に停船󠄁。風なく波も穩やかで空…

「むかしの詩人」

もう二た昔の餘も以前のことになる、本鄕春日町の「大國」といふ家で尾崎喜八さんの詩集出版記念會があつた。私はさういふ會合へ出たのはその時がはじめてであつた。その頃大森にをられた萩原さんが近所の私に同行をすすめられたのに從つたのである。私は尾…

「交遊錄」

萩原朔太郞先生に初めて會つたのは丁度三年前の夏だつた。伊豆のある旅館で初めてこの有名な詩人と對坐した時は、子供の頃中學校の入學試驗をうけに行つたやうな氣持だつた。小說家の尾崎士郞氏がそこへ伴れて行つてくれたと覺えてゐる。窓には盛夏の綠があ…

「郊野の梅」『砂の砦』

逝くものはこゑもなくゆくささやかな流れの岸の梅の花野の川の川波たてばその花のかげもみだれてそはしばしゆらぎさざめく日暮れどき野はやがでほの昏けれどその花のもののあいろもさだめなく昏きあたりにただ一つその花のともす燈火(ともしび)――微笑 囁き…

「古松に倚る」『砂の砦』

天遠く晴れて月影白くほのかなり寂々として心を來り撲つは何我れはわが行かんと欲りしところを忘れ徘徊して古松の影に倚るわが生の日はすでに久しくあまたたび行路の轉變を見るこの心また落寞として願ふところことごとく絕つ來るものをして來るに任じ行くも…

「一葉舟」『砂の砦』

——ある一つの運命について 天に雪舞い四方(よも)に烈風のこゑをきく景や暗憺として涯(はて)なく波浪かげくろく海を傾け來る海は傾き去つて飛沫しろく潮流激し鳴る海鳥忽ち虛空より下りみな翼にしづくたれて叫び啼けりああこゑあるものかくことごとく悲泣…

「半宵記」

先日女流作家のO・Kさんが突然他界された。私は朝の新聞でそれを知つた時、同女史の――ほんの數囘私がお眼にかかつた、その時々の風采や擧止動作を次々に思ひ泛べた。友人達大勢と一緖にお宅で御馳走になつた時、銀座のどこかで行會つて簡單なお辭儀をしあ…

「小動物」

「小動物 一」 「小動物 二」 「小動物 三」 「小動物 四」 「小動物 一」 私は餘り蛇を怖れない性質(たち)である。一度こんな經驗をしたことがある。 洛外嵯峨に、嵐山電車を降りて渡月橋とは反對の方角に、釋迦堂といふのがある。もう十四五年も昔のこと…

「自作について」

村 鹿は角に麻繩をしばられて、暗い物置小屋にいれられてゐた。何も見えないところで、その靑い眼はすみ、きちんと風雅に坐つてゐた。芋が一つころがつてゐた。 そとでは櫻の花が散り、山の方から、ひとすぢそれを自轉車がしいていつた。 脊中を見せて、少女…

「萩原朔太郎氏へのお答ヘ」

このお答へは、先月書かなければならない筈でありましたが、時間がなかつたので失禮いたしました。さて、問題の、日本詩歌の音樂性に就て、二三の卑見をのべてみませう。まづ第一に斷つておきますが、小生は貴家の仰しやる如く、日本詩歌の音樂性を無用の要…

『春の旅人』総覧

『春の旅人』 ・出版社 私家本木版手刷り(三好達治 自筆・小野忠弘 刻) ・発刊 昭和20年1月 ・収録作品 計4篇(ルビ等の表記は『故鄕の花』掲載部分を参照) 『春の旅人』 目次 「松徑」 「春艸」 「春蟬」 「松子」 『春の旅人』 目次 「松徑」 王ならば…

『故郷の花』総覧

『故鄕の花』 ・出版社 創元社 ・発刊 昭和21年4月1日 ・収録作品 計36篇(うち『故鄕の花』にて初収録となった作品は31篇) 『故鄕の花』 目次 「鳶なく――序に代へて」 「すみれぐさ」 「春の旅人」 「をちかたびと」 「春のあはれ」 「空琴」 「みづにうか…

「日本語の韻律」

萩原朔太郞氏著『純正詩論』讀後の感想 萩原朔太郞氏の近著『純正詩論』は、氏の前著『詩の原理』と全く同一系統に屬する、氏一流の浪漫派的詩論を縷說した、愉快な讀物である。この著者の書物は、一讀して甚だ氣持がいゝ、論鋒がテキパキしてゐて、頗る大膽…

『朝菜集』自序

ちかごろ書肆のすすめにより、おのれまたをりからおもふところいささかありて、この書ひとまきをあみぬ。なづけて朝菜集といふ。いにしへのあまの子らが、あさごとに磯菜つみけんなりはひのごとく、おのれまたとしつき飢ゑ渇きたるおのれがこころひとつをや…

「朝の小雀女」『故郷の花』

山遠くめぐりきて朝ごとに來て鳴け小雀(こがら)雲破れ日赤く露しとど落葉朽つ香のみほのかに艸の實の紅きこの庭この庭に來て鳴け小雀破風(はふ)をもる煙かすかに水を汲む音はをりふしこの庵(あん)に人は住めども日もすがら窓をとざせり秋も去り冬の朝…

「路」

鼠坂、そんな名の坂がどこか四谷の方にあつた、それをここにも假りてもいいやうな坂が、ふと電車の窓から見える。中年の人物が一人自轉車をおさへて降りてくるのが、ちらりと見えたきりで、それが眼にのこる。時刻は夕暮れであつたから、何やら風情があつた。…

「お花見日和」

またお花見頃になつた。一月あまり仕事場に抑留されてゐた後久しぶりに東京に歸つて見るともうその季節であつた。抑留は人さまに約を果すためと己れ自身のお勝手向きのためとであつて、いささか引揚者めいた感慨を以てやうやく宅に歸つてほつとした折から、…

「『檸檬』 ――梶井基次郎君に」

君の本が出るのは何より喜しい、喜しいどころではない、僕は肩身の廣い誇りを感じる。僕らの時代の若い作家達の間で、君ほど最初から自信に滿ちた仕事をした人はない。最近君の原稿を整理しながら、僕はしみじみと君への敬意を新たにした。卷頭の「檸檬」の…

「寂光土」『百たびののち』以後

風の波 風の色 風の足音その一陣 一陣……………羊の群れを逐(お)ふてゆく それも旅人逐ふ人も 背(うし)ろの風に逐はれてゆく……………穢土寂光(ゑどじやくくわう)は 冬の日に風の來て掃(は)いて淸めた庭だらうゆつくりとした步(あし)どりで影のない羊の群…

「繰言」「海風」

深谷君から鄭重なお手紙を貰ひ、今度始める雜誌のために、何か隨筆のやうなもの「靑空」の思出でも書いてみないか、といふお話であるが、學生時代の思出話などするのに、私などまだ十年餘り年が若いやうでもあり、かたがた、好箇の話材も思ひ浮ばない。でも…

「青梅花」『百たびののち』

靑梅(せいばい)は 實の靑きにや……またその花のほの靑き品種(しな)なりけらしげに花靑き靑梅花路のほとりの賤が家にさし出でて高きを見たりつくねんと老婆は窓に出でて坐し世間のさまをやをら見わたし眺めたりそこらのさまは肅やかに巷の塵もをさまりて今…

「詩碑」

萩原さんの詩碑が、先日前橋市敷島公園に出來上つたので、その除幕式に參會した。近頃は方々にこの種の詩碑歌碑句碑が建設される。いさゝか流行の體で、少し煩はしいくらゐにも思はれるが、すぐとさう考へるのはどうやら中正を得ないやうにも感じられる。こ…

「公園」『測量船拾遺』

私は公園が欲しい。 仄かな草の匂ひやしめやかな木立の薫りや眼には見えない虫の気配のある中を靜かに樹蔭を步いてゆくと時どきあちらにもこちらにも噴水が見えて、この人工の小自然は疲れて怡しさを喪つた人の心を絶えまなく水盤に落ちるそれの言葉で誘つて…